『魯迅選集』

以前から欲しいと思っていた、岩波の新書版『魯迅選集』全13巻を買った。
学生時代からあまり行くことのなかった巌松堂…が今では澤口書店になっていたのは、三友亭主人さんのブログで教えられた…の店頭にて。
以前からあちこちで見かけることがあって、3〜5,000円程度だったから買えないことはないと思いつつ、とはいえ全巻通読する自信のないものにそれだけのお金を使うのも…と手が出ずにいたのだが、それよりかなり安い値段で見付けたので購入した。金1,500円也。
でも、あまりにも忙しくて読んでいる時間がない。それで、備忘のために書き付けておく。

なお、澤口書店では、安い買い物だけれどもドリンク無料券をくれた。

『火星年代記』

娘(中2)が何か読む物はないか、と言っていたので、こんなのはどうかと思って書庫(と称する物置)から拾い上げて来た。

レイ・ブラッドベリ『火星年代記』

火星年代記 (ハヤカワ文庫 NV 114)

僕も中学生の頃に読んだ、と思って取って来たのだが、奥付を見ると1988年の版、大学生の時だった。とんだ記憶違い。
それを娘に読ませるのも何だし、娘もまるで興味なさそうだったので、僕が久しぶりに読むことにした。

SFを文学の域に高めたと言われるブラッドベリの代表作。
あまりにも有名な作品だから、中身を説明しても仕方がないのだが、ひどく大雑把に言うと、タイトルの通り、地球から火星に人々が移り住み、その後どうなったの年代記である。
若い時に何度も繰り返し読んだものではあるものの、すっかり忘れていたところもある。
「2005年4月 第二のアッシャー邸」もその一つ。この話自体は鮮烈な記憶に残ってはいたのだけれども、この作品に収められていたことは忘れていた。
「年代記」としての一貫性は持ちながらも、オムニバス形式だから、それぞれの話にそれぞれの性格があって、飽きさせない。
最終章「2026年10月 百万年ピクニック」のラスト・シーンは、何度読んでも素晴らしい。

原書の発売は1950年、火星に初めて人類が訪れたのがその49年後の1999年ということになっている。2005年には核戦争が勃発し、2026年に地球は滅亡する。
とすると、現在の地球は、核戦争の真っ最中で、火星からもほとんどの人が退去している状態になっているはずであるが、実際には、残念ながら人類は火星に到達していないし、幸いなことに核戦争も始まっていない。
1997年に改訂版が発売されて、物語の開始が2030年に変更され、そのほかにも若干の加除があるらしい。
その内、入手して読んでみるとしようか。

『水妖記』

フーケー『水妖記(ウンディーネ)

水妖記―ウンディーネ (岩波文庫 赤 415-1)

ドイツといえば森と湖…というステレオタイプなイメージしか持ち合わせていない僕にとって、これぞまさにドイツの物語である。
魂のない水の精ウンディーネが、人間の男と愛によって結ばれることによって魂を得たいと願ったことから起こる、美しく悲しい物語。あえて変な言い方をすれば、鷗外の『うたかたの記』が嫌いでなければ、読んでみても損はないだろうと思う。

フーケーは、前に取り上げたシャミッソーの『影をなくした男』の成立に大きく関わった人物である。それで、興味を惹かれて読んだ。ドイツ後期ロマン派の一人で、ずいぶん人気があった作家のようだが、現在ではこの作品以外、ほとんど知られていない。

『影をなくした男』

学生時代、もう20年以上も前に読んだ本なのだが、先日、僕の本棚から娘が探し出して来て読み始めたので、懐かしくなって娘が読んでいないスキに久しぶりに再読した。

シャミッソー『影をなくした男』

影をなくした男 (岩波文庫)

最初にこの本を読んだ当時、安部公房の「バベルの塔の狸」はきっとこの作品の影響を受けたのだろうと思った覚えがあるのだが、今回読み直してみて、もしかしたら藤子・F・不二雄もこの作品の影響を受けたのかもしれないと思った。学生時代よりも今の方が、ドラえもんが身近にある生活を送っているということだろうか。

