『東京の三十年』

田山花袋『東京の三十年』

東京の三十年


この作品、僕が学生時代に国語学の教授が論文を書いていたことで知った。
ただし、その論文の内容はまったく覚えていない。読んだことのない作品の国語学的研究だから致し方ないとはいえ、亡K教授、ゴメンナサイ。

ずいぶん前から読もうと思ってはいたのだが、買える時にはあまり読みたい気分が盛り上がらず、少し盛り上がっている時には品切れ・重版未定になっていた。
暫く前に重版されたのには気づいていたが、その時にはあまり気分が盛り上がっていなかった、のだが、先日、長谷川時雨の『旧聞日本橋』を読んだ勢いがある内に、また品切れになる前に、と思って購入した。

作品の後半は、明治の文壇に纏わることが多く書かれていて、文学史上の価値があるのだろうが、僕が興味を持つのはむしろ、前半の当時の東京の風景を描いている部分である。
何せ、馴染のある場所が多々登場する。

たとえば…。

 深川の高橋を渡って、それについて左に行くと大工町。その小名木川の水に臨んだ二階屋の入口の格子を明けて、その板敷で、幼い私が何か音を立てていると、
 「何だね、録かえ……。」
 こう言って叔母が驚いたような顔をして出て来た。(「川ぞいの家」)


「大工町」は、江戸の古地図に海辺大工町とある、今の白河辺の場所である。最近はそれほど頻繁に行くわけではないが、わが家の比較的近所にある。

 大村の銅像、その頃はまだあの支那から鹵獲(ろかく)した雌雄の獅子などはなかった。丁度招魂社の前のあの大きな鉄製の華表(とりい)が立つ時分で、それが馬鹿げて大きく社の前に転がされてあるのを私は見た。そしてそれが始めて立てられた時には、私は弟と一緒に、往きに帰りに、頬にそれを当てて見た。(「明治二十年頃」)


「招魂社」というのは今の靖国神社。この辺りは僕にとって学生時代の庭のようなところ。母校のことも出て来る。
鳥居のことを「華表」というのは初めて知った。『日本国語大辞典』を引いてみたが、用例の出典で知っているものは「運歩色葉」しかなく、それも「クヮヘウ」とあるだけで、さっぱり判らない。これ以上調べる気力が湧かないが、ここにメモしておけば、何かの時に調べる気が起きないとも限らない。

まともな紹介のできようはずもないのでこれ以上内容には触れないが、読む価値のある好著と言って良いだろう。東京の土地にも馴染がなく、明治の文壇にも興味のない人にも面白いという保証はできないが…。

"Winter Carols"

個人的にクリスマスを祝う習慣はないのだが、こんな日でもなければ滅多に取り出すこともあるまいと思って、手持ちの中で一番クリスマスっぽいと思われるCDを聴くことにした。

ということで、今日のBGM。

BLACKMORE'S NIGHT "Winter Carols"
  ~ブラックモアズ・ナイト『ウィンター・キャロルズ』


ウィンター・キャロルズ

ディープ・パープル~レインボーのギタリスト、リッチー・ブラックモアが恋人(その後結婚したらしいが)キャンディス・ナイトと結成したバンド。そんな安直なネーミングで良いのか!?

実は、クリスマスにちなんでほかのものを聴いていたのだが、気分が盛り上がらないこと夥しかったので、これにしたのである。
[ 2011/12/25 22:39 ] 音楽・映像 洋楽 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

東京スカイツリー人気撮影スポット予定地(7)

東京スカイツリーが、期間限定(12月23~24日)でライトアップされた。
夜、寒い中、スカイツリーの膝元まで行く根性がないので、手近な猿江橋(江東区猿江)にて。

東京スカイツリーライトアップat猿江橋

なお、この場所、昼間はこんな感じ。

東京スカイツリー

次のライトアップは大晦日。

小松川神社

以前、中川@やたなびさんに、「子獅子が台座に落ちちゃってるのありませんでしたっけ」と言われて、「これかな?」と思う叶神社の狛犬を取り上げたのだが、今になって、別の「これかな?」に思い当ったので、行って来た。

小松川神社(江戸川区小松川)、昭和11年(1936)製。

小松川神社 小松川神社

親獅子もなかなか立派なのだが…

小松川神社 小松川神社

…ここはやはり子獅子。
徳俵のように張り出した専用の台座に乗っている。

小松川神社 小松川神社
小松川神社 小松川神社
小松川神社 小松川神社

子獅子がここまで明確に阿吽の形を取っているのも、珍しい気がする。

(OLYMPUS PEN E-PL2 + M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8 & Carl Zeiss Planar T*50mm F1.4MM)
[ 2011/12/23 17:58 ] 狛犬 東京/江戸川 | コメント(4) | TB(0) |  TOP△

榊神社

須賀神社のすぐ近くにある榊神社(台東区蔵前)。

昭和8年(1933)製。

榊神社 榊神社

皇紀2600年〈昭和15年〉(1940)製。

榊神社 榊神社
榊神社 榊神社

(OLYMPUS PEN E-PL2 + Carl Zeiss Planar T*50mm F1.4MM)
[ 2011/12/21 19:53 ] 狛犬 東京/台東 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

