会津(その2)

会津」の続き。

まずは、下調べである。

余裕があれば、有名どころだけに行くのではなく、自分の足で歩き、目で見てガイドブックに載っていないような場所を探してみるのが良いだろう。
とは言え、1週間とか1箇月とか、ある程度の期間滞在するのであれば、気の向くままにあちらこちらと歩き廻ることはできるだろうけれども、1泊や2泊の旅行で、目当てなしに歩いていては、たとえば日光に行って東照宮を見ずに帰るような羽目にもなりかねない。
だから、ガイドブックで、有名どころは押さえておくものである。それに、ガイドブックを見て、どこに行くかを考えている時間も楽しいものである。

今回はこの本を参考にした。

『ことりっぷ 会津・磐梯 喜多方・大内宿
ことりっぷ会津・磐梯喜多方・大内宿 (ことりっぷ国内版)

このシリーズ、旅先での持ち歩きも含めて考えると、かなりのスグレモノである。

さて、あれこれ調べてみると、交通の便があまり良くない。郡山までの新幹線は幾らもあるが、早い時間帯の列車に乗っても、そこから会津若松まで行く磐越西線は、1時間に1本程度しかないからあまり意味がない。むろんこれは、帰りも同じである。ここで、行動がやや制約される。
それに、会津若松の市内でも、「ハイカラさん」「あかべえ」という巡回バスがあるけれども、これも30分~1時間に1本程度だから、うまく組み合わせないと、効率良くは回れない。
通常の路線バスを組み合わせれば、もっと行動の選択肢は拡がるだろうけれども、現地の交通を熟知しない旅行者には、それもなかなか難しい。

温泉好きの家内のためには、宿は寝るだけと割り切って、レイトチェックイン・アーリーチェックアウトで観光を最優先させるわけにも行かない。
喜多方ラーメンが食べたいという娘のリクエストにも応えたい。何せ、今回の旅行は、娘の小学校卒業記念が名目である。だが、喜多方に行くとなると、これまたさらに磐越西線を乗り継ぐことになるから、それで1日の大半を消費することになる。…

あれこれと考えた挙句、最終的には鶴ヶ城と喜多方以外は、これと言ったところは決めないことにした。あとは、成り行きである。
それでは本まで買って調べた意味がないではないか、と思われるかもしれないが、調べた結果、そうしたのである。…まぁ、そんなことはどうでも良い。

ところで、出発前夜(26日)、天気予報に雪マークが出ていたので、『Live配信 JR会津若松駅』『Live配信 鶴ヶ城』を見てみた。
現地の方にとっては、大したことはないのだろうが、東京の人間からすれば、大雪といっても過言ではない状態になっている。大丈夫か?!
[ 2012/03/30 23:19 ] 旅・散策 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

会津

と、言うわけで、会津に行って来た。

父祖の地、会津…というのはウソであるが、僕が「保科」である以上、会津を避けては通れない。

徳川家光の異母弟である保科正之は、始め、高遠の保科正光の養子となり、後に移封され、会津松平氏初代藩主となる。
元々、仁科・明科・保科(穂科)・埴科・更級を信州の五科と言い、その保科の地頭だったのが保科氏の興りであるらしい。それが、戦国時代には武田の家臣となり、江戸時代に至って高遠の藩主となる。
正之が会津に移る際、保科氏が根こそぎ移動したわけではなく、一部は信州の地に残った。だから今でも、信州には保科姓が多い。我が家の家系は、この信州保科氏の裔である。

ところで、中国には、姓が同じなら同族だ、という考えがあるようである。
僕の知っている孔さんという人は、孔子の子孫だということを自他共に認めているし、孫さんは孫悟空の子孫を自称している。孫さんの方は冗談としても、その伝で行けば、僕と会津の間にも、何がしかの関係が、ないとも言い切れない。
因みに、我が家の家紋は、会津保科家と同じ角九曜である。

そんなようなわけで、一度は会津に、と思っていたのを、この度実現させたのである。

1泊2日の小旅行だが、例の如く、暫く引っ張るつもり。
[ 2012/03/29 23:06 ] 旅・散策 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