それはともかくとして、自分の影を「幸運の金袋」と取り替えてしまったペーター・シュレミールの数奇な半生を描いた作品。
影をなくしてしまうことがどれほど大変なことなのか、国の違いか、時代の違いか、はたまた個人の素養か、あまり実感することができないものの、影をなくしたことによる悲劇は身につまされるし、後半に至ってシュレミールはこれからどうするのか、と思った矢先の話の飛躍ぶりも、それはそれでなかなか楽しむことができる。

なお、本書が刊行された1814年は本邦では文化11年。『東海道中膝栗毛』とほぼ同時代の作品ということになる。
原文で読め(れ)ば古臭い文体で書かれているのかもしれないけれども、池内紀の訳のお蔭か、時代を感じさせることもなく、あっという間に読み了えることができる。

大人でも子供でも、読んで損はないだろう。

『海底二万里』

ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』(上・中・下)

海底二万里〈上〉 (偕成社文庫)  海底二万里〈中〉 (偕成社文庫)  海底二万里〈下〉 (偕成社文庫)


SFの古典的作品として名高いこの作品、何が驚くといって、発表されたのが1870年、日本で言えば戊辰戦争が収まってさほど間もない明治3年、まだちょんまげ姿の人々が闊歩していた頃だということである。

本邦はさて措くとしても、Wikipedia によれば、フランスで人力以外で推進する潜水艦が登場したのが1864年のこと、そんな時代に、電気駆動で推進する超高速巨大潜水艦で世界一周しようとしているのである。
実際に電気駆動で推進する潜水艦が登場するのは遙か後の1888年だそうである。その想像力たるや、現代人が火星旅行をする程度のものではなかっただろう。

そんな空想力溢れるストーリーがこの作品の魅力なのには違いないのだが、もうひとつ、アロナクス教授の助手コンセーユの口から語られる博物学の知識も見逃せない。ストーリー展開にはかならずしも必須とは言えず、かつ、あまりの多さに辟易する向きもあるかもしれないが、これが作品の面白みの一つになっていることは間違いない。

難しそうな本でも読みこなしていく小3の息子に買って来たのだが、これはさすがに難し過ぎる。偕成社文庫に収められているとはいえ、到底子供が読みこなせるようなものではない。
それで、僕が読んだ次第である。

訃報・竹内実

中国研究の竹内実氏死去 京大名誉教授、90歳

現代中国研究の第一人者で、京都大名誉教授の竹内実(たけうち・みのる)氏が7月30日、京都市の病院で死去した。90歳。中国山東省生まれ。葬儀は近親者で行う。

旧満州などで育ち、東京・二松学舎専門学校(現二松学舎大)在学中に学徒出陣。戦後、京大で中国文学を学んだ。東京都立大(現首都大学東京)で教えていた1960年、作家野間宏さんらと中国指導者の毛沢東に会見。65年の共著「毛沢東 その詩と人生」で詩人としての面に光を当てるなど、毛沢東研究で注目された。文化大革命を批判的に考察した68年の論文「毛沢東に訴う」も話題となった。

75年、京大人文科学研究所教授。86年所長に就き、翌年退官した。立命館大や北京日本学研究センターの教授も務めた。

中国社会の基底に、時代を超えて流れる思想や風土を考察。古今の文学や歴史を踏まえて総合的文脈で分析した現代中国論は、高く評価された。(中國新聞)


母校(京都ではない方)の誇るべき大先輩で、たぶん僕の恩師の同級生である。もし違ったとしても、ほぼ同時期に両校に在籍していたのは間違いない。
もっとも、他のほとんどの記事には京大以降の経歴しか載せられていなかった。そう言えば、学生時代、恩師以外の人の口から「竹内実」の名前を耳にしたことはなかったように思う。宣伝が足りんよ。

