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訃報・原子朗

原子朗氏が死去 詩人、早稲田大名誉教授

原 子朗氏(はら・しろう=詩人、早稲田大名誉教授)4日、老衰のため死去、92歳。自宅は東京都練馬区練馬2の31の2。お別れの会は8日午前9時45分から同区春日町4の17の1の愛染院会館。喪主は妻、昭子さん。

宮沢賢治研究の第一人者で、宮沢賢治イーハトーブ館館長を務めた。(日本經濟新聞)


僕にとっては、日本における修辞学研究の草分け的存在で、『修辞学の史的研究』の著者だ…という認識だったのだが、いくつか見た記事にはそういうことは書かれていなかった。
が、僕はこの本は発売当初に早速買った。
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新1000形

昨日に続いて、これも載せておく。

新1000形16次車。
16次車

ついでに、去年乗りに行った新1000形1800番台。

1800番台
[ 2017/06/17 23:39 ] 旅・散策 京浜急行 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

「逗子←→八景」

もう1箇月近く経ってしまったけれども、これだけは載せておこうかと思う。
京急ファインテック久里浜工場にて。

800形リバイバル塗装。

800形

この車両で「正面方向幕実演」をやっていて、観衆のリクエストに応えて方向幕を変えていた。
800形に相応しい方向幕といっても、ぼくは「急行 新町」行くらいしか思い付かないのだけれども、やはりマニアな人はいるもので、こんなリクエストがあった。

800形

たぶん逗子線沿線の住人にしか判らないだろうけれども、深夜帯にこの折り返しの電車が走っていたのである。

なお、急行なんだけれども、この区間は全駅急行停車駅だから、実質各駅停である。
[ 2017/06/16 23:27 ] 旅・散策 京浜急行 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

ノーベル文学賞2016(その19)

さすがにこれで最後だろう。

ディラン氏「文学とは違う」 ノーベル賞受賞ネット講演

 2016年のノーベル文学賞を受賞した米国人ミュージシャン、ボブ・ディランさん(76)が5日、受賞者に課せられた「業績にまつわる講演」を動画投稿サイト「ユーチューブ」などネット上に発表した。
 4日に米ロサンゼルスで録音されたものだという。27分余りで動画はない。
……
「私たちの歌は、生ける者の世界に生きている。文学とは違う。読まれるのではなく、歌われるべきだ」と述べ、「コンサートでもレコードでも、歌詞を、意図されたそのままに聴く機会を持ってほしい」と語った。(朝日新聞DIGITAL)


どこまでかっこ良いんだか。

『芸人式新聞の読み方』

以前に何度か書いたことがあるが、我が家では産経新聞を購読している。
産経新聞といえば、政権寄りで右方向に偏っているのは自明のことだが、それを認識してさえいれば、別段何の問題もない。そもそも、どこにも偏っていない報道機関などあるわけがないし、もし仮にあったとしたら、そんな詰らなくて役に立たないものはないだろう。
ただ、昨今の傾向として、朝日なら朝日、読売なら読売の主張を一方的に盲信して、それ以外の主張を間違いだと決め付ける傾向が強まっているように感じる。世の中に絶対的な正義なんてあるものではないのに…。

そんな中、この本は実に面白かった。

プチ鹿島『芸人式新聞の読み方』(幻冬舎)

芸人式新聞の読み方

「新聞は、キャラが違うからこそおもしろい。書いていることがばらばらだからこそ、読み比べる楽しさがある」と言う。

「「オバマすし報道」に見る読み比べの醍醐味」でオバマ大統領来日時、すきやばし次郎の高級鮨を半分残した、という記事を切っ掛けにその時の裏事情まで推測したり、SMAP解散報道や安保デモの人数の記事を読み比べたり…と、テーマは様々。
2014年のソチ五輪の報道で、日刊ゲンダイが2月8日にガキの遊びのスノボが五輪競技か、とボロクソに書いていたのに、日本勢がメダルを取った途端の13日、かつてガキの遊びとボロクソに言われた時代があったが…、と言を翻したことなど、新聞をここまでしっかり読んでいると本当に楽しいだろうと思う。
リオ五輪の閉会式の「安倍マリオ」の真相? など、かなり東スポがかった見方ではあるけれど、もしかしたらそれが正解なのかも、と思わせるところもある。

「はじめに」で、地下鉄サリン事件の際、朝日と東スポの見出しが同じになったことにショックを受けた、という話を書いているが、これはなるほど思った。
「次にまた『朝日』と『東スポ』の見出しが同じになる日がきたら、それは日本が深刻な状況になっているときだろう」というのは、なかなかに重い。

著者は、現代において人々が「疑心暗鬼」を楽しめなくなって来ていると言う。白か黒かを性急に求めるのではなく、自分の中の「正義」を疑ってみること、そしてそれを楽しめることが必要だ、という主張は、聴くべきものがあると思う。








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