「起き上がって、見ると」

「走れメロス」を読んでいて、ここをメモっておこうと思った人はほかにあるまいけれども、気になってしまったのだから仕方がない。

ふと耳に、潺々、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろと起き上がって、見ると、岩の裂目から滾々と、何か小さく囁きながら清水が湧いて出ているのである。(『走れメロス』新潮文庫、P177)


いいかげんに読んでいると、「潺々」なんていう耳慣れないことばが出て来ても、見逃してしまうものである。今まで意識した記憶がない。わざわざ調べなくても、おおよそ文脈から察しが付くからだろう。音「せんせん」、「水がさらさら流れる△様子 (音)」 の意の古風な表現。」(『新明解国語辞典』)。

それはともあれ、「起き上がって、見ると」である。「起き上がってみると」でないところがポイントで、接続助詞「て」の前後で、「起き上がる」と「見る」という別々の動作を表わしている。
このように、読点が打ってあり漢字が宛ててあれば誤解の余地がないけれども、古典の文では、こういう判断が難しい場合がある。けれども、古代語は近代語に比べて接続助詞「て」の前後を接続する力が強いから、「起き上がってみると」式ではなくて、「起き上がって、見ると」式と考えた方が良いものが多い。

たとえば、土左日記冒頭の「してみむとて、するなり」も、「書いてみようと思って」なのではなくて、「書いて(それを)見ようと思って」なのだと、僕は、考える。
そう考えると、掉尾の「とまれかうまれ、とくやりてむ」との呼応が見えて来る。書き了えて、読み返してみたら、不本意なものになっていた、だから、破ってしまおう、というのである。

「まにまに」

昨日も取り上げた『近代異妖篇 岡本綺堂読物集三』より。

普通の幽霊草といふのは曼珠沙華のことで、墓場などの暗い湿つぽいところに多く咲いてい(ママ)るので、幽霊草とか幽霊花とか云ふ名を附けられたのだが、こゝらで云ふ幽霊藻はまつたくそれとは別種のもので、水のまにゝゝ漂つてゐる一種の藻のやうな萍だ。(「水鬼」P77~78)


これ自体は何ということもないのだけれども、「まにまに」ということばを見ると、思い出すことがある。

長い学生時代の最後の頃だったか、ある先輩が、自身の師匠の論文(?)の校正をしていた。その文章が掲載される論集が、僕がアルバイトしていた出版社から出されるものだった関係で、その先輩が赤入れした校正刷りを見ることになった。
すると、源氏物語の浮舟が「波のまにまに漂って行く」というようなことが書かれていた箇所を、その先輩が「波のままに」に直しているのを見つけた。
「川の流れの」というような表現なら「ままに」でも良いかも知れないけれども、「波のまにまに」というのは小舟が波にもまれて行ったり来たりする様子を、2人の男の間で揺れ動く浮舟にたとえたものだろうから、それを「ままに」に直してしまったら台無しである。
執筆者の意図は明白で確かめるほどのことでもなく、校正者に断るのも先輩に対して語彙不足を指摘するようなのが憚られて、黙って最終校正を元の通り「まにまに」に戻して下版した。

ただそれだけのことなのだけれども、観点を変えれば、異文が生まれる原因の一つを、目の当たりにした瞬間だったと言えないこともない。

逆接の接続助詞「を」に関する断片語(3)

かなり以前、伊勢物語(第6段)にある下記の表現

女の、え得まじかりけるを、年を経て呼ばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。


の「年を経てよばひわたりけるを」について、これが「年を経てよばひわたりける(女)を」の謂で、「を」は接続助詞(逆接)ではなく、格助詞と見るべきことを書いた。

※「逆接の接続助詞「を」に関する断片語(1)(2)

先日、『近代異妖篇 岡本綺堂読物集三』(中公文庫)を読んでいて、こんな表現を見つけた。

むかしの旗本屋敷などには往々こんなことがあつたさうだが、その亡魂が祟をなして、兎もかくも一社の神として祭られてゐるのは少いやうだ。さう判つてみると、職人たちも少し気味が悪くなつた。しかし梶井の父といふのはいはゆる文明開化の人であつたから、たゞ一笑に付したばかりで、その書き物も黒髪もそこらに燃えてゐる焚火のなかへ投げ込ませようとしたのを、細君は女だけに先づ遮つた。それから社を取りくづすと、縁の下には一匹の灰色の蛇がわだかまつてゐて、人々があれゝゝと云ふうちに、たちまち藪のなかへ姿をかくしてしまつた。(「月の夜がたり」三、67~68頁)