須賀神社

銀杏岡八幡神社のすぐ近くにある須賀神社(台東区浅草橋)。

須賀神社 須賀神社

古い狛犬。ただし1体のみ。延享元年(1744)製。

須賀神社

須賀神社 須賀神社

(OLYMPUS PEN E-PL2 + M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8 & Carl Zeiss Planar T*50mm F1.4MM)
[ 2011/12/20 23:23 ] 狛犬 東京/台東 | コメント(2) | TB(0) |  TOP△

銀杏岡八幡神社

昨日、年賀状素材をアップした中に、銀杏岡八幡神社(台東区浅草橋)の手水場の龍がある。この神社、既に取り上げたつもりでいたのだが、確認してみたら、そうではなかった。

平成4年(1992)製。

銀杏岡八幡神社 銀杏岡八幡神社

前から見る限り、とり立てて何ということもないのだが、後ろから見ると、かなりスリム。

銀杏岡八幡神社

古い狛犬。ただし1体のみ。

銀杏岡八幡神社

何だか良く判らないが、裏手にあるオブジェ。

銀杏岡八幡神社 銀杏岡八幡神社

(Canon EOS20D + EF-S17-85mm F4-5.6IS USM & TAMRON SP AF90mm F2.8Di Macro/OLYMPUS PEN E-PL2 + M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8)
[ 2011/12/18 17:15 ] 狛犬 東京/台東 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

羊頭狗肉の補填あるいは辰年年賀状素材

最近、「柳森神社」と「龍神社」にアクセスされる方が少なからずいる。
理由は明確で、辰年に纏わる年賀状素材を探しに来られているものと思われる。
だが、「柳森神社」の方はまだしも、「龍神社」には年賀状素材は掲載されていない。龍神社にも年賀状素材となりうるもの(龍)はあったのだが、ピンボケ写真しか撮れていなかったので掲載しなかったのである。「年賀状素材満載」なんていうワードで辿り着いてしまった方には誠に申し訳ない次第である。

そこで、その穴埋めに、年賀状素材を少々アップすることにした。

柳森神社(千代田区神田須田町) 柳森神社(千代田区神田須田町)
銀杏岡八幡神社(台東区浅草橋) 須賀神社(台東区浅草橋)
浅草仲見世通り(台東区浅草)

もとより、大したものはない。

(OLYMPUS PEN E-PL2 + M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8 & Carl Zeiss Planar T*50mm F1.4MM)

『旧聞日本橋』より

長谷川時雨の『旧聞日本橋』を読んでいて、気になったことば、あれこれ。

諸方から人が出て来たが泥棒はいなかった。するとお其はあたし指さして、
「泥棒!」
と言った。幼心にはずかしさと、ほこらしさで、あたしもはにかみながら、
「泥棒!」
とおうむがえしに言った。みんなが笑った。(町の構成)


「あたし指さして」の「に」が問題である。「お其」が「指さし」たのは「あたし」だから、ふつうなら、「お其はあたし指さして」とありそうなところである。
これは、以前にも取り上げたことがあるが、動作の対象を示す「に」の用法である。つまり、「お其」が「指さし」た対象が、「あたし」なのである。

父親早く別れなければ、祖父もそんな辛抱が出来たかどうか、祖父の母も手離しはしなかったであろう。(西川小りん)


これも、同じような例で、上のリンクにある、芥川龍之介の「女に別れる」(『路上』)と、同様の例である。

ある時おじさんがうんうんいって押入れの葛籠を引っぱりだして暑いのになにをはじめたんですとおしょさんが小言を言った。(神田附木店)


「葛籠を引っぱりだして」の主語は「おじさん」だが、「小言を言った」の主語は「おしょさん(お師匠さん)」である。「おじさん」を主語とする文であれば、末尾は「おしょさんに小言を言われた」の方が、判りやすい。
が、これは、「て」の前後で観点が転換しているので、和文脈の特徴のひとつである。

夫婦は熱心に、これはなんという役者で誰の弟子、当たり芸はなにで、こんな見得をした時がよかったとか、この時の着附けはこうだとか、誰の芸風はこうで彼はこうと、自分たちの興味も手つだってよく話してくれた。(神田附木店)


近年は「見得を切る」と言う方が一般的だが、「見得をする」と言うのが本来だ、ということは聞いたことがあったが、「見得を切る」の実例は見ても、「見得をする」の実例には、実はお目に掛かったことがなかった。

いつでも、せまいほど家の中がウザウザして、騒々しい家だった。(鉄くそぶとり)


「ウゼー!」の元の形は、多摩地方で使われていた「うざったい」だと言われているようだが、これはそのさらに元の形。「うざうざ」しているから、「うざったい」のである。
「うざうざ」(副詞)は中世に既に用例がある。ただし中世の例は、虫や小魚が蠢く様を表わしたもののようだが、いずれにしろ、古いことばではある。その派生形と見られる「うざっこい」(形容詞)も、近世の柳多留にある。江戸から明治に掛けて、良く使われていたことばなのだろう。

『旧聞日本橋』

長谷川時雨『旧聞日本橋』

旧聞日本橋 (岩波文庫)

江戸の雰囲気の残る、明治前期の日本橋界隈の思い出を描いた随筆である。
落語の国の住人のことばとしてお馴染みの、「しどい(非道い)」「すけない(少ない)」「いめいましい(忌々しい)」などと発する人物たちが登場する。
著者の父親が千葉道場の門下生だというのも、時代を感じさせる。
随筆だから、どこがどう、という解説もできないが、語り口が非常に心地良い。

先日、山田美妙の『いちご姫・胡蝶』を紹介したが、その発売されたのとほぼ同時に、一括重版されたもの。