「つつ」

高校時代、古典の授業で、接続助詞の「つつ」について、
・並列ではなく、反復を表わす。(「ながら」とは違う。)
・訳す時には、動詞を反復させて「して」を付ける。たとえば「行きつつ」なら「行き行きして」。
と教わった。
その時から、この「行き行きして」式の訳には違和感があって、理屈はそうなのかもしれないが、そんな日本語があるものか、と思っていた。「行き行きして」はまだしも、「詠み詠みして」だの「言い言いして」だの「見い見いして」だの…。それで、自分では「行っては行って」式に訳すようにしていた。むろん、これも実用的な日本語であるかどうかには疑問があるのだが。

それから長い年月が経ったある時、こんな用例に出会って、高校の時に教わったことは正しかったんだ、と気が付いた。もっとも、かの教諭がそういう実例の存在に基づいて物を言っていたのかどうか、定かではないが。

「いえ、御覧の通り平地の乏しい所でげすから、地ならしをしては其上へ建て建てして、家が幾段にもなつて居りますので、――廊下丈は仰せの通り無暗に広くつて長いかも知れません」(夏目漱石『明暗』)


「家が幾段にもなつて居」るのだから、「地ならしをしては其上へ建て」という行為を何度もくり返しているわけである。だから、この「建て建てして」は反復で、古語における「建てつつ」の訳語として使いうる表現だと言える。つまり、「行きつつ」の訳としての「行き行きして」は、日本語として間違っていない、ということになる。

むろん、「行き行きして」が「行く」の反復だということが現代日本人に容易に通じないとしたら、このような訳語に固執する意味はほとんどないが…。

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