春の兆し

やや気温の寒い日が続いているが、それでも春の兆しが見えないこともない。

我が家で育てている苺が開花。
大して手も掛けていないが、もう暫く経つと、子供の楽しみ程度には実生する。

春の兆し・苺

まだ桜は咲いていない。けれども、近寄って見ると蕾がだいぶふくらんで来ている。

春の兆し・桜&東京スカイツリー 春の兆し・桜

あまりありがたくない兆しだが、今やこれも春の風物詩である。
この時期、雨が降ると、あちこちに黄色っぽい『何か』が付着する。「放射能ではないか?」という問い合わせが殺到したという、あの謎の物質である。
これまで、黄色いから黄砂だと思い込んでいたのだが、どうやらスギ花粉らしいことが、昨今の報道で判った。

春の兆し・花粉

僕は今のところ花粉症にはなっていないのだが、東京の空をこんなに花粉が飛んでいるのかと思うと、それだけで花粉症になりそうな気がする。

オマケ。
カワウが大きな魚を捉まえていた。倍率の低いデジカメで撮った画像をトリミングしているので何だか判らないだろうが、珍しかったので…。

カワウ

(Panasonic LUMIX DMC-LX3)
[ 2011/03/26 16:44 ] 自然・季節 草花 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

「女に別れる」(続)

以前、ちょっと変わった「に」の使い方について書いた。その続き。
その時と同じく芥川龍之介の小説から。

ではお君さんが誰かの艶書に返事を認めたのかと思ふと、「武男さん御別れなすつた時のことを考へると、私は涙で胸が張り裂けるやうでございます」と書いてある。(『葱』)

彼はこの寂しさに悩まされると、屡山腹に枝を張つた、高い柏の梢に上つて、遥か目の下の谷間の景色ぼんやりと眺め入る事があつた。(『素戔鳴尊』)

お蓮は目を外らせた儘、膝の上の小犬からかつてゐた。(『奇怪な再会』)

別れた一粒種の子供、――廉一も母が血を吐いてからは、毎晩祖母と寝かせられた。(『庭』)


最初と最後の例は、「と」と言った方が現代では通じやすいし、あとの2例は「を」というのが適当だろう。先のエントリで説明したように、動作の対象を示す用法である。
「別れ」た対象が「武男さん」であり、「眺め」た対象が「谷間の景色」であり、「からか」った対象が「小犬」であり、「別れ」た対象が「父」なのである。

さて、このほかにも、ちょっと変わった「に」の用法がある。

「御安心なさい。私は何もあなたの体に、害を加へようと云ふのぢやありません。唯、あなたがこんな所、泣いてゐるのが不審でしたから、どうしたのかと思つて、舟を止めたのです。」(『素戔鳴尊』)

「明日からだ。お前は、――あすこ何をしてゐたんだ?」(『お律と子等と』)

茶の間はやはり姉や洋一が、叔母とひそひそ話してゐた。(『お律と子等と』)

「これは五味溜めの所、啼いてゐた犬でございますよ。…」(『奇怪な再会』)

犬は彼等が床へはひると、古襖一重隔てた向ふ、何度も悲しさうな声を立てた。(『奇怪な再会』)

何でも日清戦争中は、威海衛の或妓館とか、客を取つてゐた女ださうだが、…(『奇怪な再会』)

息苦しい沈黙の続いた後、かう云ふ声が聞えた時も、敏子はまだ夫の前、色の悪い顔を背けてゐた。(『母』)

おれは浜べじだんだを踏みながら、返せ返せと手招ぎをした。(『俊寛』)

勿論江木上等兵も、その中四つ這ひを続けて行つた。(『将軍』)

良平は二十六の年、妻子と一しよに東京へ出て来た。今では或雑誌社の二階、校正の筆を握つてゐる。(『トロツコ』)

しかしこの約束を守らなければ、(突然真面目に)「いんへるの」の猛火に焼かれずとも、現世罰が下るはずです。(『報恩記』)

当主はそれから一年余り後、夜伽の妻に守られながら、蚊帳の中息を引きとつた。(『庭』)


