訃報・原子朗

原子朗氏が死去 詩人、早稲田大名誉教授

原 子朗氏(はら・しろう=詩人、早稲田大名誉教授)4日、老衰のため死去、92歳。自宅は東京都練馬区練馬2の31の2。お別れの会は8日午前9時45分から同区春日町4の17の1の愛染院会館。喪主は妻、昭子さん。

宮沢賢治研究の第一人者で、宮沢賢治イーハトーブ館館長を務めた。(日本經濟新聞)


僕にとっては、日本における修辞学研究の草分け的存在で、『修辞学の史的研究』の著者だ…という認識だったのだが、いくつか見た記事にはそういうことは書かれていなかった。
が、僕はこの本は発売当初に早速買った。

『芸人式新聞の読み方』

以前に何度か書いたことがあるが、我が家では産経新聞を購読している。
産経新聞といえば、政権寄りで右方向に偏っているのは自明のことだが、それを認識してさえいれば、別段何の問題もない。そもそも、どこにも偏っていない報道機関などあるわけがないし、もし仮にあったとしたら、そんな詰らなくて役に立たないものはないだろう。
ただ、昨今の傾向として、朝日なら朝日、読売なら読売の主張を一方的に盲信して、それ以外の主張を間違いだと決め付ける傾向が強まっているように感じる。世の中に絶対的な正義なんてあるものではないのに…。

そんな中、この本は実に面白かった。

プチ鹿島『芸人式新聞の読み方』(幻冬舎)

芸人式新聞の読み方

「新聞は、キャラが違うからこそおもしろい。書いていることがばらばらだからこそ、読み比べる楽しさがある」と言う。

「「オバマすし報道」に見る読み比べの醍醐味」でオバマ大統領来日時、すきやばし次郎の高級鮨を半分残した、という記事を切っ掛けにその時の裏事情まで推測したり、SMAP解散報道や安保デモの人数の記事を読み比べたり…と、テーマは様々。
2014年のソチ五輪の報道で、日刊ゲンダイが2月8日にガキの遊びのスノボが五輪競技か、とボロクソに書いていたのに、日本勢がメダルを取った途端の13日、かつてガキの遊びとボロクソに言われた時代があったが…、と言を翻したことなど、新聞をここまでしっかり読んでいると本当に楽しいだろうと思う。
リオ五輪の閉会式の「安倍マリオ」の真相? など、かなり東スポがかった見方ではあるけれど、もしかしたらそれが正解なのかも、と思わせるところもある。

「はじめに」で、地下鉄サリン事件の際、朝日と東スポの見出しが同じになったことにショックを受けた、という話を書いているが、これはなるほど思った。
「次にまた『朝日』と『東スポ』の見出しが同じになる日がきたら、それは日本が深刻な状況になっているときだろう」というのは、なかなかに重い。

著者は、現代において人々が「疑心暗鬼」を楽しめなくなって来ていると言う。白か黒かを性急に求めるのではなく、自分の中の「正義」を疑ってみること、そしてそれを楽しめることが必要だ、という主張は、聴くべきものがあると思う。

仕事熱心

朝、電車に乗っていたら、近くに立っていた若い女性が何やら一所懸命ノートしている。どうやら仕事のシミュレーションをしているらしい。なかなか熱心だ。
見るとはなしに、ふと眼に入った一節。

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激しく指導してあげたい衝動に駆られたのだけれども、我慢した。

以上。

『わかりやすい会津の歴史』

会津土産。

『わかりやすい会津の歴史 古代・中世・近世編』

わかりやすい会津の歴史古代中世近世編

会津武家屋敷の売店で見つけて購入した。
興味の沸いたところから拾い読みしているだけだけれども、書名の通りわかりやすい。
会津に興味のない人にはほとんど価値はないかも知れないけれども、「保科」の端くれとしては、会津の歴史には興味を持たざるを得ない。
僕の知っている中国人の孔さんは、孔子の子孫だと大真面目に言っているし、孫さんは孫悟空の子孫だと(こちらは冗談混じりにだが)言っている。その根拠は、名字が「孔」とか「孫」だという以上のものではないようである。
その伝で言えば、僕と会津保科(松平)家との間に、幾許かの関係があると強弁することも、根拠が皆無だとは一概には言い切れない。
そんなこんなで、土産に選んだのである。

なお、会津武家屋敷にはこの『古代・中世・近世編』しかなかったのだけれども、「編」というからにはその続きがあるに違いない、と思って、東京に戻ってから調べて以下のものも購入した。

『わかりやすい会津の歴史 幕末・現代編』

わかりやすい会津の歴史幕末近世編

絶版のため、入手するには流通在庫を探すしかないようである。

…と、いうわけで、5年ぶりに会津に行って来たわけである。
[ 2017/04/05 23:59 ] 本と言葉 歴史の本 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

「行こうじゃないでしょうか」

しばらく前にテレビでニュースを見ていたら、某野党の党大会の映像が流れていた。
そこでは党代表が、実現して行くべき党の政策について、聴衆に呼びかけていた。
その内容はどうでも良いのだけれども、呼びかけの語尾が妙に気になった。
「…して行こうじゃないでしょうか」
この言葉には、聞いた瞬間に大きな違和感があった。

