「食べれる」

昨日紹介した、獅子文六の『ちんちん電車』(1966年)を読んでいたら、こんな箇所があった。

もっと先へ行って、合羽橋停留所附近になると、今度は、食品関係の器具の店ばかりになる。食品に関係があるだけで、食べれるものは一つもない。

有名な、いわゆる「ら抜き言葉」と言われるものである。
「食べられる」が正しい言い方で、「ら」を抜くのはことばの乱れだ、いや、ことばは変化するもので、それを誤りというのは間違っている…云々。

大学4年の時、故A教授の国語史の授業のレポートで、この「ら抜き言葉」を取り上げて、ことばは変化するものであり、ある一時期の文法を盾に取ってそれが誤りだというのは間違いだ、文法は実際の言語現象から帰納されるべきもので、それを演繹して現代の言語現象を評価するためのものではない、というような趣旨のことを肩肘張って書いて、評価「A」を貰った覚えがある。

実際、「ら抜き」は昨今始まった現象ではない。
我が家の書架にある『日本文法講座3 ゆれている文法』(明治書院、1964年)という本に掲載されている、神田寿美子「見れる・出れる―可能表現の動き―」という論文から孫引きすると、武者小路実篤の『真理先生』(1949~51年)に「僕だってそう毎日は来れないよ」という例がある。もっと古い例としては、川端康成の『雪国』(1935年)の「遊びに来れないわ」という例。これは曾孫引き(該論文が既に孫引きなので)である。だから、獅子文六の例は、それほど古い例でもないらしい。
要するに、「ら抜き言葉」にもそれなりの歴史があり、一概に「誤り」だとは決めつけられない、ということである。僕が二十何年か前に書いたレポートも、ロクな考証こそしていないが、そんなことをエラそうに論じたものである。

が、今ではかならずしも、そうは考えていない。まったく考えていないわけではないし、そういう考えが正しいとは思っているのだが、アカデミックな場とは別なところで、「ら抜き言葉」が正しいのだと主張することに、建設的な意味があるのかどうかに疑問があるのである。何故なら、学問的に正しいことが、それが社会的にも正しいことを、保証しないからである。

今から700年近く前のこと、こんな文章を書いた人がいる。

何事も、古き世のみぞ、慕はしき。今様は、無下にいやしくこそ、なりゆくめれ。かの木の道の匠の造れるうつくしき器物も、古代の姿こそ、をかしと見ゆれ。
文の言葉などぞ、昔の反古どもはいみじき。ただ言ふ言葉も、口惜しうこそ、なりもてゆくなれ。古へは、「車もたげよ」「火掲げよ」とこそ、言ひしを、今様の人は、「もてあげよ」「かきあげよ」と言ふ。「主殿寮人数立て」と言ふべきを、「たちあかししろくせよ」と言ひ、最勝講の御聴聞所なるをば「御講の廬」とこそ、言ふを、「講廬」と言ふ。口惜しとぞ、古き人は仰せられし。(『徒然草』22段)

荒っぽく説明すれば、昔は良かった、今は、物もことばもまるでなっていない、というようなことを言っているのである。
こんなことを言うのは、ただの頑固爺である。それは間違いない。だが、頑固爺は兼好一人ではないし、兼好の時代に限ったものでもない。そして、何時の時代も、実際の世の中は、こういう頑固爺が、ある一定の割合を占めて存在しているのである。

入学試験や採用試験の面接を担当するのも頑固爺なら、就職すれば上司も頑固爺、取引先の担当者も頑固爺である。なお、ここに言う「頑固爺」は、かならずしも年齢だけで決まるものではなくて、「一般的な社会常識を持った人」と言い換えられるような概念である。

就職試験で、「ら抜き」で話す若者を見た頑固爺の面接官はこう思う。「この若者はことば遣いを知らない。そこから類推するに、一般常識にも欠けるところがあるに違いない。こんな者を雇ったら、仕事も満足にできないだろうし、取引先の信用も落とすに違いない」。
若者が、「ら抜き言葉」について歴史的に正しく認識した上で話をしているのだとしても、頑固爺の誤った考えを正すチャンスがこの若者に与えられることはない。「ら抜き」が歴史的に見て間違っていると言えないことは確かだけれども、そのことは、現代においてそれを誤りだと考える人がいることを、否定できないのである。
かく言う僕にしても、「ら抜き」でしゃべる若者を見て、もしかしたら「ら抜き」の正しい歴史認識をした上での発言かもしれない、と思うことはけっしてない。それは僕が、きちんとした場では「ら抜き」のようなことばは使わないものだと考える、立派な頑固爺の一員だからである。

正しい知見に基づいて物を言うことは、とても大切である。だが、正しい知見に基づいて物を言ってさえいれば、それで何もかもが上手く行くというものではけっしてない。「ら抜き」が正しいという考え自体は間違っていないとしても、それを日常生活で実践することは、かならずしも意味のある行為だとは言えないのである。
純粋な若者には、そんな考え方が不潔で狡猾なものに感じられるかもしれないけれども、世の中というものの大部分は、そういう頑固爺によって構成されているものなのである。


<余談1>
先ほど評価「A」を貰ったと書いたが、それはその時に提出したレポートの内容が優れていたからだとは残念ながら言い切れない。その年、A教授は定年を迎えることになっていて、予め、「Cを付けるなんていうケチな真似はいたしません」と宣言していた上、最終の授業時に、「皆出席の人にはAを上げます」と言って、皆出席かどうか自己申告させたので、その場にいた学生は、全員「A」だったのである。

<余談2>
その授業、面白い授業だった印象はあるものの、不思議なほどに何を教わったのかほとんど覚えていない。ただ、命令形の放任法というのを教わったことだけは、鮮明に記憶している。
放任法とは、「あとは野となれ山となれ」のような、任意・放任の気持ちを表わす用法のことである。ただし、何故放任法の話になったのかは、憚りがあって書けない。A教授、定年ということで、その年の授業は歯に衣着せぬ物言いの大爆発だったのである。

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