香取神社(江東区亀戸)

香取神社(江東区亀戸)。

まず、亀戸大根のレリーフがお出迎え。なお、このレリーフ、境内のあちこちにもある。

亀戸大根レリーフ

境内に入ると、洒落た「といれっと」が…。

といれっと

狛犬。

香取神社・狛犬 香取神社・狛犬

こちらは亀戸大根之碑。

亀戸大根之碑

遠くから見た時、松尾芭蕉か何かだろうと思って近づいたら、恵比寿、大黒だった。

恵比寿神・大黒天

境内の片隅に、狛犬の台座と思しきものがある。

台座 台座

台座には、「文化二乙丑歳」(1805)「石工礫川常三郎」とある。
台座があるなら、どこかに狛犬も…と思ったら、もう少し隅の方に、1体だけ発見。

香取神社・狛犬

反対側に回って見ても、顔はない。なかなか出来の良さそうなものだけに残念だが、壊れても捨てられずに残っているだけで諒とすべきか、とも思う。

(OLYMPUS PEN E-PL2 + M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8)
[ 2011/09/30 06:59 ] 狛犬 東京/江東 | コメント(2) | TB(0) |  TOP△

柏神社と地震(その後)

以前紹介した、東日本大震災で崩壊した柏神社の鳥居が、建て直されていた。

柏神社の鳥居

工事中で入ることはできなかったが、とにもかくにも何より。

今日の柳森神社あるいは「おねがいします」

柳森神社(千代田区神田須田町)の末社に、金比羅宮がある。

柳森神社・金比羅宮

近寄って鳥居を潜ってみる。

柳森神社・金比羅宮

賽銭箱に、何やら文字が書いてある。良く見てみると…

そんなこと、お願いしなくちゃいけない時代なのか…?

『教養のための社会日本の歴史』

娘(小学6年)が社会の授業で日本史を教わっているのだが、どうにも要領を得ない。
「大化の改新」だの「三大武将」だの、日本史上のタームは口から出て来るものの、それがどうにも歴史の流れと結びついていない感じである。

教科書をきちんと読んでいないからだろうと思って、娘に教科書を借りて見てみたところ、致し方のないところがなくもない…という感もある。
巻頭、縄文時代の人たちの暮らしが、5ページに及ぶ壮大な絵を中心にして説明される。
続いて、弥生時代が4ページほど。邪馬台国のエピソードも書かれている。そして、古墳時代。
次に、聖徳太子の事蹟が解説された後、大仏建立・鑑真・道長の時代、と続く。…。
バラバラなエピソードが羅列されている感じで、それぞれの繋がりは薄い。

むろん、各時代をこれ以上詳しく扱っていたら、とても1年では教え切れないだろう。
それに、教科書は学習指導要領に則って作られているわけで、「我が国の歴史上の主な事象について,人物の働きや代表的な文化遺産を中心に」云々というのに、完全に該当している。
だから、娘の教科書が別段悪いわけではないし、文句を言うつもりもない。

とは言え、娘の理解度をそのまま放置しておくわけにもいかないので、歴史の流れを理解できるような読み物を買ってやろうと、神田三省堂へ行ったのだが、ない。
ないことはないのだが、まともな通史めいたものは5冊くらいのセットになっていて、よほど興味がなければ古代の途中くらいで挫折すること必定である。
戦国の武将や幕末の志士の伝記などはたくさんあるが、それでは歴史の流れは判らない。
かと言って、マンガ教材に逃げるのも不本意である。…

そんなこんなで、あれこれ探していて、見つけた1冊。

啓明舎編『教養のための社会日本の歴史―小学社会か・ん・ぺ・き教科書

教養のための社会日本の歴史―小学社会か・ん・ぺ・き教科書

今時の絵や図版だらけの教科書とは違って、読むところがたくさんある。むろん、必要な図版は十分に掲載されている。
各時代の特徴が解説されているだけではなくて、前代との繋がり、後代への展開が判るように、編集されている。小学生向けだから、簡潔に判りやすく書かれているのはもちろんだが、それでいて、なかなか読み応えがある。
小学生のみならず、日本史が苦手な中学生とか高校生(とか大学生…なんて言ったら失礼か?)は、ここからやり直してみるのは如何か。小学校の勉強ではなく、「教養のための社会」なのだから、そんなに恥でもないのではないか?