「…じゃ(では)ないか」という言い方はある。その前にある内容を強く勧誘する言い方である。
「…して行こう」ということを強く勧誘しようとするのなら、「行こうじゃないか」と言えばいいわけだけれども、それでは乱暴だと考えて、丁寧な言い方をしようと思ったのかもしれない。
が、「行こうじゃないでしょうか」はメチャクチャである。
「ない」を丁寧に言えば「ありません」である。だから、言うまでもなく、「行こうじゃありませんか」と言えば良かったのである。
「ないでしょう」も丁寧にはちがいないが、これは「ない」に対するものではなくて、「ないだろう」という推量形に対してのもので、これでは「ない」そのものが丁寧になっていない、ばかりではなく、そもそも表している意味が違う。

党内の意見対立で自分の主張を強く打ち出しにくい事情があって、ソフトにソフトに、と過剰に心掛けた結果だったのかもしれないけれども…。

「起き上がって、見ると」

「走れメロス」を読んでいて、ここをメモっておこうと思った人はほかにあるまいけれども、気になってしまったのだから仕方がない。

ふと耳に、潺々、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろと起き上がって、見ると、岩の裂目から滾々と、何か小さく囁きながら清水が湧いて出ているのである。(『走れメロス』新潮文庫、P177)


いいかげんに読んでいると、「潺々」なんていう耳慣れないことばが出て来ても、見逃してしまうものである。今まで意識した記憶がない。わざわざ調べなくても、おおよそ文脈から察しが付くからだろう。音「せんせん」、「水がさらさら流れる△様子 (音)」 の意の古風な表現。」(『新明解国語辞典』)。

それはともあれ、「起き上がって、見ると」である。「起き上がってみると」でないところがポイントで、接続助詞「て」の前後で、「起き上がる」と「見る」という別々の動作を表わしている。
このように、読点が打ってあり漢字が宛ててあれば誤解の余地がないけれども、古典の文では、こういう判断が難しい場合がある。けれども、古代語は近代語に比べて接続助詞「て」の前後を接続する力が強いから、「起き上がってみると」式ではなくて、「起き上がって、見ると」式と考えた方が良いものが多い。

たとえば、土左日記冒頭の「してみむとて、するなり」も、「書いてみようと思って」なのではなくて、「書いて(それを)見ようと思って」なのだと、僕は、考える。
そう考えると、掉尾の「とまれかうまれ、とくやりてむ」との呼応が見えて来る。書き了えて、読み返してみたら、不本意なものになっていた、だから、破ってしまおう、というのである。

「まにまに」

昨日も取り上げた『近代異妖篇 岡本綺堂読物集三』より。

普通の幽霊草といふのは曼珠沙華のことで、墓場などの暗い湿つぽいところに多く咲いてい(ママ)るので、幽霊草とか幽霊花とか云ふ名を附けられたのだが、こゝらで云ふ幽霊藻はまつたくそれとは別種のもので、水のまにゝゝ漂つてゐる一種の藻のやうな萍だ。(「水鬼」P77~78)


これ自体は何ということもないのだけれども、「まにまに」ということばを見ると、思い出すことがある。

長い学生時代の最後の頃だったか、ある先輩が、自身の師匠の論文(?)の校正をしていた。その文章が掲載される論集が、僕がアルバイトしていた出版社から出されるものだった関係で、その先輩が赤入れした校正刷りを見ることになった。
すると、源氏物語の浮舟が「波のまにまに漂って行く」というようなことが書かれていた箇所を、その先輩が「波のままに」に直しているのを見つけた。
「川の流れの」というような表現なら「ままに」でも良いかも知れないけれども、「波のまにまに」というのは小舟が波にもまれて行ったり来たりする様子を、2人の男の間で揺れ動く浮舟にたとえたものだろうから、それを「ままに」に直してしまったら台無しである。
執筆者の意図は明白で確かめるほどのことでもなく、校正者に断るのも先輩に対して語彙不足を指摘するようなのが憚られて、黙って最終校正を元の通り「まにまに」に戻して下版した。

ただそれだけのことなのだけれども、観点を変えれば、異文が生まれる原因の一つを、目の当たりにした瞬間だったと言えないこともない。

逆接の接続助詞「を」に関する断片語(3)

かなり以前、伊勢物語(第6段)にある下記の表現

女の、え得まじかりけるを、年を経て呼ばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。


の「年を経てよばひわたりけるを」について、これが「年を経てよばひわたりける(女)を」の謂で、「を」は接続助詞(逆接)ではなく、格助詞と見るべきことを書いた。

※「逆接の接続助詞「を」に関する断片語(1)(2)

