「断片語・日本語は最後まで読まなければ判らない…?」の補足

断片語・日本語は最後まで読まなければ判らない…?」の補足。
先のエントリが「断片語」というには長かったことの言い訳でもある。

ある人が、

「私は窓ガラスを割りました」

と言ったとする。この文の中の重要な事項は、述語たる「割りました」だと言えるだろうか。

実際の言語の運用の上で、上記の会話文だけが独立して存在するということは殆んどない。
大抵の場合、次のような質問の答えだと考えて良いだろう。

Q1:「あなたは何をしたんですか?」
Q2:「あなたは何を割ったんですか?」
Q3:「あなたは窓ガラスをどうしたんですか?」

Q3に対する「私は窓ガラスを割りました」という答えの中で、「割りました」が重要なのは間違いない。
が、Q2に対する答えなら、「窓ガラスを」が重要である。Q1の場合は難しいところだが、「割りました」が重要なのには違いないとしても、「窓ガラスを」も同程度に重要だといえるだろう。
つまり、答えがまったく同じ文だとしても、どの要素が重要なのかは一概には言えないのである。
なお、「誰が窓ガラスを割ったんですか?」に対する「私が窓ガラスを割りました」なら、当然、「私が」が重要である。
つまり、日本語は述語が最後に来る、というのは事実だとしても、だから日本語は重要なことは最後まで判らない、というのは違うのである。
文の途中まででも、後に来るべき述語は多くの場合予測できる、という研究があり、それはそれで意味なしとはしないけれども、そもそものところとしては、文の中で述語が最も重要だ、という固定観念が、間違っていると思うのである。
そしてその固定観念は、一文の中での諸要素間の関係だけを考えるところから来ているのであって、もっと広く文脈・場面の中で捉えないといけない…という大きな話の、ごく一部の断片である。

コメントの投稿











管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://hoshinahouse.blog101.fc2.com/tb.php/1058-9606a1b2