『聖なる酔っぱらいの伝説』

ヨーゼフ・ロート『聖なる酔っぱらいの伝説 他四篇』

聖なる酔っぱらいの伝説 他四篇 (岩波文庫)

暫く前に新刊が平積みになっているのを見て、タイトルに何となく惹かれて購入した。
著者は、ナチスの台頭により亡命生活を送った放浪のユダヤ人作家だそうである。
まったく知らなかった作家だし、正直なところ、5篇の短篇の内には何だかまるで理解できないようなものもあって、読み了えるまでに大分時間を要してしまった。
ただ、共通しているのは、場面転換の妙と言えるだろうか。嵌ってしまえば、次々に移り変る展開に、息付く暇もなく読み進んでしまう。嵌り損ねると、随いて行けずに時間が掛かってしまうのだが…。
借りた金を聖女テレーズに返そうとしながらその金で飲んでしまう酔っ払いを描いた表題作と、オーストラリア鉄道の駅長の数奇な運命を描いた「ファルメライヤー駅長」は、嵌ってしまった方の例である。
何より、池内紀の訳が良い。

『宇宙戦争』

H.G.ウェルズ『宇宙戦争』

宇宙戦争 (偕成社文庫)

子供向けの宇宙の本のコラムに、アメリカでラジオドラマが原因で「火星人が攻めて来た」と大騒ぎになったことがある、と書いてあるのを小学2年の息子が読んで、ことのほかウケていたので、この機会に、と思って買って来た。
僕も子供の頃に読んで大層面白かった覚えがある。とは言え、元々子供向けに書かれたわけではないから、改めて読んでみるとけっこう難しい。2年生ではまだ無理か、と思ったのだが、息子はどんどん読み進んで、アッという間に読み了えてしまった。どこまで理解できているかは判らないが、かなり細部まで覚えていたし、良かったと思うところもあったようである。全部が判ったわけではないにしても、面白かったことは間違いないようである。

内容は周知だろうから語るまでもない。ここで書こうと思ったのは、本書が子供向けの叢書に収められているものであるにもかかわらず、訳文に子供に阿ったようなところがないことである。活字が大きめでルビが多めだということを除けば、大人が読んでも違和感がない。とは言え、けっして難解ではない。2年生の息子も読んだけれども、大人の僕も読んだ。中学生の娘は、これに続いて買って来た『透明人間』の方に興味を示しているが…。
いずれにせよ、かなり幅広い年齢層が読むことのできるものだろう。

ところで、この作品の原題は "THE WAR OF THE WORLDS"。最初、僕の拙い英語の知識で、それでは「世界戦争」ではないかと思ったのだが、WORLDSというのがミソで、地球の世界と火星の世界との戦争、ということなのだろう。それを『宇宙戦争』としたのは、Wikipediaによれば1963年の宇野利泰訳が最初のようだが、名訳だと言って良いだろう。

訃報~レイ・ブラッドベリ

「火星年代記」の米作家ブラッドベリさん死去
【ロサンゼルス=西島太郎】AP通信によると、米国を代表する作家、レイ・ブラッドベリさんが5日、カリフォルニア州ロサンゼルスで死去した。

91歳だった。死因は明らかにされていない。

1920年イリノイ州生まれ。SF、怪奇、幻想小説など幅広い作品を手がけた。詩的で叙情豊かな作風が人気を呼んだ。代表作の長編「火星年代記」は、日本を含む世界30か国以上で出版された。このほか、「華氏451度」、短編集に「黒いカーニバル」、「刺青の男」、「ウは宇宙船のウ」などがあり、47、48年に2年連続でO・ヘンリー賞を受賞した。(YOMIURI ONLINE)


R・ブラッドベリ氏が死去、「火星年代記」の米SF作家
「火星年代記」や「華氏451度」などで知られる米SF作家レイ・ブラッドベリ氏が5日、ロサンゼルスで死去した。91歳だった。