なお、啓明舎の書籍の紹介ページを見たら、「歴史の流れをつかむことが何よりも大切です。」とあった。まさに、その通りである。
[ 2011/09/27 23:13 ] 本と言葉 歴史の本 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

三崎稲荷神社

今日の狛犬。

三崎稲荷神社(千代田区三崎町)。

JR水道橋駅の東口を降りてすぐ、神田の古本屋街の外れにあって、学生時代から馴染みあるところ。ここには、なかなか良い狛犬がいる。
たっつんさんのブログを拝見して、植木鉢で囲まれてしまった惨状(?)は知っていたが、もし改善の兆しやあらん、とちょっとだけ期待して行って見たのだが、現状、やはり斯くの如し。

三崎稲荷神社 三崎稲荷神社

阿行の台座に置かれていたフウセンカヅラ(たぶん)のプランターが撤去されていただけ、ましと言えようか?(枯れただけだと思うが。)
榊(たぶん×2)のような鉢植えは、どうやらこの位置で固定らしい。
そのような悪条件下、何とか撮った何枚か。

三崎稲荷神社三崎稲荷神社三崎稲荷神社
三崎稲荷神社三崎稲荷神社
(OLYMPUS PEN E-PL2 + M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8)
[ 2011/09/24 20:08 ] 狛犬 東京/千代田 | コメント(2) | TB(0) |  TOP△

"Bob Dylan In Concert: Brandeis University 1963"

昨秋、ボブ・ディランの『ザ・ブートレッグ・シリーズ第9集:ザ・ウィットマーク・デモ』と『ボブ・ディラン・モノ・ボックス』の同時購入で、ディランの未発表のライブ音源のCDをプレゼントするというキャンペーンをやっていた。
僕は、『ウィットマーク・デモ』は買ったが、『モノ・ボックス』は、何もわざわざモノラルのCDを買って、家にあるステレオの機器で聴くこともなかろうと思って、買わなかった。

買わなかった理由は、ほかにもある。実際には、こちらの理由の方がより大きい。
卑しくもマニアの端くれである以上、未発表音源に興味がないわけではない。現に、"Love And Theft" の時の特典("Historical Recordings")は、入手している。ただしこの時は、アルバムに付いている応募券を送って抽選、というものだった。アルバムは、どうせ買うわけだし、それに加えて掛かるのは応募券の送料くらいである。
それに対して、『モノ・ボックス』は、9枚組だけに18900円もする。ディランの未発表音源など、山のようにあっていくらでも出て来るので、どれほど貴重かは知らないが、特典1つのために、そんな出費はできなかったのである。

が、全然気づかずにいたのだが、その時の特典が、何時の間にか商品化されていた。

BOB DYLAN "Bob Dylan In Concert: Brandeis University 1963"
  ~ボブ・ディラン『ボブ・ディラン・イン・コンサート:ブランダイス・ユニヴァーシティ1963』~


ボブ・ディラン・イン・コンサート:ブランダイス・ユニヴァーシティ1963

前述のとおり、僕は『モノ・ボックス』を買ったりはしなかったので、別段文句を言う筋合いではないのだが、特典のために、痛い出費を強いられたファンは少なくなかったろう。
ファンを特典で釣って大枚を叩かせた揚句、1年も経たないうちにそれを商品化するのは、商道徳的に如何なものなのか?

と、いうわけで、釈然としない気分は残るものの、マニアの端くれとしては買わずにはいられない。
それで、これが今日のBGM。

むろん、マニアでなければ買うほどのものではない。どうせ買うなら、"Blonde on Blonde" にでもするが良い。

丘に建つ病院

知人(エヌ氏と仮称)が今、中学生に国文法を教えているという。そのエヌ氏から聞いた話。

「文節」を教えていて、問題集に次のようなものがあったそうである。

次の語句を適切な順序に並べ替えて文章を作れ。

「病院です 生まれたのは 建つ 湖を 見下ろす 私が 丘に」


正解は、

 「私が生まれたのは湖を見下ろす丘に建つ病院です」(以下、この文をAと言う)