これらは、いずれも「で」とあれば判りやすい。「こんな所、泣いてゐる」とか、「あすこ何をしてゐた」のように。が、これも「に」の用法のひとつで、動作の場所を示すものである。
古典における一例を上げれば、こんなものである。

さる折しも、白き鳥の、嘴と足と赤き、鴫の大きさなる、水の上游びつつ、魚を食ふ。(『伊勢物語』9段)


「白き鳥」(後に「都鳥」と判明する)が、泳いでは魚を食べるという動作を行なっている場所が、「水の上」だということで、これを訳せば「水の上」ということになる。

では、こういう用法が、現代では通じないものなのか、というとそういうわけではなく、『ヴェニス死す』(トーマス・マン)などと同じような言い方である。
もっとも、これは「死す」という文語調の動詞だから成り立っている表現だとも言える。『ヴェニス死ぬ』なら、変な感じがするかもしれない。「死ぬ」であれば、『ヴェニス死ぬ』でないとちょっとおかしい。むろんそんなタイトルでは名作の感じがしないけれども…。
もっと一般的な例で言えば、「東京暮らす」などという言い方もある。ちょっと古風な言い方で、「東京暮らす」と言うのがふつうだけれども、「に」では通じないというわけでもない。

現況(2)

平素の日常を取り戻しつつあるものの、日々、何かと起こらないこともない。
それで、以前のようなブログに戻ると書いたものの、なかなか戻り切れずにいる。

報道を見聞きして、東京では買い占めによる物不足で相当苦労しているのではないか、ということで、関西にいる知人から、必要なものがあれば送る、という連絡があった。日頃からそれほど密に音信を交わしているわけではないのに、難有いことである。

ただ、前にも書いたように、今のところさほど苦労はしていない。
我が家の近所にも、ある物なら何でも見境なく根こそぎ買って行くおばさん(イナゴおばさんと命名)はいるし、コンビニの棚もスカスカには違いないが、我が家の生活には、あまり影響は出ていない。

販売数量制限をやっている店は少なくないが、まったく買えないというわけでもない。元々その範囲内でしか買うつもりがなければ困らない。そして大抵の場合、普段ならその範囲内でしか買うことはない。
もしそれ以上必要なことが稀にあったとしても、商店街の店の数量制限はイナゴおばさん対策のもので、馴染客はその適用を免れている。パンにしろ米にしろ牛乳にしろ納豆にしろ、中には流通量の細っているものもあるようだけれども、まったく手に入らなくて困っているものはない。実際困っている人に対して申し訳ない気がするくらい、我が家では支障が出ていない。

総じて見れば、東京の暮らしは、普段より不便なのには違いないけれども、生活に支障が出るほど困っていないはずである。それが、関西でテレビを見ている限りでは、東京は大混乱で、イナゴおばさんが跋扈していて必要な物品が何も手に入らない状況に陥っているように感じられたようである。これでは悪く言えば、マスコミがチェーンメールを流しているようなものである。そして、その報道を見た人が、スーパーやコンビニの棚の状態を見れば、買い占めたくもなる。

むろん僕の場合、生活の範囲が23区内にほぼ限られるから、特に条件が良いのは間違いない。同じ東京と言っても、大変な苦労をしている方や地域があるかもしれない。が、少なくとも我が家では、それほど不自由な思いをしてはいない。昨日、東京都庁まで、被災地への救援物資を持って行った(もちろんほんの僅かな、我が家で不要なものが役に立つのであれば、という程度のもの)くらいである。ほかにもたくさんの人が来て大量の物資を持ち込んでいたから、その人たちは少なくとも、ご同様に現状の生活には困っていないものと思われる。

このブログを見て、東京都民が誰一人困っていないと思われたとしたら、それは間違い(計画停電の対象地域に当っているかどうかだけでも、だいぶ違いはある)だが、これはあくまでも個人が、(それほど広くない範囲の)個人に向けて書いているものである。言ってみれば、僕の知人に対して、我が家は大丈夫、という情報を発信しているに過ぎない。何かの加減でたまたま辿り着いてしまった方も、そのくらいのつもりで、お読み願う。
[ 2011/03/20 09:45 ] | コメント(2) | TB(0) |  TOP△