「その書き物も黒髪もそこらに燃えてゐる焚火のなかへ投げ込ませようとしたのを」の「を」である。この「を」に準体助詞「の」が上接することからも明らかなように、格助詞の「を」で、連用修飾を表わす。
件の勢語の「を」を、そういう表現だと考えるのである。

むろん勢語には、準体助詞「の」はない。が、近代語ではこういう場合に準体助詞が必須だけれども、古代語ではそうではない。
直前の「え得まじかりけるを」も、「え得まじかりける(の=女)を」ということで、準体助詞なしに、「え得まじかりける」を体言句にしている。綺堂の文と同じ事柄を表わすのに、古代語であれば、「その書き物も黒髪もそこらに燃えてゐる焚火のなかへ投げ込ませようとしたを」という類の言い方が、可能だったのである。

さて、綺堂の文の「しかし」以降の1文で、主語は「梶井の父」だけれども、文末「遮つた」は、その述語ではない。「遮つた」の主語は、言うまでもなく「細君」である。
この文は、「しかし梶井の父といふのは…その書き物も黒髪もそこらに燃えてゐる焚火のなかへ投げ込ませようとした」と、「焚火のなかへ投げ込ませようとしたのを、細君は女だけに先づ遮つた」という別々の文としても表現しうるものを、1つの文に凝縮して表現しているのである。

勢語の文も、これと同じことが言える。
「女の、え得まじかりけるを、年を経て呼ばひわたりけり」と「年を経て呼ばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり」とが、1つの文に統合されているのである。

なお、綺堂の文を、「その書き物も黒髪もそこらに燃えてゐる焚火のなかへ投げ込ませようとしたけれども」と言い換えても、意味は、通じる。通じるけれども、むろんのこと、「その書き物も黒髪もそこらに燃えてゐる焚火のなかへ投げ込ませようとしたのを」とは、まったく別の表現である。
「年を経てよばひわたりけるを」を「言い寄り続けていたけれども」と逆接に訳出しうることと、この「を」が逆接であることとは、直接の関わりがない。そういう言い換えをしても、意味の疎通する訳文めいた別種の表現を、創り出せるに過ぎない。

附箋を剥がす(30)

『日影丈吉傑作館』(河出文庫)より。

駅の近くの市場の前で、わたしは宮の妻君に別れ、病院に引返した。その短い時間、いっしょにいるのが堪えられないほど、わたしは女を気の毒に思った。(「ねじれた輪」P107)


「妻君」は宛て字だろうが、判りやすい。それはそれとして、過去何度か取り上げた「に」の使い方。

ふいに幸運に眼がくらんだような気持も手伝って、洲ノ木はその晩ひどく酔っぱらい、川本に明日を約して別れてから、やっとの思いで家に辿りついた 。が、目のさめた昨日の今朝は、川本という男が酔ったまぎれに幡随院をきめこんだのを真に受けて、ありがた涙をこぼさんばかりだった、彼の単純さが腹立たしくさえなった。(「吉備津の釜」P139~140)


烏森の飲み屋で偶々同席した男(川本)から就職の世話をするという話をされた次の日の場面。
「幡随院をきめこむ」なんていうことばを目にしたことがなかった。辞書を引いても出て来ない。……が、考えてみたら、幡随院長兵衛は口入れ屋だった。

「やっぱり、ぼくが秘密のミッションを背負いこむことになったな」と、豊岡は愉快そうに笑いながら、いった。
「うちの会社が東南亜に得意先をつくりだした時から、そうなるくさいとは思ってたんだが」(「消えた家」P161)


「……くさい」ということばは、特別珍しいものではない。

(接尾語的に用いて)〔(ア)省略〕 (イ)いかにもそれらしい。「バター」(=西洋風だ)」 (ウ)その程度がひどい。「めんどう―」(『旺文社国語辞典』)


『新明解国語辞典』をみると、「……くさい」の前に来る語は、古い版には「形容動詞の語幹」とあり、最近の版にはそれに「体言またはそれに準ずる句」が加えられている。「うそくさい」とか「ばかくさい」とか。
「そうなる」というようなことばが前に来るのは、あまり見たことがない。

大学を出て、親父さんの自動車修理工場の見習いをしてた友人を、一度そこへ連れてゆくと、すっかり料理が気に入り、それから何度かいっしょに行った。(「夢ばか」P190)