びゅうプラザに行った

家族で旅行をすることになって、びゅうプラザへ行った。

あらかじめ、乗り継ぎをYahoo!ロコ路線情報で調べてはいたのだが、正規の情報ではないので、念のために改めて窓口で確認しよう、と思って尋ねてみたところ、スタッフの方が、Yahoo!ロコ路線情報で調べて教えてくれた。Yahoo!ロコ路線情報、恐るべし。

その上、親切なことに、駅から宿泊先までのバスの情報も調べてくれようとしたのだが、たぶんそれも僕が調べて置いたものと同じだろうから、丁重にお断りした。それに、現地に着いて早々、宿に直行するわけでもないし…。
それから、旅行の特典とか、注意事項とかを、パンフレットを見ながら丁寧に説明してくれたのだが、あくまでもパンフレットに書かれていることだから、ほとんどの内容は、僕が既に知っていたことである。

こんなことを書いたのは、窓口のスタッフの方に対して不満があるからではまったくない。
昔からそうだったのかもしれないが、特にインターネットが発達した昨今、プロとアマチュアの垣根は、こと知識に関してはとてつもなく低い、ということを、改めて感じたからである。
今回の旅行で言えば、僕はびゅうのパンフレットを見、市販のガイドブックを見、ネットを調べたうえでチケットを買いに行っている。ピンポイントで我が家の旅行先のことを調べているのだから、かなり詳しい。
一方、スタッフの方にとっては、何百もの商品の内の一つに過ぎないから、詳細を覚えているはずがない。
だから、知識では、プロはアマチュアに到底敵わないのである。逆説的なようだが、それが現実である。

プロは、知識以外の「何か」を持っていなければ、プロとして通用しないということである。
もちろんプロにとって、専門的な知識を磨くことはもちろん大切で、しなければならないことだけれども、もっと大切なのは、知識以外の「何か」を磨くことなのかもしれない。
その「何か」はもしかしたら、笑顔かもしれないし、大声かもしれないし、あるいは、八方美人的な立居振舞いかもしれない…。

そんなことを、ふと、考えた。
[ 2012/03/28 19:58 ] 旅・散策 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

『王城の護衛者』『会津落城』『戊辰戦争』

訳あって…と言っても大した訳では毛頭ないが、幕末の会津関係の本を纏めて読んだ。

司馬遼太郎『王城の護衛者』

新装版 王城の護衛者 (講談社文庫)

会津藩主・松平容保が、京都守護職となり、会津戦争に至る出来事を描いた小説「王城の護衛者」を収める幕末短篇集。

「鬼謀の人」を読めば大村益次郎が好きになり、「英雄児」を読めば河井継之助が好きになる。表題作を読めば、むろんのこと松平容保が好きになる。それが、小説というものだ。
もっとも、「加茂の水」を読んで岩倉具視が好きになるかどうかは判らないが…。


星亮一『会津落城 戊辰戦争最大の悲劇』

会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書)

会津贔屓の作家が描く、戊辰戦争・会津落城の記。

サブタイトルからして、会津への同情、薩長への怨恨満載の本かと思ったら、意外にも公平な視点で書かれていた。
それだけに、会津戦争の悲惨さが、伝わって来る。


佐々木克『戊辰戦争 敗者の明治維新』

戊辰戦争―敗者の明治維新 (中公新書 (455))

こちらは学者が書いた戊辰戦争の書。

思いの外、会津側への思い入れが深い。むろん、完全に公正無私な歴史などありえないから、それが本書の瑕疵だというわけではない。むしろそこが、面白い。

なお、本書での徳川慶喜像は、多くの人のイメージするであろうもの(すなわち、司馬遼太郎が『最後の将軍』で書いたそれ)とはだいぶん違う。著者の慶喜に対する評価は頗る低い。
恐らくこちらの方が事実に近いのではないかと思うのだが、そのことと、小説の中の「最後の将軍」を敬慕することとは、まったく別のところで成立するものである。
[ 2012/03/25 23:32 ] 本と言葉 歴史の本 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

