源氏物語は「不健全図書」?

インターネットで何でも買えるこの時代、書店やコンビニなどでの陳列・販売に規制を掛けたところで何ほどの意味かある、という気もしなくはないが、何かと物議を醸した「東京都青少年健全育成条例改正案」が可決成立した。
反対の声には耳も貸さず強硬に推し進めた印象のある都知事の言動に賛否はあるにしても、この件に関しては、僕個人としてはそれほどおかしなことだとは思わない。
むろん、「表現の自由」を最大限尊重するのは吝かでない。が、政治が表現を規制したがるのは今に始まったことではないし、表現者が規制と戦うのも宿命である。自己の著作が「不健全図書」ではなく「芸術」だと信ずるのなら、正々堂々と表現すれば良いだけのことである。
規制の対象となる表現者が不満を呈すること自体は否定しないが、その不満を爆発させて新たなものを生み出して来たのが、芸術の歴史だとは言えまいか。

さて、この条例の反対意見として、『この条例が施行されると、源氏物語を漫画化したら「不健全図書」になる』式のものがある。が、僕は到底、そういう意見には与せない。
一例だけ、問題となりそうな箇所の原文を引いてみよう。葵巻で、光源氏が14歳(※注)の紫の上と新枕を交わす場面である。

姫君の、何事もあらまほしう整ひ果てて、いとめでたうのみ見えたまふを、似げなからぬほどに、はた見なしたまへれば、けしきばみたることなど、折々聞こえこころみたまへど、見も知りたまはぬけしきなり。つれづれなるままに、ただこなたにて碁打ち偏つぎなどしたまひつつ、日を暮らしたまふに、心ばへのらうらうじく愛敬づき、はかなきたはぶれごとのなかにも、うつくしき筋をしいでたまへば、おぼし放ちたる年月こそ、たださるかたのらうたさのみはありつれ、しのびがたくなりて、心苦しけれど、いかがありけむ、人のけぢめ見たてまつりわくべき御仲にもあらぬに、男君はとく起きたまひて、女君はさらに起きたまはぬ朝あり。人びと、「いかなれば、かくおはしますならむ。御心地の例ならずおぼさるるにや」と見たてまつり嘆くに、君はわたりたまふとて、御硯の箱を、御帳の内に差し入れておはしにけり。

たしかに、14歳の少女との結婚は、都条例の規制対象になりうる事柄かもしれない。しかも満年齢ではなく数え年だから尚更である。が、これを漫画化したら、即ち「不健全図書」になるのだろうか。
「何事もあらまほしう整ひ果てて、いとめでたうのみ見えたまふ」という描写は、当時の結婚適齢期たる大人の女性としての描写である。紫の上が子供々々した人物として描かれているわけではない。ここは、子供の結婚が描かれているわけではないのである。14歳だということに縛られて、紫の上を現代の女子中学生ふうにしか描けないとしたら、それは表現として稚拙すぎはしないか。
また、この文章に、都条例に抵触する「不健全」な具体的描写があるか。古典にそれほど馴染のない人には、一体何がどうなったのか、良く判らないかもしれないような描写しかなされてはいない。
源氏物語のほかの箇所、ほかの作品がすべて同じように書かれているわけではないが、具体的な、露骨な描写を避けて、それと推察させるのが、王朝文学のふつうのあり方である。これを「不健全」に該当する描写としてしか漫画化できないとしたら、それも稚拙な表現しかできないということである。

現代を舞台にした小説に、街中で刀を振り回して意見・立場の異なる人を切り捨てる人物が登場すれば、それはただの殺人鬼だろう。が、新撰組の登場する歴史小説を読みながら、現行の刑法と照らし合わせて近藤勇を非難する人はいなかろう。源氏物語を漫画化しても、古代の宮廷社会の世界を描き切れていれば、14歳の女性が結婚しようと、それを現代の価値観を以って異常視することはないはずである。するとなれば、古代の宮廷社会の世界を描き切れていないということである。要は、その作品の質の問題である。

もっとも、条例の規制は古典かどうかとはまったく関係がない。だからこれはあくまでも枝葉末節のことなのだが、教科書にも載っている有名な古典を例に上げて、「それが漫画になると不健全図書に指定されるんですよ」という反対の仕方も薄い感じがするし、何よりそれが受け売りで言っているのではないかと思われる意見を見るにつけ、物申してみたのである。

ともあれ、源氏物語でも読んでみたまえ。

(※注)多くの人が「14歳」ということを前提に語っているようなのでそのようにしたが、実際には源氏物語には紫の上の結婚年齢は明記されていない。「14歳」以外の説もある。むろん、25歳だなどというような説はないから、趣旨に影響はないが…。
[ 2010/12/16 15:15 ] 理屈・屁理屈 | コメント(2) | TB(0) |  TOP△

No title

どうもこの話って、どちらも建前でものを言っているように思えて、しらけちゃうんですよ。
僕は基本的には規制に反対なんですが、可決された以上、今度は表現者の姿勢が問われますね。
これで萎縮しちゃうんじゃ、所詮その程度のものだったってことですね。
まあ、反対している人の多くは、商業上の理由が一番なんだと思いますけど。
[ 2010/12/17 02:39 ] [ 編集 ]

Re: No title

> どうもこの話って、どちらも建前でものを言っているように思えて、しらけちゃうんですよ。

そこなんです。
特に、反対派の意見が世論に阿ったようなステレオタイプなものが多かったように感じます。それが、このエントリを書いた理由なんですが、本当に信念に基づいて反対するのなら、漫画誌を全頁白紙で発行して抗議するくらいのイキなことをしてほしいところです。
一方で、賛成派の方もスローガン的なものが多かったように思います。今回のものは否決された条例の修正案ですが、本来なら、修正前に比べて大幅に後退したとか、修正してより実効性の高いものになったとか、内容の議論が大いになされて然るべきだったと思いますが、そんなことはさておきとにかく賛成、という印象はありました。
そういうわけで、実のところ、条例が発効しても、賛成派にも反対派にも、それほど影響はないのではないかと思っているのです。
で、何が言いたかったのかというと、条例が発効すると源氏物語が漫画化できなくなる、というのはヘリクツだ、ということ。
[ 2010/12/17 20:00 ] [ 編集 ]

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