先日、『近代異妖篇 岡本綺堂読物集三』(中公文庫)を読んでいて、こんな表現を見つけた。

むかしの旗本屋敷などには往々こんなことがあつたさうだが、その亡魂が祟をなして、兎もかくも一社の神として祭られてゐるのは少いやうだ。さう判つてみると、職人たちも少し気味が悪くなつた。しかし梶井の父といふのはいはゆる文明開化の人であつたから、たゞ一笑に付したばかりで、その書き物も黒髪もそこらに燃えてゐる焚火のなかへ投げ込ませようとしたのを、細君は女だけに先づ遮つた。それから社を取りくづすと、縁の下には一匹の灰色の蛇がわだかまつてゐて、人々があれゝゝと云ふうちに、たちまち藪のなかへ姿をかくしてしまつた。(「月の夜がたり」三、67~68頁)


「その書き物も黒髪もそこらに燃えてゐる焚火のなかへ投げ込ませようとしたのを」の「を」である。この「を」に準体助詞「の」が上接することからも明らかなように、格助詞の「を」で、連用修飾を表わす。
件の勢語の「を」を、そういう表現だと考えるのである。

むろん勢語には、準体助詞「の」はない。が、近代語ではこういう場合に準体助詞が必須だけれども、古代語ではそうではない。
直前の「え得まじかりけるを」も、「え得まじかりける(の=女)を」ということで、準体助詞なしに、「え得まじかりける」を体言句にしている。綺堂の文と同じ事柄を表わすのに、古代語であれば、「その書き物も黒髪もそこらに燃えてゐる焚火のなかへ投げ込ませようとしたを」という類の言い方が、可能だったのである。

さて、綺堂の文の「しかし」以降の1文で、主語は「梶井の父」だけれども、文末「遮つた」は、その述語ではない。「遮つた」の主語は、言うまでもなく「細君」である。
この文は、「しかし梶井の父といふのは…その書き物も黒髪もそこらに燃えてゐる焚火のなかへ投げ込ませようとした」と、「焚火のなかへ投げ込ませようとしたのを、細君は女だけに先づ遮つた」という別々の文としても表現しうるものを、1つの文に凝縮して表現しているのである。

勢語の文も、これと同じことが言える。
「女の、え得まじかりけるを、年を経て呼ばひわたりけり」と「年を経て呼ばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり」とが、1つの文に統合されているのである。

なお、綺堂の文を、「その書き物も黒髪もそこらに燃えてゐる焚火のなかへ投げ込ませようとしたけれども」と言い換えても、意味は、通じる。通じるけれども、むろんのこと、「その書き物も黒髪もそこらに燃えてゐる焚火のなかへ投げ込ませようとしたのを」とは、まったく別の表現である。
「年を経てよばひわたりけるを」を「言い寄り続けていたけれども」と逆接に訳出しうることと、この「を」が逆接であることとは、直接の関わりがない。そういう言い換えをしても、意味の疎通する訳文めいた別種の表現を、創り出せるに過ぎない。

鴎外の書簡

森鴎外29歳時の書簡、2月初公開 初期の創作活動知る資料

文豪の森鴎外(1862~1922年)が29歳の時、作家で劇評家の饗庭篁村(あえば・こうそん、1855~1922年)に宛てて書いた全集未収録の書簡1通が4日までに見つかった。東京都の文京区立森鴎外記念館が昨年夏に都内の古書店から購入、2月2日から初公開する。

この頃の鴎外の書簡は全集でも収録数が少ないといい、記念館は「鴎外の初期の創作活動を知ることができる貴重な資料だ」としている。

書簡は1891年2月27日付で、巻紙に毛筆で書かれている。鴎外の留守時に家を訪ねて来た篁村に対し、「今日おん目にかくべかりしにと遺憾」と記し、書き上げたばかりの原稿を見せたかったと残念がっている。

書簡に出てくる原稿は「朗読法につきての争」と題され、鴎外が主宰する文学評論雑誌「しがらみ草紙」18号(同年3月25日発行)に掲載された。篁村らが東京専門学校(現早稲田大)に設けようとしていた「和文朗読法の科」に鴎外が賛同するとの内容だ。

鴎外は88年、4年にわたるドイツ留学から帰国。90年には小説「舞姫」を発表するなど、軍医として勤務する傍ら、文学活動に本腰を入れ始めた時期に当たる。(日本経済新聞)


未知の書簡が発見されて、鴎外の文学の読みが変わると考える立場には立たないけれども、とはいえ興味深い発見である、とは思う。

『平安時代大全』

山中裕著『平安時代大全』(KKロングセラーズ)

平安時代大全


神田三省堂で平積みになっていたので見付けて購入した。
著者は物故者だから、過去に出されていた書籍の改題再刊だとは思うのだが、あとがきや附記などがないのでどういう素性の本なのかは判らない。
「年中行事」「後宮の女性」「皇族・貴族」「人物」「冠婚葬祭」「風俗文化」「宗教」「文学」「荘園」の各項目に分けて、判りやすく説明されている。専門的なものではないけれども、類書がそれほど多いわけではないから、入門としては悪くはないだろう。
この手の本では定番の「コラム」があり、割に役に立たないものであるのがこれまた定番なのだけれども、本書に収められているものは結構しっかりしたものが多い。
本書の大半は下請の分担執筆だろう(これは批判ではなく、それが通常だの謂)けれども、コラムの中のいくつかは山中先生ご自身が書かれたものなのではないか、という気もする。
[ 2016/12/20 22:47 ] 本と言葉 歴史の本 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△