私の家があったのは東京のはじっこの町である。そこには、くねくねと曲った舗装のしてない道路を中心に、 平家か二階建ての家が押しならんで、それよりも高い家は一軒もなかった。(「泥汽車」 P229)


著者は 明治41年生まれ。「…ている」「…ていない」ではないことばを使っているのは、珍しいのではないかと思って抽いておいた。

「まったく、顔を見合わす、というのは、ふしぎなことです」と、竪野はうなずきながら訥々とこたえた。(「人形つかい」P193)


形容詞の丁寧な表現の作り方の事例。


球は家にいた。勤めているあいだは、勤め先の秘密にわたるような話はできなかろうが、やめてしまえば、もう義理にしばられる気にもならないだろうと考え、吾来は何か聞きだすつもりで来たのだが、多少は目的を達しられた。(「明治吸血鬼」P281)


「達しられた」が気になった。
「られる」が付いているからには「達し」 は未然形だから、上一段型に活用する「達しる」という動詞かもしれない、コレは発見か? と思って『日本国語大辞典』を引いたらふつうに載っていた。

たっしる【達】〔自他サ上二〕(サ変動詞「たっする(達)」の上一段化したもの)「たっする(達)」に同じ。


が、載せられていた用例は未然形のもの。上二段活用と認定するためにはそれ以外の活用形もなければならない、と思って青空文庫を検索したら、幾つも出て来た。
梶井基次郎「交尾」から、一例を、孫引きする。

その声は瀬をどよもして響いていた。遠くの方から風の渡るように響いて来る。それは近くの瀬の波頭の間から高まって来て、眼の下の一団で高潮に達しる


何とういうことはない。

附箋を剥がす(29)

ついこの間から、暫くの間「積ん読」していた『日影丈吉傑作館』(河出文庫)を読んでいる。
その中で、ちょっと気になったところを抽いておく。
「彼岸参り」(1958年)より。

前列から二番目の席にかけている、スーツを着た老婦人がスチュアデスに話しかけた。
「この前、まいりました時は、たしか……」
「この前は、いつ、お出でにになりました」
「ちょうど五年前、主人の七回忌の時に」
「ええ……でしたら、その時はまだ……この式に改良されましたのは、一昨々年からですわ」
「そうですか、あの頃は、お危のうございましたね」と、いうと、昔者らしい、スーツを着た老婦人は、あはあはと笑った。(一、P64)


割と最近、別のところで「……うございます」形式の形容詞の丁寧な言い方について書いたことがある。
その時に、「とんでもない」の理論上の丁寧な言い方「とんでものうございます」の実例を見たことがない、とも書いたのだけれども、上記の「危のうございます」が使われている同じ作品の、同じ人物の会話表現でも、やはり、「とんでものうございます」は使われていない。

「だが、なんだってタグボートを改良したんだい……」と、井ノ本はいらいらした声を出した。
「そんなに、お客が喜ぶものを、模様替えする必要はないじゃないか?」
「いえ、あなた……真空の中に出ることは禁止になったんでございますよ」と、婦人がすかさず口をはさんだ。
「禁止ですって、まさか、あなたが五年前に、政府に陳情書を出したわけじゃあ、ありますまいね……」
飛んでもございません……新聞でお読みになりませんでしたか?」
「さあ、三年前のことではね?」(一、P66)


その他、最近では「正しい言い方」とされている「……ことでございます」の例。

「自殺なんて、伝染病のようなもので、ございますね」
「そう申せましょうね……現代ではもう、精神性の伝染病以外にはなくなりましたから」
「ほんとに恐ろしいことで、ございます……はじめ、どなたか一人、試しにおやりになると、すぐ真似をする方が出てくるのですからね……はじめは学生さんでしたか、いきなりタグボートの手すりを乗りこえて、外へ飛び出したんで、ございますってね」(一、P67)

「なかには、もっと積極的なのも、いたんだよ……宇宙服を脱ぎ捨てて、ぱッと飛び出したのがある……これは生身で、いきなり真空の中に入ったから、内臓が破裂して、いっぺんにオジャンさ……そんなこんなで旧式のタグロケットは、禁止されたんだ」
「ほんとに恐ろしいことで、ございます
七十歳の中年婦人は、同じ文句を繰り返した。(一、P68)


これも、同じ作品の、同じ人物の会話である。
形容詞の丁寧な言い方は、固定的にどれが正しいと言えるものではなくて、語によって、違いがあると考えた方が良いのかもしれない。