である。

エヌ氏によると、生徒の答案の中には、

 「私が建つ湖を生まれたのは丘に見下ろす病院です」

などというような意味不通のものもあり、また、意味は通じるものの、

 「私は湖を見下ろす丘に建つ病院で生まれました」

という、「並べ替え」が判っていないものも少なからずあったそうである。
さらにひどいのになると、

 「丘が生まれたのは病院を見下ろす湖が建っている私です」

のような、両者複合のものもあって、それらは明確に不正解なのだが、次の解答はどう判断して良いか困った、というのである。

 「私が生まれたのは丘に建つ湖を見下ろす病院です」(以下、この文をBと言う)

問題集の正解はあくまでもAで、Bは許容解にもなっていない。だが、意味は通じるので、Bを間違いだとは断定できない。どうしたものか? というのが、エヌ氏が困っていたことである。

細かいことを言うと、AとBでは、言っていることが微妙に異なる。
湖を見下ろすのが、Aでは「病院」であり、Bでは「丘」である。丘に病院が建っているのだから、どちらからでも湖は見下ろせるかもしれないが、丘から湖が見えるからといって病院から湖が見下ろせるとは限らないし、丘からは湖が見えなくても、病院の上層階からなら湖を見下ろせる場合もある。そういう意味では、AとBとは、言っていることが違う、のである。
とは言っても、この問題の前提として、地理的条件が設定されているわけではないから、示している内容の違いから、解答の正否を判断することはできない。

さて、A・B2つの文を簡単に図示すると、以下のようになる。
ただし、僕のHTMLの知識の制約により、適切な図を書くことはできていないので、悪しからず。

(A) 私が生まれたのは―湖を>見下ろす>丘に>建つ>病院です。

(B) 私が生まれたのは―[丘に>建つ]>[湖を>見下ろす]>病院です。


まず、Bであるが、「丘に>建つ」のは、その直後の「湖」ではなく、文末の「病院です」である。そして、「湖を>見下ろす」のも、同じく「病院です」である。つまり、「[丘に>建つ](>病院です)」と「[湖を>見下ろす]>病院です」が並列するような形になっている。
もう少し判りやすく図示すれば、次のようになろう。

  〔[丘に>建つ][湖を>見下ろす]〕>病院です

それに比べると、Aは、

  湖を>見下ろす
  [湖を>見下ろす]>丘に
  〔[湖を>見下ろす]>丘に〕>建つ
  【〔[湖を>見下ろす]>丘に〕>建つ】>病院です

という具合に、直線的に下へ下へと順々に掛かって行く。
つまり、Bが「丘に>建つ」の述語を一旦保留して読み進めなければならないのに対して、Aにはそういう必要がない。
それに、Bには「丘に>建つ>湖を」という誤読を誘発する可能性がなくはないから、それより自然な文章が作れるのであれば、間違いではないにしても敢えてBを採らなければならない理由はない。「適切な文章」を作るという設問の回答として、正解はAだということで、問題はないだろう。

…という話を、エヌ氏とした、というお話。

(続く…んじゃないかな?)

『東京の野蛮』

何故だか判らないが、急に「レーダーマン」が聴きたくなって、CDを購入。
「レーダーマン」だけならYOUTUBEでも何でも、タダでいくらでも視聴できるだろうという意見もあるだろうが、そんなものは当然視聴した上で、なお欲しくなってしまったのだから仕方がない。

と、いうことで、ここ最近のBGM。

戸川純『東京の野蛮~TOKYO BARBARISM~

東京の野蛮(紙ジャケット仕様)

YOUTUBEを見ると、当然ながらいろいろな動画が投稿されているのだが、『夜のヒットスタジオ』で「レーダーマン」や「玉姫様」を歌っているものもあった。
到底お茶の間向けの楽曲とは思えないのだが、当時は松田聖子と忌野清志郎と小林幸子が同じ歌番組に出演するような時代だったから、別段不思議なことではないのかもしれない。明確な記憶はないが、僕が歌手としての戸川純を知ったのも、当時の普通の音楽番組だったのだろう。
とは言え、中には『おはようスタジオ』で歌っている映像まであって、そこまで来るとどういう企画なんだか、さすがに理解できない。

さて、このアルバムに収められている中の1曲。
作詞・戸川純、作曲・Pachelbel。上記アルバムに収められている音源の映像である。
ただし、戸川純にまったく興味がなければ、スタートボタンは押さないが良い。



それにしても、何故、突然戸川純なのか? と思われるかもしれないが、細野晴臣繋がりということで、僕の中ではほかの音楽趣味と、まったく関連性がないわけではない。
もっとも、リアルタイムで聴いている頃は、そんなことは意識していなかったが…。
[ 2011/09/20 22:51 ] 音楽・映像 邦楽 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

