昼下がりの月

厳密には……」の続き、その2。

「戻ってくれ。たのむ」という秀一の言葉に、その選択を迫られた英子は、作品最後で、昼の月が出ているかいないかに賭けようとします。初夏の頃であり、よく晴れた昼下がりならば、昼の月は見える可能性は高かったでしょう。


この1文は、小説の結末部分について「昼の月」を絡めて説明したものだけれども、この理解はさすがに致命的である。
ここで「昼下がり」になっているのは小説の本文にそう明記されているからだが、それまでの「真昼時」がどこに行ってしまったのかは不明である。
それはまた措いておくが、「昼の月」が「晴天であれば、満月以外なら見える」のだとしたら、前者の条件は問題なく、後者の条件も29/30の確率で実現する(考慮されていないらしい新月を減算したとしても、14/15に下がるに過ぎない)から、たしかに、「可能性は高かった」と言える。それを前提として、空を見ることを躊躇する英子が、家に戻るという決断を先延ばしにしていると結論するのである。
空を見ればほぼ間違いなく見えるはずの月を見ようとしないのなら、たしかにそう思わざるを得ないだろう。が、その思い込みが間違いなのは、当ブログをご覧の方ならもとよりお判りのことだろう。

「昼下がり」――仮に午後2時として、月が見える可能性のあるのは月齢25日頃~翌10日頃の間だけである。ただしこの期間内でも新月なら見えないし、その前後の日も極めて細い月で、昼の月が見える、とは言いがたい。
また、小説の舞台になっているような都会なら、2時が月の出入の間際になる各1~2日は、建物の陰に隠れて見ることができない可能性が高いと思われる。とすれば、その時に月が見える可能性は、1/3程度しかなかったはずである。
もっと言えば、小説の内容からして半月に近い形の月が期待されることを加味すれば、多く見積っても可能性はそこからさらに半減する。
29/30(もしくは14/15)の確率に賭けようとしたと考えるか、1/3(もしくは1/6)の確率に賭けようとしたと考えるかで、作品の読みが根本的に変わることはない、とは断じて思わない。

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