スーパーマーケット

どうも商店街には元気がない。スーパーマーケットに押され気味である。
が、我が家では、スーパーにも行かないことはないけれども、生活必需品の多くを、商店街の店や、トラックで売りに来る業者など、言ってみれば小さな専門店で賄っている。

ここのところ、いろいろな物の買い占めで、食べ物が手に入りにくくなっている。パンだの牛乳だのが、けっこう売り切れになっているようである。コンビニ(これもあまり行かないが)に入っても、食料品の棚はガラガラである。首都圏では、そんなに食糧事情は逼迫していないはずだが、強迫観念があるのだろう。
そんな中、スーパーでない、ふつうの小さな店は貴重な存在である。もちろん、小さな店の方が流通量が多いなどということは断じてない。ないものはない。むしろ少ない。が、小さな店には、小さな店にしかない良さがある。

先日、家内が行きつけのパン屋に行くと、食パンがすべて売り切れ(売約済み含む)になっていた。そのこと自体は、スーパーと同じである。売るものがないので、店の奥さんが、来た客を謝って帰していた。仕方がないので家内も諦めて帰ろうとすると、身振りと目配せで「ちょっと待って」と合図される。他の客が帰ると、売り切れたはずのパンが2斤出て来た。予約していたわけではないのだが、たぶん今日来るだろうと思って避けておいてくれたのである。こんなことは、スーパーでは起こらない。売り切れたら、それまでである。

牛乳は、トラックで売りに来る業者から買う。スーパーの特売品よりは高いが、通常品と比べれば、それほど高いわけではなく、しかもおいしい。
以前は1区画くらい先に停車していたのだが、今では我が家だけのために、我が家の建物の前に止まってくれる。決まった日のほぼ決まった時間に来るのだが、外出していて買えない時もあるから、毎回絶対に買っているというわけではないのだが。
11日に、家内が買おうと思って家を出た時に、地震が発生した。家に子供を残して出たところだったので、揺れが収まるとすぐに家に戻った(本当はすぐに戻りたかったのだが、揺れが激しくて動けなかったのである)から、その日は買うことができなかった。そしてその次の時には、外出していて買えなかった。
それで牛乳が切れて困っていたところ、その日の晩、御用聞きに来てくれた。ふつうはそんなことはありえないのだが、地震の日から続けて顔を見せないから、心配してくれたのだろう。しかも、時間的に考えて、ひと回り商売を終えた後で、わざわざ戻って来てくれたようである。もちろん帰り道と逆方向ではないだろうが、それにしても非常に難有かった。
ネットスーパーなら、宅配はしてくれるが、それは注文をするからで、けっしてこちらの事情を忖度して来てくれたりすることはない。

それでも、スーパーで買う人の方が、圧倒的である。スーパーで買い物をする人の多くは、「安いから」を理由にする。
たしかに、広告を見ると、商店街の店より安いものが掲載されている。が、本当にスーパーの方が安いのか?

肉屋。
スーパーの特売品よりは高い。だが、通常品と比べれば、大した違いはない。そして、スーパーの通常品と比べると、素人目に見ても、格段に物が良い。
それだけではない。たとえば100g200円の肉を300g買ったとする(値段は判り易い適当な数字である。普段買う肉は本当はもっと安い)。〆て600円也。これはスーパーでも同じである。目方をオマケしてくれるわけでも、値段をオマケしてくれるわけでもない。きっちり300g、きっちり600円である…のだが、渡される肉が、100g250円のものだったり300円のものだったりすることが、しばしばあるのである。もちろん請求される金額は、注文した通り、100g200円のまま。肉じゃがを作ろうと思って買って来た牛肉を見たら、あまりにもおいしそうだったので、メニューを急遽焼肉に変更したことさえある。
稀にステーキ用の牛肉を買ったりすると、これがもっと大変なことになる。だいたいそんなもの、何かのお祝いか、来客でもなければ買うことはない。それが判っているので、ご主人も、相当に奮発してくれるのである。頼んだもの(普通の「ステーキ用」)の2ランクぐらい上の「特上肉」なんていうものが、来たりすることもある。結果、客が、「こんなおいしい肉は食べたことがない」と言って帰って行く。お世辞も混じっているにせよ、本当に、ふつうならとても買えないような高級な肉が食べられたりするのである。もちろん、こういうことはごくごく稀にだが。
だから、我が家では、焼き肉屋へ行く気などは、まるで起こらない。

