附箋を剥がす(22)

「然し是から日本も段々発展するでせう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
「亡びるね」と云つた。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐ擲ぐられる。わるくすると国賊取扱にされる。三四郎は頭の中の何処の隅にも斯う云ふ思想を入れる余裕はない様な空気の裡で生長した。だからことによると自分の年齢の若いのに乗じて、他を愚弄するのではなからうかとも考へた。男は例の如くにやゝゝ笑つてゐる。其癖言葉つきはどこ迄も落付いてゐる。どうも見当が付かないから、相手になるのを已めて黙つて仕舞つた。すると男が、かう云つた。
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」で一寸切つたが、三四郎の顔を見ると耳を傾けてゐる。
「日本より頭の中の方が広いでせう」と云つた。「囚はれちや駄目だ、いくら日本の為を思つたつて贔屓の引倒しになる許だ」
此言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出た様な心持がした。(一、岩波新書版全集P19)


『三四郎』を読んでいて、何かの機会に使えるかもしれないと思ってメモっておいたのだが、それを写している時に、別のことに気が付いたので記録しておく。

太字にした「三四郎の顔を見ると耳を傾けてゐる」の部分である。
前出の文の文末を見ると、「弁護した」「と云つた」……「成長した」「考へた」「笑つてゐる」「落付いてゐる」「黙つて仕舞つた」「かう云つた」とある。
作者の視点で書かれている、三四郎と男(後に広田先生と判る)の客観的な描写である。これに続く文も、「と云つた」「心持がした」とある。
「――」が附された後の箇所に、「熊本でこんなことを口に出せば、すぐ擲ぐられる。わるくすると国賊取扱にされる」とあって、表記としては句点になっているけれども、これは後続する「三四郎は頭の中の何処の隅にも斯う云ふ思想を入れる余裕はない様な空気の裡で生長した。」の説明のための挿入句的な表現である。

だから、太字にした部分も、本来なら「三四郎は耳を傾けてゐた」とでもあった方が、文脈として一貫しているとも言える。それが、「三四郎は耳を傾けてゐる」とあるのである。ここは、広田先生の視点と取って、「日本より……」と言った後で三四郎の反応を確かめて、改めて「日本より頭の中の方が……」とことばを継いだものと見ることが、できるだろうと思う。

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