訃報201605_2

大阪大名誉教授の島津忠夫さん死去

島津忠夫さん(しまづ・ただお=大阪大名誉教授・中世文学)が4月16日、転移性肝腫瘍(しゅよう)で死去、89歳。葬儀は近親者で営んだ。

「島津忠夫著作集」(全15巻)などの業績で08年に現代短歌大賞。連歌の研究でも知られた。冷泉家時雨亭文庫顧問。
(朝日新聞DIGITAL)


僕の学生時代にはすでに高名で、専門分野の関係もあって実際にその姿を目にする機会もなかったので、もっと年輩の方かと思い込んでいた。実際の年齢を知った時にその意外な若さに驚いた覚えがある。

訃報・牛込惟浩さん

横浜大洋ホエールズ(DeNA横浜ベイスターズに非ず)のファンであれば、牛込さんの存在を知らない人は恐らくいなかっただろう。無名であっても日本球界に合った外国人選手を発掘して来る名人だった。
金満球団が大枚を叩いて超大物選手を獲得したものの泣かず飛ばずで終わることも珍しくない中、この人が連れて来る無名の助っ人のコストパフォーマンスはこの上なく高かった。
毎年最下位争いを繰り返す弱小球団の中で、シーズン終盤まで個人成績でファンの興味を繋ぎ止めてくれたポンセやパチョレックも、この人が探し出して来た選手である。
また、獲得して終わり、ではなく、来日後の生活面での行き届いたケアなどがあって、選手からの信頼は極めて厚かったらしい。
その牛込さんの訃報。

牛込惟浩氏死去 79歳敗血症 大洋、横浜でローズら外国人獲得に手腕

大洋、横浜(現DeNA)で長く渉外担当などを務めた牛込惟浩(うしごめ・ただひろ)氏が4月9日、敗血症のために死去していたことが4日、分かった。享年79。葬儀・告別式は近親者によって執り行われた。

牛込氏は東京都出身。早大卒業後、64年に横浜の前身である大洋球団に入社した。通訳、1軍マネジャー、広報などを経て、渉外担当に就任。79年首位打者のフェリックス・ミヤーン、88年に本塁打、打点の2冠に輝いたカルロス・ポンセ、90年首位打者のジム・パチョレック、首位打者1度、打点王2度のロバート・ローズら、数多くの外国人選手の獲得に手腕を発揮した。(スポニチアネックス)

[ 2016/05/08 00:02 ] スポーツ | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

附箋を剥がす(28)

先日久方ぶりに読み返した、森鷗外『雁』(岩波文庫)より。

赤門を出てから本郷通りを歩いて、粟餅の曲擣をしている店の前を通って、神田明神の境内にはいる。そのころまで目新しかった目金橋へ降りて、柳原の片側町を少し歩く。それからお成道へ戻って、狭い西側の横町のどれかを穿って、やはり臭橘(かちたち)寺の前に出る。(壱、P7L-1)


別段特殊な用法でもなく、僕以外の人は誰も目に止めるはずがないようなところだけれども、列序接続の接続助詞「て」の用例。

何事にも注意深い性質の末造は、わざわざ探るともなしに、この娘が玉という子で、母親がなくて、親爺と二人暮らしでいるという事、その親爺は秋葉(あきは)の原に飴細工の床店をを出しているという事などを知った。(肆、P17L5)
「じいさんも気の毒ですよ。町内のお方にもお恥ずかしくて、このままにしてはいられないといって、西鳥越の方へ越していきましたよ。それでも子供衆のお得意のある所でなくては、元の商売ができいないというので、秋葉の原へはでているそうです。屋台も一度売ってしまって、佐久間町の古道具屋の店に出ていたのを、わけを話して取り返したということです。(肆、P19L-7)


アキハバラじゃなくて「秋葉の原」。
以前何かで、昔はアキバハラで、最近アキハバラを「アキバ」と呼ぶのは過去への回帰だというようなことが書かれていて、僕もこの例がそうだと信じ込んでいたのだが、岩波文庫に振られているルビは「アキハの原」だった。
『鷗外選集』も「アキハ」だし、初版本(復刻)も「アキハ」だった。
だから何だ、というわけでもないけれども、備忘のために記載しておく。