魚屋。
たしかに安いということはない。ご主人が、良い物しか仕入れないというポリシーを持っているから。だが、それだけに、スーパーの特売の魚とはわけが違う。本当においしい魚が食べられる。僅かな価格の差で、格段の品質の差のものを得られるのだから、けっして高いとは思われない。そもそも、魚1匹の値段が違うとはいえ、その1匹の大きさも、相当に違うのである。さらに、タイのアラだとか、フグの煮こごりだとか、商品ではないので値段はないものの、売るとすればそこそこしそうなものをしばしばオマケで付けてくれたりすることを考えると、価格にさほどの違いはないように思う。
それに、来客があったりした時に頼むと、まるで料亭のように、刺身をきれいに皿に盛り付けてくれる。しかも定休日であっても対応可。
余談だが、アンコウという魚は、吊るさないと捌けないものだと聞いた覚えがあったのだが、ご主人によると、そんなことはないという。ご主人曰く、吊るさないと捌けないのは、包丁を使う技術がないからで、きちんと包丁が使えれば、床に新聞紙でも拡げてその上に置けば、難なく捌けるのだそうである。まだ若い人だけれど、そういうプライドを持っている。

スーパーなら、一度でいろいろな買い物が済む、というメリットはある。上記の肉屋と魚屋はちょっと離れた所にあり、両方いっぺんに行こうとするとけっこう遠回りにはなる。が、肉と魚を同時に食べようとは思わないから、そのことに不便を感じたことはない。それに、肉屋の帰りには米屋に寄ることもできるし、魚屋の行き掛けに薬屋に寄ることもできる。さらに、どうしても行かれない時には、電話一本で、気前よく配達してくれる。もちろん配達料金などは掛からない。

問題があるとすれば、肉屋のご夫婦がやや高齢であることと、魚屋のご主人が、市場が築地から移転したら廃業する、と息まいていることくらいである。

で、何が言いたかったのかというと、日ごろから小さな店で買い物をしていると、何かあった時に何かをしてくれることがある、ということである。商店街を、馬鹿にしたものではない。
[ 2011/03/16 14:14 ] | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

今日、喫茶店で…。

今日、喫茶店で休憩しようと思って席に着くと、隣に坐っていたオジサンが突然話しかけて来た。
コンビニかどこかで買ったらしい産経新聞に載っていた福島原発の水素爆発の写真を示して、これが一番はっきり写っているということから始まって、今福島で起こっていることは…、官房長官の資質が…、政府も自民党も…、国民は声を上げなければ…etc. 矢継ぎ早に喋り始めた。
件の新聞は我が家で購読しているのと同じものだから、その写真などオジサンより6時間も前に既に見ていた、ということは措いておくが、そう思うのならまずはアナタが声を上げるべきだ、そうでないならそんな興味本位のインチキ評論など何の役にも立たない…とは口にしなかったけれど、不快なので遮ってその後無視した。

自分の目の前で起こったことを語るのなら、それがたとえ小さなことでも、少なくとも自分にとっては意味があるし、結果として他人の役に立つこともあるかもしれない。が、新聞の記事だのテレビの解説だので手に入れただけの知識をしたり顔でひけらかすことに、何かの意味があるとは思えない。それが、不快の原因である。(オジサンに、確固たるバックボーンがあって語っている可能性が、皆無だとは言えないかもしれないが、もしそうなら、見ず知らずの僕に喫茶店で話しかけるようなことはよもあるまい。)

僕がこの震災について何か語ったとしたら、同じような不快感を、誰かに与えてしまわないものでもない。だから、身の回りに起きたことを除き、語ることはするまいと思う。僕には、それ以外のことを語る何物もないからである。
そういうわけで、次回から、これまでと何の変わりもない、どうでも良いようなブログに戻ることにする。こんな情勢の中、何を能天気な、と思われたとしても、それはそれで致し方ない…という言い訳である。
[ 2011/03/15 21:23 ] | コメント(2) | TB(0) |  TOP△