続・昼下がりの月

もう一回だけ書いて、これで終いにする。

厳密には……」の続き、その3。

数寄屋橋のそばにあるデパートを出たところで秀一は煙草を買い、英子は、
「あ、月が出ている」
と空を見上げた。


英子にこれまで書いてきたような月に対する正確な知識があったわけではないだろう。が、昼の月が毎日見えるものではない、ということを感覚として持っているから、昼の月を見て、「あ、月が出ている」と言うのである。毎日見えるものなら、そんなことを言うはずがない。

空を見上げて、昼の月が出ていたら戻ろうと思い、見上げようとして、もし出ていなかったらと不安になって、汗ばむのかまわず歩き続けた。


作品の最後で、英子に空を見る決心がつかないのは、空を見上げても月が見えるとは限らないからである。
「昼の月が出ていたら」というのは戻るための踏ん切りである。踏ん切るためには月が出ていなければならない。が、月が見える確率は、さほど高くはない。
それがわからないでこの小説を読んでも、正しい解釈に至ることは覚束ない。

昼下がりの月

厳密には……」の続き、その2。

「戻ってくれ。たのむ」という秀一の言葉に、その選択を迫られた英子は、作品最後で、昼の月が出ているかいないかに賭けようとします。初夏の頃であり、よく晴れた昼下がりならば、昼の月は見える可能性は高かったでしょう。


この1文は、小説の結末部分について「昼の月」を絡めて説明したものだけれども、この理解はさすがに致命的である。
ここで「昼下がり」になっているのは小説の本文にそう明記されているからだが、それまでの「真昼時」がどこに行ってしまったのかは不明である。
それはまた措いておくが、「昼の月」が「晴天であれば、満月以外なら見える」のだとしたら、前者の条件は問題なく、後者の条件も29/30の確率で実現する(考慮されていないらしい新月を減算したとしても、14/15に下がるに過ぎない)から、たしかに、「可能性は高かった」と言える。それを前提として、空を見ることを躊躇する英子が、家に戻るという決断を先延ばしにしていると結論するのである。
空を見ればほぼ間違いなく見えるはずの月を見ようとしないのなら、たしかにそう思わざるを得ないだろう。が、その思い込みが間違いなのは、当ブログをご覧の方ならもとよりお判りのことだろう。

「昼下がり」――仮に午後2時として、月が見える可能性のあるのは月齢25日頃~翌10日頃の間だけである。ただしこの期間内でも新月なら見えないし、その前後の日も極めて細い月で、昼の月が見える、とは言いがたい。
また、小説の舞台になっているような都会なら、2時が月の出入の間際になる各1~2日は、建物の陰に隠れて見ることができない可能性が高いと思われる。とすれば、その時に月が見える可能性は、1/3程度しかなかったはずである。
もっと言えば、小説の内容からして半月に近い形の月が期待されることを加味すれば、多く見積っても可能性はそこからさらに半減する。
29/30(もしくは14/15)の確率に賭けようとしたと考えるか、1/3(もしくは1/6)の確率に賭けようとしたと考えるかで、作品の読みが根本的に変わることはない、とは断じて思わない。

「真昼時」?

厳密には……」の続き。

前回、月を見たのが「真昼時」だということに付き合って書いて来たけれども、そもそもこれが疑わしい。

英子が別れた夫の秀一と一緒に昼の月を見たのは、結婚指輪を誂えに出掛けた帰りである。


小説の本文には上記の通り確かに「昼の月」と書いてあり、この後にも「秀一」が「昼間も月が出るんだなあ」と言っている。
けれども、それと「真昼時」とは違うだろうと思う。「真昼時」という言葉には、正午前後の印象がある。
二人は「数寄屋橋のそばにあるデパート」を出たところで「昼の月」を見ている。
デパートの開店と同時に入ったのなら、出て来るのは「真昼時」かもしれないけれども、二人はこの後「有楽町の喫茶店」に入り、その後、姑と「指環を誂えたことを報告かたがた夕食を一緒にした」のだから、そんなに早い時間帯だとは思われない。

そもそも、「昼の月」の描写は、次のようである。

ビルの上にうす青い空があり、白い透き通った半月形の月が浮かんでいた。


半月だと明記されているのだから、月齢7日前後の頃だとしか考えられない。22日頃の月も半月だけれども、その月齢なら、月は昼前には沈んでしまう。
月齢7日なら月の出は11時30分過ぎ頃、正午には、まだ地平線からほど遠からぬ位置にある。1時間に15度ほどずつ昇る見当だから、「ビルの上」に月が見えるのは、早くて午後2時、恐らく3時頃までの時刻で、デパートでの買い物帰りに近くの喫茶店でひと息、というのに丁度良い時間帯だろう。そしてその後、姑の家に行って夕食を食べる……作者は、周到に時間を計って書いているのである。「昼の月」を「真昼時」だと思い込んで読んでいたら、こういうところが見えて来ない。