村正的なー

「的」というのは、もともと中国語で「の」に当たることばだが、現代日本語では、「現実的」とか「絶望的」とかいうような、「~のような」「~としての」というような意味合いのことばを造る造語成分である。
理屈としては、名詞であれば、大抵のことばに付けることはできるはずである。が、漢語に付けて文章語的な語彙を構成するのが本分だろうから、何でも蚊でもやたらに「的」を付けるのは、乱れた若者ことばとされる。「わたし的にはー」とか「おいしいデザート的なー」とかいうような言い方である。
また、説教口調でやたらに薀蓄を垂れるおじさんのことを「武田鉄矢的な」というように、固有名詞に付けて使うことも多くあるけれども、あまり熟した感じがしない。
ただ、「的」の造語力は非常に大きいから、そういうものも、ある程度まで許容してしまうのだろう。

さて、幸田文の『みそっかす』に、こんな文がある。

父の切りだしを買うために、おばあさんは嫂に介添を申しつけた。おとなしいその人は弟の択むにまかせて支払を済ませた。欣々と帰って礼を述べ買い物を見せると、一ト眼じろりとくれて、やおら嫁の方へ向き直ったおばあさんは、「わたしはかたわの子は産みませんよ。」人斬り村正的なことばである。度肝を抜かれて父も嫂も、何が何だかわからない。小刀は左刃であった。(おばあさん)


「村正」というのは戦国~江戸初期に活躍した伊勢国の刀工の名で、この場合はその村正が造った刀を指す。
その村正に「人斬り」ということばが冠せられているのは、村正は妖刀だ、というのが伝説のようになっていることによる。歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』でも、佐野次郎左衛門が遊女八ツ橋を切り殺す「籠釣瓶」という名の刀を、村正の作としてある。
だからここは、バサッと人を斬り倒すような鋭い物言いだということだろう。

この例が、今時の若者ふうの使い方なのか、正統な使い方なのか、俄かには判断しかねる。が、昭和24~25年(1949~1950)には、こんな言い方が、使われていたということである。

ところで、村正には、こんな話がある。
村正は、刀を打つのに切れることばかり考える。それで悪剣になる。師匠の正宗が意見をするが、料簡が治らないので勘当される。それで村正は、生活のために菜切り包丁を造るようになるのだが、何せ村正の造る庖丁だから俎板に葱を載せて切ると俎板が一緒に切れる。そのくらい切れる刀を造る刀工である。…というのは、志ん生の噺で仕入れたものだから、真偽のほどは察していただきたい。(そもそも村正は正宗の弟子ではないらしい。)

例によって結論は何もないのだが、あくまでもメモとして書き留める。

ジャンダーク

幸田文『みそっかす』より。

無気力なものと気がさなものと、いずれに鞭は痛いか知らないが、歯を剥くような児を見ると私は、腹の底から浪立つように興奮を感ずる。しっかりやれ親無しっ子! ジャンダークはお前等の心の中にいる。(でみず)


ちくま日本文学『幸田文』には、この部分の「ジャンダーク」について、注が付けられている。無くても大方察しは付くが、あればあったで親切だろう。

ジャンヌ・ダルク(1412~31)。百年戦争末期に祖国フランスを救えとの神託を受けたと信じ、軍を率いてイギリス軍を破りオルレアンを奪還した。


この注で、強く引っ掛かったところがある。それは、「神託を受けたと信じ」の「信じ」である。いささか揚げ足取りめくけれども、ともかく引っ掛かったのである。

「神託を受けて」と書かず、わざわざ「神託を受けたと信じ」としているのは、ジャンヌが神託を受けたことを、事実として認めないということである。本当は神託などなかったのだけれども、ジャンヌは神託を受けたと信じていた、というニュアンスが感じられる。神託はジャンヌの錯覚だ、と言っているようなものである。
科学的な見地から、神託など事実ではありえないということなのかもしれないけれども、それは注記としては僭越ではなかろうか。

不信心な僕からすれば、神託など俄には信じられないし、何よりフランスだけに都合の良い神託というのもおかしなものである。が、だからと言って、神託がジャンヌの錯覚だと言い切ってしまうことは憚られる。世の中の不思議な出来事を、理性や知性ですべて否定し去ることはできないのである。
もしもジャンヌが本当に神託を受けていたのだとしたら、「信じ」というのは適切な表現ではない。

