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「わびさせられ」

昭和生まれで昭和に成人した者として、昭和史は知っておくべきだろうと思って、今更だが、原武史『昭和天皇』 (岩波新書)を読んだ。完全な門外漢なので、本書の内容を批評する能力はまるでないが、膨大な資料を基に論じられていて、(本書に書かれた見解が正しいかどうかは別として、)非常に興味深かった。

ただ、1点少々気になったところがある。

香淳皇后が、1952年6月の昭和天皇の伊勢神宮参拝の模様を記した言葉が引用されている部分である。

あくる三日、伊勢の両宮ををろがせ給ひ、親しく事のなりゆきをわびさせられ、御まもりによりまた海の外の助けによりて、再び独立の日を迎へしことを、よろこばせ給ひ、深くゝゝ大神に感謝……。

著者はこれを、「(1942年12月に昭和天皇が)伊勢神宮を参拝し、戦勝を祈願したことを、改めて謝罪したという意味」かと推測し、だとすれば、天皇が「『祖宗』に対しては謝罪の言葉を表明したことになる」と言う。つまり、「わびさせられ」を「(皇祖皇宗に対して)お詫びをなさって」の意に取るわけである。「させ」「られ」はどちらも尊敬の助動詞、なんてことはこの際どうでもよろし。

これだけの引用では何とも判断が難しいし、先にも書いたように昭和史については門外漢である。なおかつ、この当時の、特に皇室関係の方による文章をまったく見ていないので、あれこれと論じる資格はない。が、それを棚に上げてあえて言うと、この解釈には、若干の違和感を覚えるのである。
それは、「お詫びをする」ということを表現するのに、「わびさせられ」と言うものかどうか、ということである。ここが「詫びさせられ」ではなく「侘びさせられ」である可能性はないのかどうか。

たとえば、こんな例がある。

・人、ないたくわびさせたてまつらせ給ひそ。(竹取物語)

この場合の「させ」は使役、なんていうこともどうでも良い。意味は、「人を、ひどく困らせ申し上げなさるな」というようなことである。
同じような例は、源氏物語にもある。いずれも、「困る」とか「辛がる」とか「嘆く」とか「悲しむ」とか、場面に応じて適宜訳し分ければ良いようなものである。何例か、上げておく。

・人あやしと見るらんと(女は)わび給ふ。(帚木)
・藻塩垂れつつわび給ひし頃ほひ、都にも、…(蓬生)
・いとどわびたるは、涙とどめがたげなる気色にて書き給ふ。(手習)

むろん、古語にも、「『さりながら、ただ許し賜はらむ』とわびければ、…」(宇治拾遺物語)のような、謝る意とも見られる例もある(※注)し、現代語に謝る意の「詫びる」があるのも間違いない。それに、近代の文語文と、古語を一列に並べることも妥当ではないだろう。

けれども、もうひとつの根拠として、「わびさせられ」と「よろこばせ給ひ」とが、対になっているのではないかと思うのである。
つまり、敗戦―占領という事態の推移を侘びた(=辛く思った)のであり、そういう辛い日々が終わって独立の日を迎えられたことを喜んだ、という文脈なのではあるまいか。そうなると、著者が主張する「祖宗に謝罪する」天皇像は、少々危うい。

ここに書いたことは、ほとんど思い付きの域を出ないものに過ぎない。あるいは、著者の考察の方が、正しいのかもしれない。が、重要な論点において、こういう疑問の余地を残していることを憾むのである。

(※注)ただし『角川古語辞典』は、この事例を「(困りきって)頼む」の意とする。『日本国語大辞典』も、「困りぬいて頼み込む。困って嘆願する」意とする。本義は、「困る」ところにあり、そこから他の用法が派生するということなのだろう。

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