逆接の接続助詞「を」に関する断片語(3)

かなり以前、伊勢物語(第6段)にある下記の表現

女の、え得まじかりけるを、年を経て呼ばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。


の「年を経てよばひわたりけるを」について、これが「年を経てよばひわたりける(女)を」の謂で、「を」は接続助詞(逆接)ではなく、格助詞と見るべきことを書いた。

※「逆接の接続助詞「を」に関する断片語(1)(2)

先日、『近代異妖篇 岡本綺堂読物集三』(中公文庫)を読んでいて、こんな表現を見つけた。

むかしの旗本屋敷などには往々こんなことがあつたさうだが、その亡魂が祟をなして、兎もかくも一社の神として祭られてゐるのは少いやうだ。さう判つてみると、職人たちも少し気味が悪くなつた。しかし梶井の父といふのはいはゆる文明開化の人であつたから、たゞ一笑に付したばかりで、その書き物も黒髪もそこらに燃えてゐる焚火のなかへ投げ込ませようとしたのを、細君は女だけに先づ遮つた。それから社を取りくづすと、縁の下には一匹の灰色の蛇がわだかまつてゐて、人々があれゝゝと云ふうちに、たちまち藪のなかへ姿をかくしてしまつた。(「月の夜がたり」三、67~68頁)


「その書き物も黒髪もそこらに燃えてゐる焚火のなかへ投げ込ませようとしたのを」の「を」である。この「を」に準体助詞「の」が上接することからも明らかなように、格助詞の「を」で、連用修飾を表わす。
件の勢語の「を」を、そういう表現だと考えるのである。

むろん勢語には、準体助詞「の」はない。が、近代語ではこういう場合に準体助詞が必須だけれども、古代語ではそうではない。
直前の「え得まじかりけるを」も、「え得まじかりける(の=女)を」ということで、準体助詞なしに、「え得まじかりける」を体言句にしている。綺堂の文と同じ事柄を表わすのに、古代語であれば、「その書き物も黒髪もそこらに燃えてゐる焚火のなかへ投げ込ませようとしたを」という類の言い方が、可能だったのである。

さて、綺堂の文の「しかし」以降の1文で、主語は「梶井の父」だけれども、文末「遮つた」は、その述語ではない。「遮つた」の主語は、言うまでもなく「細君」である。
この文は、「しかし梶井の父といふのは…その書き物も黒髪もそこらに燃えてゐる焚火のなかへ投げ込ませようとした」と、「焚火のなかへ投げ込ませようとしたのを、細君は女だけに先づ遮つた」という別々の文としても表現しうるものを、1つの文に凝縮して表現しているのである。

勢語の文も、これと同じことが言える。
「女の、え得まじかりけるを、年を経て呼ばひわたりけり」と「年を経て呼ばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり」とが、1つの文に統合されているのである。

なお、綺堂の文を、「その書き物も黒髪もそこらに燃えてゐる焚火のなかへ投げ込ませようとしたけれども」と言い換えても、意味は、通じる。通じるけれども、むろんのこと、「その書き物も黒髪もそこらに燃えてゐる焚火のなかへ投げ込ませようとしたのを」とは、まったく別の表現である。
「年を経てよばひわたりけるを」を「言い寄り続けていたけれども」と逆接に訳出しうることと、この「を」が逆接であることとは、直接の関わりがない。そういう言い換えをしても、意味の疎通する訳文めいた別種の表現を、創り出せるに過ぎない。

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