また、別の見方をすれば、ジャンヌ自身が神託を「信じ」ていたかどうかも判らない。もしかしたら、周囲を動かすための方便として、受けてもいない神託を受けたと「称した」だけだという可能性も、まったくないわけではないだろう。その場合もやはり、「信じ」というのは適切ではない。

注記が客観的な記述を心掛けるのは正しいことである。が、客観的であるためなら、「神託を受けたとして」とでもすれば良いのである。
神託が事実ではないというのは一方的な見方で、客観的な記述だとは言い難い。

先ほども書いた通り揚げ足取りには違いないが、これも附箋を剥がす一環である。

『江戸城』

東京史跡ウォーキング愛好会『時代を旅する 江戸城 歴史探訪ルートガイド』(メイツ出版社)

時代を旅する 江戸城歴史探訪ルートガイド

東京の歴史散策本は数あれど、江戸城に特化したものは珍しいので購入した。
もっとも、ひと口に「江戸城」と言っても、今の皇居だけが該当するわけではなく、外堀の内側はすべて城郭都市としての江戸城だから、かなり広範囲に亙るものではある。が、それを「江戸城」という観点から紹介しているのは、なかなか面白い。

学生時代、江戸城は毎日のように目にしていたのだが、改めて見てみると、知らないことだらけである。
たとえば…。
江戸城には天守閣がない。それは、明暦の大火(振袖火事)で天守閣が消失した時、実用性のない不要のものを造るより町屋の復興に力を入れるべきだとする、会津藩主・保科正之の意見によるものだと言われている。
だから、もはや跡形もないものと思い込んでいたのだが、天守台は前田家によってすぐに再建されていて、今でも見事なものが残っているそうである。これは、是非とも見てみたい。

そのほかにも、江戸城の見どころ満載の案内本である。
[ 2012/03/20 23:27 ] 本と言葉 歴史の本 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

旧安田庭園

伏見駒止稲荷大明神を紹介したのだから、少しは旧安田庭園も紹介しておくべきだろう。

もともとは、元禄年間(1688~1703)に本庄因幡守宗資によって作られた庭園。旧安田財閥の所有となり、現在は墨田区が管理する。

旧安田庭園

正面の建物は両国公会堂。老朽化のために今は使用されていない。

少し違う角度から。

旧安田庭園

両国散策をするのなら、ついでに訪れても悪くはない。それほど広くはないけれども、落ち着いていて良い庭園である。しかも無料。
おススメスポットである。

(OLYMPUS PEN E-PL2 + M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 & Carl Zeiss Planar T*50mm F1.4)

伏見駒止稲荷大明神

伏見駒止稲荷大明神(墨田区横網)。

伏見駒止稲荷大明神

この神社、地図には載っていない。何となれば、街なかに建っているのではなくて、旧安田庭園の中にあるものだからである。

ご覧の通り、小さなお社だが、その前には、ちゃんと狛犬が鎮座している。

伏見駒止稲荷大明神 伏見駒止稲荷大明神 
伏見駒止稲荷大明神 伏見駒止稲荷大明神

最初、古そうな狛犬だと思ったのだが、実は昭和33年(1958)製。この年代にしては、個性的でなかなか良いものだと思う。

(OLYMPUS PEN E-PL2 + M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8 & Carl Zeiss Planar T*50mm F1.4)
[ 2012/03/17 19:37 ] 狛犬 東京/墨田 | コメント(2) | TB(0) |  TOP△

東京都慰霊堂

両国界隈、特に国技館のあたりを初めて観光・散策に訪れて、「さすが両国、『横綱』なんて、相撲に関係のある地名がある!」と感心して帰って行く人がある。
が、良く見てみると、ちょっと違う。「横」ではなくて「横」なのである。

その墨田区横網にある都立横網町公園。その中に、東京都慰霊堂がある。

横網町公園

その前に、1対の狛犬がいる。

横網町公園 横網町公園

(OLYMPUS PEN E-PL2 + M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 & Carl Zeiss Planar T*50mm F1.4)
[ 2012/03/16 23:28 ] 狛犬 東京/墨田 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△