小説などの文学作品は、書かれていない(ように見えて、実は書かれている)ことまで読むと、よりおもしろくなるものである。表面的に書かれていることだけを読んでいてもそれなりにおもしろいだろうけれども、それでは少々、もったいない。

「厳密には…」

あまり厳密ではない話。

本を読んでいて、おもしろいと思うこともあればそうとは感じないこともある。
もっとも、良いにしろ悪いにしろそれ以上の感想を持つことは稀なのだが、ごく最近読んで、久々に腹の立ったものがあったので、腹立ち紛れの勢いで書いている。
書評だのレビューだのというまとまったものではなく、あまりに低次元の断片語なので、著者名や書名は割愛することとする。

ある有名な作家の、ある有名な小説に関して、こんなことが書かれていた。

昼の空にある月というものを見たことがあるでしょうか。天候や月齢によっては見えにくい時もありますが、晴天であれば、満月以外なら見えるのです(厳密には、真昼時限定ならば四分の一以上が欠けている月のようです)。


何とも、意味不明な文である。
「見たことがあるでしょうか」と読者に問いかけているのを見ると、逆に、「見たことのない人がいるのでしょうか?」と聞き返したくもなるが、当該の小説にはそういう男が出て来るのだから、それは措いておく。
まずは、「天候や月齢によっては見えにくい時もありますが、晴天であれば、満月以外なら見えるのです」というのが、どういう知識に拠って書かれているのか、不思議でならない。
「満月以外なら見えるのです」と「厳密には、……」との整合性がどうなっているのか理解しがたいこと、「月齢によっては見えにくい」ということの指し示している意味が判らないことも措いておくとして、この文を読む限り、晴天であって満月でない日であれば、1/4以上欠けた月が、真昼時には必ず見える、ということになる。
そんなはずがないことは、小学生にでも判ることである。(もっとも、国文科の大学生でも判らなかったりはするのだが……。)

言うまでもないけれども、月は、同じ月齢であれば、ほぼ同じ時刻に昇り、ほぼ同じ時刻に沈む。むろん、季節による誤差があって、厳密に考える必要のある場合にはきちんと調べる必要があるけれども、数時間に及ぶ差が出るようなことはないから、大雑把に「ほぼ同じ」と考えておいて、大過ない。
月が「四分の一以上が欠け」るのは、単純に計算して、月齢20日頃~翌11日頃の間になるだろう。
その内、「真昼時」に月が見えるのは、月齢23日頃~翌7日頃の間(むろん新月は除く)で、その期間内に真昼時に四分の一以上欠けた月が見られるのは確かだけれども、それ以外の日には、月は見えない。「晴天であれば、満月以外なら見える」ことを前提にして「真昼時限定ならば四分の一以上が欠けている」ということが「厳密」だとは、到底思われない。
そんなことは、古典を少しでも齧っていれば調べなくても判ることだけれども、判らないのなら当然調べてから書くべきだろう。

ここまでは、謂わば揚げ足取りみたようなものだけれども、もう少し大事なことが、ある。
続きは、また書く。

【10月19日】
記述が不明確なところを、若干修正した。

附箋を剥がす(28)

先日久方ぶりに読み返した、森鷗外『雁』(岩波文庫)より。

赤門を出てから本郷通りを歩いて、粟餅の曲擣をしている店の前を通って、神田明神の境内にはいる。そのころまで目新しかった目金橋へ降りて、柳原の片側町を少し歩く。それからお成道へ戻って、狭い西側の横町のどれかを穿って、やはり臭橘(かちたち)寺の前に出る。(壱、P7L-1)


別段特殊な用法でもなく、僕以外の人は誰も目に止めるはずがないようなところだけれども、列序接続の接続助詞「て」の用例。

何事にも注意深い性質の末造は、わざわざ探るともなしに、この娘が玉という子で、母親がなくて、親爺と二人暮らしでいるという事、その親爺は秋葉(あきは)の原に飴細工の床店をを出しているという事などを知った。(肆、P17L5)
「じいさんも気の毒ですよ。町内のお方にもお恥ずかしくて、このままにしてはいられないといって、西鳥越の方へ越していきましたよ。それでも子供衆のお得意のある所でなくては、元の商売ができいないというので、秋葉の原へはでているそうです。屋台も一度売ってしまって、佐久間町の古道具屋の店に出ていたのを、わけを話して取り返したということです。(肆、P19L-7)