レディ・ガガシ

9月19日まで、深川資料館通りで、恒例の「かかしコンクール」をやっている。
毎年、話題の事物を素材にした案山子が多数出品されるのだが、今年は時節柄、「ガンバレ東北」を謳っているものが多かった。

さて、今年目立ったものは、なでしこジャパンとレディ・ガガである。

多数出ている中でも、なでしこジャパンはやはりこれだろう。

神の足

そして、レディ・ガガ。

レディ・ガガシ

言われなければガガとは気付かない可能性が高いのだが、たくさんいるガガの中で、特にこれを取り上げたのは、ネーミングの妙である。名付けて、「レディ・ガガシ」。
レディ・ガガの命名は、クイーンの「Radio Ga Ga」に由来する。そして、その「Radio Ga Ga」は、ロジャー・テイラーの息子が「Radio ca ca(ラジオ カカ)」と言ったのに由来する
それを考えると、「レディ・ガガ ― カカ ― カカシ」という繋がりの、実に深い命名…だとしたら、「レディ・カカシ」ならなおさら良かった…と、いうのは考え過ぎである。

これも話題のひとつ。

パンダ

テレビのキャラクターは多いが、今何故、ロボコンなのか…?

ロボコン

お馴染み、ちびまる子ちゃん。

ちびまる子

友蔵が異様に良くできている。が、もっと注目すべきは、おばあちゃんと友達である。

ちびまる子

テレビと言えば、去年は坂本龍馬関連のカカシが非常に多く見られたのだが、今年は、「大河ドラマ、何だったっけ?」という印象。皆無ではなかったけれど…。

特別賞受賞作、「案山子の阿修羅」。特別賞自体は、それほど珍しいものでもないようなのだが(実は、今回紹介したものは、すべて「特別賞」)、この出来は、出色だった。
案山子なのか? という気もしないではないのだが…。

阿修羅

(OLYMPUS PEN E-PL2 + M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8)
[ 2011/09/17 17:43 ] 旅・散策 散策 | コメント(2) | TB(0) |  TOP△

「月々に月見る月は…」

「月々に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月」

出典は良く判らないらしいが、落語などを聴いていると、時々、こんな短歌を耳にする。
この中で、1点、気になるかもしれないこと。

それは、こんなところである。

……「月見るは」というのは、どうも表現としてこなれない。昼間を含めて1箇月間ずっと月を見続けているわけではなく、たまに見るだけなのだから、「月見るは」とでもあった方がすっきりするのではないか。これはことば遊びで、「月」が重ならなければ面白くないわけだから、多少の無理はあっても「月見るは」としたのだろう。まぁ、仕方がない。……

僕も子供の頃、そんなふうに思ったことがある。それは、「月見る月」の意味を、理解することができなかったからである。

無用のことだが、順を追って説明する。
初句の「月々」は言うまでもなく、1月・2月・3月…の「月」である。
第2句「月見る月」の1個目の「月」は、天体としての月。ただし、どんな月でも良いわけではない。「月見る」と明言する以上、満月である。むろん、三日月とか半月を見ていけないわけではないが、それは「月見」とは称さない。2個目の「月」は初句と同じく1月・2月……の「月」。
第4句の「月見る月」も同じことではあるけれども、少しニュアンスが違う。『「月」と呼ぶべきものを見る月』、『「月」は毎月見られるけれども、その中でも月を見るに足る月』、『「月見る月」(第2句)の中でも、特に「月見る月」』ということである。
結句の「この月の月」は、8月の(十五夜の)月を指す。

ポイントは、この短歌が旧暦(陰暦)を前提として詠まれているということである。
旧暦においては、毎月15日の夜が「十五夜」であり、その日は満月だ(注)、という(当たり前の)ことを知っていないと、最初に書いたような疑問が湧いて来てしまう。

つまり、「月見る月は多けれど」とは、砕いて言えば、月を見る機会は年に12回あるけれども、ということ。けれども、その中で最も月を見るに相応しい月は、今月、つまり8月(の十五夜)だ、ということを言っているわけである。

上記はどちらかというと、日本人としての常識に属することではあるのだが、いまは旧暦を知らない国文学科の学生すら珍しくないような時代だから、当たり前のことを、敢えて書いた。