"Deja Vu"

今日のBGM。

Crosby Stills Nash & Young "Deja Vu"
  ~クロスビー,スティルス,ナッシュ&ヤング『デジャ・ヴ』


デジャ・ヴ

 And leave us helpless,helpless,helpless
 Helpless,helpless,helpless
 Helpless,helpless,helpless
 Helpless,helpless,helpless
 Helpless,helpless,helpless ... (Helpless)
[ 2011/03/14 23:38 ] 音楽・映像 洋楽 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

現況

昨日は東京の交通機関が麻痺していたので、職場から3時間弱掛けて歩いて帰宅した。もっとも、道が混んでいなければ(徒歩では普通使わないことばである)、30分以上は早く着くはずの道程である。
バスを乗り継ぐという手もなくはなかったが、乗り場は長蛇の列で、何時になったら乗れるのやら判らないので断念した。帰宅してからニュースを見たら、道路の渋滞が激しく、車は動かなかったようである。やはり歩くに如くはなかったわけである。
まさか歩いて帰宅することがあるとも思ってはいなかったが、万一の際に通るべき道は判っていた。これが判っていなければ、歩く決断は容易に付かなかったかもしれない。途中で交番を幾つか通過したが、どこでも、自分の帰るべき道を尋ねる人でいっぱいだった。
我が家では大きな被害はなく、小さめの本棚が1つ倒れたことと、机の上に置いてあったあれやこれやが落下したことと、ガスが止まったことくらいである。テレビは、半ば覚悟していたのだが、耐震のシールが極めて強力で、何ともなかった。
本棚は、そのままにしておいては歩けないので、仕方がない、昨夜の内に元に戻した。机の上のあれやこれやは、元々整頓されていないので、落ちたところで大した違いはない。ガスは、メーターが振動に反応しただけなので、今朝、手動で復旧させた。落下したもろもろの中にはプリンターとデジカメもあるのだが、今のところ問題なく作動しているから、ほぼ実害はなかったと言える。

亡くなられた方や、避難生活を余儀なくされている方の多い中、何事もなかったことを書くのも不謹慎な気がしないではないのだが、知人の方が、心配して(と思うのだが)当ブログを見に来てくれているようなので、現況の報告として書くのである。
[ 2011/03/12 16:03 ] | コメント(2) | TB(0) |  TOP△

「ゑらぐ」

芥川龍之介の『素戔鳴尊』より。

女たちの或者は、玉を飾つて琴を弾いた。又或者は、盃を控へて、艶かしい恋の歌を唱つた。洞穴は彼等のゑらぐ声に、鳴りよどむばかりだつた。


日本の古典に多少なりとも親しんでいる人にとってみれば、特別難解なことばではなかろう。むろん、正確には判らないとしても、おおよその見当は付くものと思う。「ゑ」=「笑」という連想が、容易に働くからである。

『角川新版古語辞典』には、この「ゑらぐ」が立項されていて、「楽しみ笑う」意であるとする。用例は宣命(続日本紀)。スサノオノミコトを題材とする作品に使用するのに、適当な語として選ばれたのだろう。
『岩波古語辞典』には、「エラエラと同根」という説明がある。「ゑらゑら」は、「楽しみ笑うさま。にこにこ」。一例を上げると、

あしひきの 八峰(やつを)の上の 樛(つが)の木の いや継ぎ継ぎに 松が根の 絶ゆることなく あをによし 奈良の都に 万代に 国知らさむと やすみしし わが大王の 神ながら 思ほしめして 豊の宴(あかり) 見(め)す今日の日は もののふの 八十伴の雄の 島山に あかる橘 髷華(うず)に刺し 紐解き解けて 千年寿き 寿きともよし ゑらゑらに 仕へ奉るを 見るが尊さ(『万葉集』4266番歌)


