附箋を剥がす(28)

先日久方ぶりに読み返した、森鷗外『雁』(岩波文庫)より。

赤門を出てから本郷通りを歩いて、粟餅の曲擣をしている店の前を通って、神田明神の境内にはいる。そのころまで目新しかった目金橋へ降りて、柳原の片側町を少し歩く。それからお成道へ戻って、狭い西側の横町のどれかを穿って、やはり臭橘(かちたち)寺の前に出る。(壱、P7L-1)


別段特殊な用法でもなく、僕以外の人は誰も目に止めるはずがないようなところだけれども、列序接続の接続助詞「て」の用例。

何事にも注意深い性質の末造は、わざわざ探るともなしに、この娘が玉という子で、母親がなくて、親爺と二人暮らしでいるという事、その親爺は秋葉(あきは)の原に飴細工の床店をを出しているという事などを知った。(肆、P17L5)
「じいさんも気の毒ですよ。町内のお方にもお恥ずかしくて、このままにしてはいられないといって、西鳥越の方へ越していきましたよ。それでも子供衆のお得意のある所でなくては、元の商売ができいないというので、秋葉の原へはでているそうです。屋台も一度売ってしまって、佐久間町の古道具屋の店に出ていたのを、わけを話して取り返したということです。(肆、P19L-7)


アキハバラじゃなくて「秋葉の原」。
以前何かで、昔はアキバハラで、最近アキハバラを「アキバ」と呼ぶのは過去への回帰だというようなことが書かれていて、僕もこの例がそうだと信じ込んでいたのだが、岩波文庫に振られているルビは「アキハの原」だった。
『鷗外選集』も「アキハ」だし、初版本(復刻)も「アキハ」だった。
だから何だ、というわけでもないけれども、備忘のために記載しておく。

そのうちにこの裏店に革命的変動が起こった。例の軒下に引き入れてあった屋台が、いつもひっそりしていた家とその周囲とへ、当時の流行語で言うと、開花というものが襲ってでも来たのか、半分こわれて、半分はね返っていたどぶ板が張り替えられたり、入り口の模様替えができて、新しい格子戸が立てられたりした。ある時入り口に靴の脱いであるのを見た。それから間もなく、この家の戸口に新しい標札が打たれたのを見ると、巡査何某(なにがし)と書いてあった。末造は松永町から、仲御徒町へかけて、いろいろな買い物をして回る間に、また探るともなしに、飴屋のじいさんの内へ婿入りのあった事をたしかめた。標札にあった巡査がその婿なのである。(肆、P17L7)


観点の転換の事例。
引用1文目以降、作者の視点で書かれているのだけれども、「ある時入り口に靴の脱いであるのを見た」は末造の視点と思しい。次の「それから間もなく、この家の戸口に新しい標札が打たれたのを見ると、巡査何某と書いてあった」も末造の視点のようだけれども、その次の文は「末造は」で始まるから、作者の視点である。

この時お玉と顔を知り合ったのが岡田であった。お玉のためには岡田もただの窓の外を通る学生の一人に過ぎない。しかし際立って立派な紅顔の美少年でありながら、うぬぼれらしい、きざな態度がないのにお玉は気が付いて、何とはなしになつかしい人柄だと思い初めた。それから毎日窓から外を見ているにも、またあの人が通りはしないかと待つようになった。(拾陸、P81L4)


「なつかしい」の用例が気になって書き留めたメモ。

そのうち末造が来た。お玉は酌をしつつも思い出して、「何をそんなに考え込んでいるのだい」ととがめられた。「あら、わたくしなんにも考えてなんぞいはしませんわ」と、意味のない笑顔を見せて、ひそかに胸をどきつかせた。しかしこのごろはだいぶ修行がつんで来たので、何物かを隠しているということを、鋭い末造の目にも、容易に見抜かれるような事はなかった。末造が帰ったあとで見た夢に、お玉はとうとう菓子折りを買って来て、急いで梅に持たせて出した。そのあとで名刺も添えず手紙も付けずにやったのに気が付いて、はっと思うと、目がさめた。(弐拾、P101L-1)


以前山田美妙の例を挙げた「どきつく」。及び、「夢に」の「に」の用例。

時候が次第に寒くなって、お玉の家の流しの前に、下駄で踏むところだけ板が土に填(う)めてある、その板の上には朝霜がまっ白に置く。(弐拾壱、P109L1)


観点の転換。

僕はおりおり立ち留まって、「驚いたね」とか「君は果断だよ」とかいって、随分ゆるゆる歩きつつこの話を聞いたつもりであった。しかし聞いてしまって時計を見れば、石原にわかれてから十分しかたたない。それにもう池の周囲のほどんど三分の二を通り過ぎて、仲町裏の池の端をはずれかかっている。(弐拾参、P126L7)


助詞「に」の用例。

突然岡田の左に引き添って歩いていた石原が、岡田に言った。「君円錐の立方積を出す公式を知っているか。ない。知らない。あれは造作はないさ。基底面に高さを乗じたものの三分の一だから、もし基底面が圏になっていれば、1/3r2πhが立方積だ。π=3.1416だということを記憶していれば、わけもなくできるのだ。僕はπを小数点下八位まで記憶している。π=3.14159265になるのだ。実際はそれ以上の数は不必要だよ。」(弐拾肆、P131L1)


「π=3.1416」が気になってメモした。
しばらく前、小学校で円周率を「3」と教えていたことがあるけれども、3.14くらい、小学生は難なく覚えられるのだから、まったくバカにした話だった。それはそれとして、大正時代には小数点以下4位までがふつうだったのかもしれない。

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