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ノーベル文学賞2016(その13)

ディランさん「私の歌が文学か自問したことない」  ノーベル文学賞に謝意

10日開かれたノーベル授賞式後の晩さん会で、ノーベル文学賞を受賞した米シンガーソングライターのボブ・ディランさんのスピーチが代読された。ディランさんは若い頃から読み親しんできたカミュやヘミングウェイといった文学界の偉大な巨人たちの列に加わったことは「本当に言葉を失うことだ」と謝意を述べた。

ディランさんは受賞を光栄としながらも、10日の授賞式など一連の行事を欠席。10日夜、ストックホルム市庁舎で催された晩さん会では、ラジ駐スウェーデン米大使がディランさんのスピーチを代読した。(日本経済新聞)


授賞式には「先約がある」とかで出席しなかったものの、これで晴れてノーベル文学賞受賞者になったわけである。
まだ「記念講演」が残っているとはいえ、ひと段落ではある。

さて、代読されたスピーチの中に、意味深長な一節があった。

私は文豪ウィリアム・シェークスピアのことが頭に浮かびました。彼は自分を劇作家だと考えていたと思います。文学作品を書いているという考えはなかったでしょう。彼の文章は舞台のために書かれました。読まれることではなく、話されることを意図していました。「ハムレット」を書いている時、彼はいろいろなことを考えていたと思います。「ふさわしい役者は誰だろう」「どのように演出すべきか」「本当にデンマークという設定でいいのだろうか」。創造的な構想や大志が彼の思考の中心にあったことに疑いはありません。しかしもっと日常的なことも考え、対処しなければなりませんでした。「資金繰りは大丈夫か」「後援者が座る良い席はあるか」「(小道具の)頭蓋骨をどこで手に入れようか」。シェークスピアの意識から最もかけ離れていたのは「これは『文学』だろうか」という問いだったと確信します。


ディランはディランだ、ということか。

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