というようなものである。いずれにせよ、芥川による用語の選択は、当を得ていると言える。
それにしても、日本紀宣命など、そう易々と読みこなせるものではないから、当時の知識人の博覧強記ぶりには驚き入る。もちろん、当時の国語辞典に用例として引かれていた可能性はあるが、それにしても、である。

なお、『岩波古語辞典』には、「ゑら」と清音で立項される。この辞書は連用形での立項だから、一般的な終止形での立項なら「ゑら」ということである。『日本国語大辞典』も清音で立項。僕は上代特殊仮名遣いに暗く、正確なことは言えないが、「恵良」の「伎」がいわゆる甲類のキだから、ということなのだろう。この作品が発表された当時(1920年)、上代特殊仮名遣いは既に橋本進吉によって提唱されていたはずだが、まだ一般に拡まるには至っていなかったのだろう。…これは余談。

ところで、先ほど、「ゑらぐ」が特別難解なことばではない、と書いた。が、それは、このことばが歴史的仮名遣いで書かれていることが前提となっている。現代仮名遣いで「洞穴は彼等のえらぐ声に…」と書かれていたとしたら、容易には意味を把捉しがたい。
歴史的仮名遣いで書かれていることが、近代(戦前)の作品の閾を高くしているように思われている面も多々あるとは思うけれども、それを読み易からしめんがために現代仮名遣いに直してしまうことによって、却って閾が高くなることもあるのではないかとも思うのである。

「左近を打たせた」

これまでも、芥川龍之介の文章に出て来ることばを題材に、いくつかのエントリを書いているが、今回は、こんな例を採り上げる。

左近を打たせた三人の侍は、それから彼是二年間、敵兵衛の行方を探つて、五畿内から東海道を殆隈なく遍歴した。が、兵衛の消息は、杳として再聞えなかつた。(『或敵打の話』)


「三人の侍」とは、瀬沼兵衛に加納平太郎を討たれて敵討の旅に出た息子の求馬・若党の江越喜三郎・後見の田岡甚太夫で、「左近」はこの三人と共に敵を追っていた津崎左近である。
「左近を打たせた」というのは使役表現だから、「三人の侍」が、左近を誰かに「打たせた」かのようにも見えないこともない。が、実際にはここはそういう表現ではない。左近が、敵の兵衛を見つけて単身挑み、返り討ちに逢ったのである。兵衛が左近を打ったのは、けっして「三人の侍」の意図するところではない。
ここは、「左近を打たれた三人の侍は…」と言い換えても、問題なく通ずるところである。それが何故、「打たせて」という使役で表現されるのか。

『平家物語』の中にある、こんな一節が参考になる。

源三位入道は、七十に余つて軍して、弓手の膝口を射させ、痛手なれば、心静に自害せんとて、平等院の門の内へ引き退く所に、敵襲ひかかれば、次男源大夫判官兼綱は、紺地の錦の直垂に、唐綾縅の鎧着て、白月毛なる馬に、金覆輪の鞍置いて乗り給ひたりけるが、父を延ばさんが為に、返し合せ合せ防ぎ戦ふ。上総太郎判官が射ける矢に、源大夫判官、内甲を射させてひるむ所に、上総守が童、次郎丸と云ふ大力の剛の者、萌葱匂の鎧着、三枚甲の緒をしめ、打物の鞍をはづいて、源大夫判官におし並べて、むずと組んで、どうと落つ。(巻4「宮の御最後の事」)


角川文庫本(佐藤謙三校注)を見てみると、「内甲(うちかぶと)を射させ」に注して、「内甲を射られの意。戦記に特有の言い方」とする。その前にある「弓手(ゆんで)の膝口を射させ」も同様に、敵にわざと左膝を射させたわけではなくて、射られたという受身の表現である。本来なら「射られ」と受身で表現すべきところを、使役の助動詞で代用する用法である。武士は受身の持つ消極性を嫌い、受身で表現すべきところでも積極性のある使役表現を使ったのだとも言う。
先に上げた芥川の例は、こういう用法に類似する。芥川が、平家物語などの作品を読んでいたことは確実だから、こういう古典の作品に倣った用法だと言えるだろうと思う。