そのうちにこの裏店に革命的変動が起こった。例の軒下に引き入れてあった屋台が、いつもひっそりしていた家とその周囲とへ、当時の流行語で言うと、開花というものが襲ってでも来たのか、半分こわれて、半分はね返っていたどぶ板が張り替えられたり、入り口の模様替えができて、新しい格子戸が立てられたりした。ある時入り口に靴の脱いであるのを見た。それから間もなく、この家の戸口に新しい標札が打たれたのを見ると、巡査何某(なにがし)と書いてあった。末造は松永町から、仲御徒町へかけて、いろいろな買い物をして回る間に、また探るともなしに、飴屋のじいさんの内へ婿入りのあった事をたしかめた。標札にあった巡査がその婿なのである。(肆、P17L7)


観点の転換の事例。
引用1文目以降、作者の視点で書かれているのだけれども、「ある時入り口に靴の脱いであるのを見た」は末造の視点と思しい。次の「それから間もなく、この家の戸口に新しい標札が打たれたのを見ると、巡査何某と書いてあった」も末造の視点のようだけれども、その次の文は「末造は」で始まるから、作者の視点である。

この時お玉と顔を知り合ったのが岡田であった。お玉のためには岡田もただの窓の外を通る学生の一人に過ぎない。しかし際立って立派な紅顔の美少年でありながら、うぬぼれらしい、きざな態度がないのにお玉は気が付いて、何とはなしになつかしい人柄だと思い初めた。それから毎日窓から外を見ているにも、またあの人が通りはしないかと待つようになった。(拾陸、P81L4)


「なつかしい」の用例が気になって書き留めたメモ。

そのうち末造が来た。お玉は酌をしつつも思い出して、「何をそんなに考え込んでいるのだい」ととがめられた。「あら、わたくしなんにも考えてなんぞいはしませんわ」と、意味のない笑顔を見せて、ひそかに胸をどきつかせた。しかしこのごろはだいぶ修行がつんで来たので、何物かを隠しているということを、鋭い末造の目にも、容易に見抜かれるような事はなかった。末造が帰ったあとで見た夢に、お玉はとうとう菓子折りを買って来て、急いで梅に持たせて出した。そのあとで名刺も添えず手紙も付けずにやったのに気が付いて、はっと思うと、目がさめた。(弐拾、P101L-1)


以前山田美妙の例を挙げた「どきつく」。及び、「夢に」の「に」の用例。

時候が次第に寒くなって、お玉の家の流しの前に、下駄で踏むところだけ板が土に填(う)めてある、その板の上には朝霜がまっ白に置く。(弐拾壱、P109L1)


観点の転換。

僕はおりおり立ち留まって、「驚いたね」とか「君は果断だよ」とかいって、随分ゆるゆる歩きつつこの話を聞いたつもりであった。しかし聞いてしまって時計を見れば、石原にわかれてから十分しかたたない。それにもう池の周囲のほどんど三分の二を通り過ぎて、仲町裏の池の端をはずれかかっている。(弐拾参、P126L7)


助詞「に」の用例。

突然岡田の左に引き添って歩いていた石原が、岡田に言った。「君円錐の立方積を出す公式を知っているか。ない。知らない。あれは造作はないさ。基底面に高さを乗じたものの三分の一だから、もし基底面が圏になっていれば、1/3r2πhが立方積だ。π=3.1416だということを記憶していれば、わけもなくできるのだ。僕はπを小数点下八位まで記憶している。π=3.14159265になるのだ。実際はそれ以上の数は不必要だよ。」(弐拾肆、P131L1)


「π=3.1416」が気になってメモした。
しばらく前、小学校で円周率を「3」と教えていたことがあるけれども、3.14くらい、小学生は難なく覚えられるのだから、まったくバカにした話だった。それはそれとして、大正時代には小数点以下4位までがふつうだったのかもしれない。

『ごみ』

なんでだかさっぱり判らないけれども、先日、こんなニュースがYahoo! に載っていた。

大阪発“ぼくたちのいるところ。”が2ndアルバム『ごみ』をリリース

大阪発の“メンタルぶっ壊し系”バンド、“ぼくたちのいるところ。”が5月3日(火)に2ndアルバム『ごみ』をリリースすることが決定しました。

2013年に結成、自由奔放かつパンク精神に満ちた人生ダメ子(vo)を中心に、メンバーそれぞれが持つバラバラの世界観から生まれる楽曲が高く評価され、鳥肌 実、石川浩司(ex-たま)らを招いて自主イベントを成功させるなど精力的に活動するこのバンド。ギターとドラムに新メンバーを迎えてのリリースとなる本作では、石井モタコ・中林キララ(オシリペンペンズ)がゲスト参加いた意欲作。収録曲より、「ダンボール彼女」のMV(youtu.be/7vdkgnGI480)が公開されています。(CDジャーナル)


で、それがこれ。

ごみ