「起き上がって、見ると」

「走れメロス」を読んでいて、ここをメモっておこうと思った人はほかにあるまいけれども、気になってしまったのだから仕方がない。

ふと耳に、潺々、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろと起き上がって、見ると、岩の裂目から滾々と、何か小さく囁きながら清水が湧いて出ているのである。(『走れメロス』新潮文庫、P177)


いいかげんに読んでいると、「潺々」なんていう耳慣れないことばが出て来ても、見逃してしまうものである。今まで意識した記憶がない。わざわざ調べなくても、おおよそ文脈から察しが付くからだろう。音「せんせん」、「水がさらさら流れる△様子 (音)」 の意の古風な表現。」(『新明解国語辞典』)。

それはともあれ、「起き上がって、見ると」である。「起き上がってみると」でないところがポイントで、接続助詞「て」の前後で、「起き上がる」と「見る」という別々の動作を表わしている。
このように、読点が打ってあり漢字が宛ててあれば誤解の余地がないけれども、古典の文では、こういう判断が難しい場合がある。けれども、古代語は近代語に比べて接続助詞「て」の前後を接続する力が強いから、「起き上がってみると」式ではなくて、「起き上がって、見ると」式と考えた方が良いものが多い。

たとえば、土左日記冒頭の「してみむとて、するなり」も、「書いてみようと思って」なのではなくて、「書いて(それを)見ようと思って」なのだと、僕は、考える。
そう考えると、掉尾の「とまれかうまれ、とくやりてむ」との呼応が見えて来る。書き了えて、読み返してみたら、不本意なものになっていた、だから、破ってしまおう、というのである。

>けれども、古代語は近代語に比べて接続助詞「て」の前後を接続する力が強いから、「起き上がってみると」式ではなくて、「起き上がって、見ると」式と考えた方が良いものが多い。

「て」の接続する力が強いっていうのは、漢文の影響でしょうか。
中国語を習うと、動詞は時系列で並べろと教わりますが、起き上がる→見る・する→見るというのは、いかにも中国語的な表現のように思えます。
『今昔物語集』もそういう表現が多いので、なるべく「て」の後に読点を入れるようにしています。
[ 2017/03/06 23:24 ] [ 編集 ]

Re: 中川@やたナビ さん

判りにくいところを判ってもらってありがとうございます。
接続する力が強いというのは、言い方を変えれば前後を別物として区切る力が強いということでもあります。
それぞれ完結する関係のない事柄を、「て」によって次々に繋いでいくのが古代語の特徴です。現代でも会話には見られる現象ですが、古代語と比べると「て」の区切る力はだいぶ弱くなっています。
太宰の例で言うと、漢字「見」が宛ててあっても読点がなければ「起き上がってみると」の意味で取ってしまいそうですよね。
中国語の影響…かどうかは、判りません。
[ 2017/03/07 09:33 ] [ 編集 ]

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