では、この芥川の例は、軍記物語の用語を復古しただけの、現代にはまったく通用しない極めて特殊なものなのか、というと、かならずしもそういうわけでもない。芥川の用語と完全に一致する使い方ではないかもしれないが、現代語でも、「先生を怒らせる」とか、「親を死なせる」という言い方があるのである。
「先生を怒らせる」というのは、先生をバカにしたりからかったりしてわざと怒らせることを言う場合もあるけれども、そればかりではなく、私語が過ぎたり宿題を忘れたりして怒られる場合にも使われる。この場合、意図して怒らせたわけではないから、実際には使役ではなくて受身である。「親を死なせる」も、死なれてしまったという受身の表現である。ごく一般的だとまでは言えないけれども、これらは国語としてそれほど不自然な表現ではない。

ただし、このような表現がおかしなものではないとしても、何故わざわざそのように表現されるのかは、考える意味がある。「怒らせ」や「死なせ」は、あくまでも使役の表現である。表現されている事柄は「怒られ」や「死なれ」と同じだとしても、どこかに違いがあるはずである。

「先生を怒らせる」は、単に怒られたという表現ではない。先生に怒られたのは確かだけれども、その原因を、怒られた本人が作っているのである。「怒られる」と言った場合でも、当然、原因はあるわけだが、「怒らせる」は、その原因を、より積極的に認めているのである。
「親を死なせる」の方は、もう少し深い。使役の形を取っているけれども、むろん積極的に親の死を助長したわけではない。だが、この「死なせる」という表現を使う心情を分析すれば、十分な看病もできなかった、という後悔の念が含まれる。
自分の看病の不備によって親を死に至らしめたというのは、客観的には事実ではないとしても、子としての主観的な意識において、自分の看病が親の死の原因と無縁だとは割り切れない慙愧の思いが、「死なせた」という使役の表現を取らせているのである。

以上、同じような表現と同じ表現とは違うのであり、表現が違うということにはそれなりの意味があるのである、という話である。

世界のホームラン王

僕が子供の頃、よっぽどのひねくれ者でなければ、野球と言えばジャイアンツ(読売巨人軍)だった。
僕は横浜に住んでいたのだが、その頃は大洋ホエールズ(後の横浜大洋ホエールズ。現・横浜ベイスターズ)は川崎に本拠地があって、横浜市民にとって興味を惹く球団ではなかった。(横浜市民は、神奈川県の横浜市以外の地域を、地元だとは思っていないのである。)
それに、今でこそ地域密着の球団が人気を得ているけれども、当時、阪神タイガース以外の球団は、巨人の対戦相手という以上の積極的な意味を担っているとは言い難いような存在だったし、テレビで巨人戦以外の試合が放映がされることもほぼなかったから、他球団のファンになど、なる切っ掛けが、ほとんどなかったのである。
むろん僕も、当時はご多分にもれず巨人ファンだった。僕の年齢からすると、長嶋を見ていてもおかしくはないはずなのだが、意識的に野球を見始めた時には既に監督(たぶん一年目)になっていて、現役時代の記憶はない。
その頃のヒーローと言えば、誰が何と言おうと王貞治である。僕のプロ野球に対する最初の記憶も、当然ながら王貞治で、それも何故か、フィルダース・チョイスを犯したシーン。王ほどの選手でも(と言っても、その時には王の何たるかはほとんど判っていなかったはずだが)、そんな失敗をするのか、ということで、子供ながらに、強烈な印象があったのである。

こんな話を書いたのは、昨日行った錦糸公園に建つ墨田区総合体育館の中にある、名誉区民顕彰コーナー「王貞治のふるさと墨田」を見たからである。

小さなコーナーではあるが、現役時代のユニフォームだとか、
ユニフォーム

ファーストミットだとか、
ファーストミット

800号記念の色紙だとか、
800号色紙

その他、けっこういろいろなものが展示してある。

よほどのファンでなければ、遠くからわざわざ出掛けるほどのことはないけれども、錦糸公園に足を向けることがあれば、立ち寄っても損はないのではないか。もうじき「サクラサク」季節でもあることだし。
[ 2011/03/06 22:22 ] 旅・散策 散策 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△