「左近を打たせた」

これまでも、芥川龍之介の文章に出て来ることばを題材に、いくつかのエントリを書いているが、今回は、こんな例を採り上げる。

左近を打たせた三人の侍は、それから彼是二年間、敵兵衛の行方を探つて、五畿内から東海道を殆隈なく遍歴した。が、兵衛の消息は、杳として再聞えなかつた。(『或敵打の話』)


「三人の侍」とは、瀬沼兵衛に加納平太郎を討たれて敵討の旅に出た息子の求馬・若党の江越喜三郎・後見の田岡甚太夫で、「左近」はこの三人と共に敵を追っていた津崎左近である。
「左近を打たせた」というのは使役表現だから、「三人の侍」が、左近を誰かに「打たせた」かのようにも見えないこともない。が、実際にはここはそういう表現ではない。左近が、敵の兵衛を見つけて単身挑み、返り討ちに逢ったのである。兵衛が左近を打ったのは、けっして「三人の侍」の意図するところではない。
ここは、「左近を打たれた三人の侍は…」と言い換えても、問題なく通ずるところである。それが何故、「打たせて」という使役で表現されるのか。

『平家物語』の中にある、こんな一節が参考になる。

源三位入道は、七十に余つて軍して、弓手の膝口を射させ、痛手なれば、心静に自害せんとて、平等院の門の内へ引き退く所に、敵襲ひかかれば、次男源大夫判官兼綱は、紺地の錦の直垂に、唐綾縅の鎧着て、白月毛なる馬に、金覆輪の鞍置いて乗り給ひたりけるが、父を延ばさんが為に、返し合せ合せ防ぎ戦ふ。上総太郎判官が射ける矢に、源大夫判官、内甲を射させてひるむ所に、上総守が童、次郎丸と云ふ大力の剛の者、萌葱匂の鎧着、三枚甲の緒をしめ、打物の鞍をはづいて、源大夫判官におし並べて、むずと組んで、どうと落つ。(巻4「宮の御最後の事」)


角川文庫本(佐藤謙三校注)を見てみると、「内甲(うちかぶと)を射させ」に注して、「内甲を射られの意。戦記に特有の言い方」とする。その前にある「弓手(ゆんで)の膝口を射させ」も同様に、敵にわざと左膝を射させたわけではなくて、射られたという受身の表現である。本来なら「射られ」と受身で表現すべきところを、使役の助動詞で代用する用法である。武士は受身の持つ消極性を嫌い、受身で表現すべきところでも積極性のある使役表現を使ったのだとも言う。
先に上げた芥川の例は、こういう用法に類似する。芥川が、平家物語などの作品を読んでいたことは確実だから、こういう古典の作品に倣った用法だと言えるだろうと思う。

では、この芥川の例は、軍記物語の用語を復古しただけの、現代にはまったく通用しない極めて特殊なものなのか、というと、かならずしもそういうわけでもない。芥川の用語と完全に一致する使い方ではないかもしれないが、現代語でも、「先生を怒らせる」とか、「親を死なせる」という言い方があるのである。
「先生を怒らせる」というのは、先生をバカにしたりからかったりしてわざと怒らせることを言う場合もあるけれども、そればかりではなく、私語が過ぎたり宿題を忘れたりして怒られる場合にも使われる。この場合、意図して怒らせたわけではないから、実際には使役ではなくて受身である。「親を死なせる」も、死なれてしまったという受身の表現である。ごく一般的だとまでは言えないけれども、これらは国語としてそれほど不自然な表現ではない。

ただし、このような表現がおかしなものではないとしても、何故わざわざそのように表現されるのかは、考える意味がある。「怒らせ」や「死なせ」は、あくまでも使役の表現である。表現されている事柄は「怒られ」や「死なれ」と同じだとしても、どこかに違いがあるはずである。

「先生を怒らせる」は、単に怒られたという表現ではない。先生に怒られたのは確かだけれども、その原因を、怒られた本人が作っているのである。「怒られる」と言った場合でも、当然、原因はあるわけだが、「怒らせる」は、その原因を、より積極的に認めているのである。
「親を死なせる」の方は、もう少し深い。使役の形を取っているけれども、むろん積極的に親の死を助長したわけではない。だが、この「死なせる」という表現を使う心情を分析すれば、十分な看病もできなかった、という後悔の念が含まれる。
自分の看病の不備によって親を死に至らしめたというのは、客観的には事実ではないとしても、子としての主観的な意識において、自分の看病が親の死の原因と無縁だとは割り切れない慙愧の思いが、「死なせた」という使役の表現を取らせているのである。

以上、同じような表現と同じ表現とは違うのであり、表現が違うということにはそれなりの意味があるのである、という話である。

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