アキハバラじゃなくて「秋葉の原」。
以前何かで、昔はアキバハラで、最近アキハバラを「アキバ」と呼ぶのは過去への回帰だというようなことが書かれていて、僕もこの例がそうだと信じ込んでいたのだが、岩波文庫に振られているルビは「アキハの原」だった。
『鷗外選集』も「アキハ」だし、初版本(復刻)も「アキハ」だった。
だから何だ、というわけでもないけれども、備忘のために記載しておく。

そのうちにこの裏店に革命的変動が起こった。例の軒下に引き入れてあった屋台が、いつもひっそりしていた家とその周囲とへ、当時の流行語で言うと、開花というものが襲ってでも来たのか、半分こわれて、半分はね返っていたどぶ板が張り替えられたり、入り口の模様替えができて、新しい格子戸が立てられたりした。ある時入り口に靴の脱いであるのを見た。それから間もなく、この家の戸口に新しい標札が打たれたのを見ると、巡査何某(なにがし)と書いてあった。末造は松永町から、仲御徒町へかけて、いろいろな買い物をして回る間に、また探るともなしに、飴屋のじいさんの内へ婿入りのあった事をたしかめた。標札にあった巡査がその婿なのである。(肆、P17L7)


観点の転換の事例。
引用1文目以降、作者の視点で書かれているのだけれども、「ある時入り口に靴の脱いであるのを見た」は末造の視点と思しい。次の「それから間もなく、この家の戸口に新しい標札が打たれたのを見ると、巡査何某と書いてあった」も末造の視点のようだけれども、その次の文は「末造は」で始まるから、作者の視点である。

この時お玉と顔を知り合ったのが岡田であった。お玉のためには岡田もただの窓の外を通る学生の一人に過ぎない。しかし際立って立派な紅顔の美少年でありながら、うぬぼれらしい、きざな態度がないのにお玉は気が付いて、何とはなしになつかしい人柄だと思い初めた。それから毎日窓から外を見ているにも、またあの人が通りはしないかと待つようになった。(拾陸、P81L4)


「なつかしい」の用例が気になって書き留めたメモ。

そのうち末造が来た。お玉は酌をしつつも思い出して、「何をそんなに考え込んでいるのだい」ととがめられた。「あら、わたくしなんにも考えてなんぞいはしませんわ」と、意味のない笑顔を見せて、ひそかに胸をどきつかせた。しかしこのごろはだいぶ修行がつんで来たので、何物かを隠しているということを、鋭い末造の目にも、容易に見抜かれるような事はなかった。末造が帰ったあとで見た夢に、お玉はとうとう菓子折りを買って来て、急いで梅に持たせて出した。そのあとで名刺も添えず手紙も付けずにやったのに気が付いて、はっと思うと、目がさめた。(弐拾、P101L-1)


以前山田美妙の例を挙げた「どきつく」。及び、「夢に」の「に」の用例。

時候が次第に寒くなって、お玉の家の流しの前に、下駄で踏むところだけ板が土に填(う)めてある、その板の上には朝霜がまっ白に置く。(弐拾壱、P109L1)


観点の転換。

僕はおりおり立ち留まって、「驚いたね」とか「君は果断だよ」とかいって、随分ゆるゆる歩きつつこの話を聞いたつもりであった。しかし聞いてしまって時計を見れば、石原にわかれてから十分しかたたない。それにもう池の周囲のほどんど三分の二を通り過ぎて、仲町裏の池の端をはずれかかっている。(弐拾参、P126L7)


助詞「に」の用例。

突然岡田の左に引き添って歩いていた石原が、岡田に言った。「君円錐の立方積を出す公式を知っているか。ない。知らない。あれは造作はないさ。基底面に高さを乗じたものの三分の一だから、もし基底面が圏になっていれば、1/3r2πhが立方積だ。π=3.1416だということを記憶していれば、わけもなくできるのだ。僕はπを小数点下八位まで記憶している。π=3.14159265になるのだ。実際はそれ以上の数は不必要だよ。」(弐拾肆、P131L1)


「π=3.1416」が気になってメモした。
しばらく前、小学校で円周率を「3」と教えていたことがあるけれども、3.14くらい、小学生は難なく覚えられるのだから、まったくバカにした話だった。それはそれとして、大正時代には小数点以下4位までがふつうだったのかもしれない。