米出版社ハーパーコリンズの広報担当は、「ブラッドベリ氏は長らく患っていた病気の末、安らかに息を引き取った」と明らかにした。

イリノイ州ウォーキーガンに生まれ、父親の求職で10代にロサンゼルスに転居。大学には進まず、図書館で読書をするなどして独学で知識を身に付け、雑誌向けに執筆活動を始めた。

出版した500点以上の作品には、単なるSF作品の要素だけでなく、文学的なセンスも盛り込まれ、1953年発表の「華氏451度」では未来社会における書物の検閲が描かれた。(朝日新聞)


SF作家のレイ・ブラッドベリさん死去 「火星年代記」
「火星年代記」「たんぽぽのお酒」など文芸の香り高い作品で知られ、SFの叙情詩人と称された米国の作家レイ・ブラッドベリ氏が5日、ロサンゼルスで死去した。91歳だった。死因などは不明。
高校を卒業後、新聞売りをしながら各種雑誌に作品を投稿。1947、48年とO・ヘンリー賞を受賞し、短編の名手の名声を獲得した。
地球人の火星探検、植民記「火星年代記」(50年)では想像力と文章家としての力を見せた。短編集「10月はたそがれの国」(55年)、「たんぽぽのお酒」(57年)など、現代と未来、現実と空想の間を自在に行き来する詩的な幻想性に満ちた小説で読者を魅了した。「(SFとは)いまだ建たない都市について、その歴史を書くこと」を持論とし、長編「華氏451度」(53年)では、情報を徹底的に国家が管理し人々の自由な読書をも禁じた未来社会を描いた。トリュフォー監督によって映画化され、日本でも公開された。(BOOK asahi.com)


訃報:レイ・ブラッドベリさん91歳=米SF作家
AP通信などによると、SF小説の古典的名作「華氏451度」などで有名な米国のSF小説の巨匠、レイ・ブラッドベリさんが5日夜、ロサンゼルスで死去した。91歳だった。ブラッドベリさんの娘アレクサンドラさんが6日、明らかにした。長く闘病生活を送っていたが死因は不明。

ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)は「現代のSF小説を小説の主流に押し上げた」とたたえた。

1920年、米イリノイ州生まれ。少年時代から雑誌に投稿、米ソ冷戦や子供のころの夢から着想を得て多くの作品を書き上げた。地球人の火星探検・植民をテーマとした「火星年代記」などで名声を確立。(毎日jp)


ちなみに、最初の記事にある「ウは宇宙船のウ」の原題は、"R is for Rocket"。ほかに、「スは宇宙(スペース)のス」("S is for Space")なんてぇのも、ある。

『秘書綺譚』

ブラックウッド『秘書綺譚 ブラックウッド幻想怪奇傑作集』

秘書綺譚: ブラックウッド幻想怪奇傑作集 (光文社古典新訳文庫)


冒頭の一篇、「空家」は、次のように始まる。

ある種の家は、ある種の人間と同様、のっけから邪悪な性格を示している。


のっけから引き込まれる一文である。
「幻想怪奇」の内容を紹介したところでまるで意味がないので、止めるけれども、最初に引き込まれたまま、一気に読んでしまえる面白さである。
表題作のような、やや猟奇的な内容のものもあるけれども、多くはもっと心理的な怪奇小説である。
むろん、僕の好みだから、万人におススメできるわけではないが。

裏表紙の書籍紹介に、「芥川龍之介、江戸川乱歩が絶賛したイギリスを代表する怪奇小説作家」とあった。それで、興味を持って購入したのだが、読んでみて、さもありなん、と思わせるものはある。
(芥川の文章は、読んだことがあるはずだがまったく覚えていなかった…。)

ところで、本書が収められている光文社古典新訳文庫のキャッチ・コピーは「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」である。僕は、このコピーが好きではない。
『罪と罰』の中村白葉訳が、「いま、息をしている言葉」だとは感じられないのだとしたら、それは残念なことである。それが、僕がこのシリーズをあまり手にしていない理由なのだが、それはそれとして、なかなか面白い本を出しているのは間違いがない。