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「しれい」

芥川龍之介の『素戔嗚尊』の中の一節。

「俺は腹が減つてゐるのだ。食事の仕度をしれい。」


素戔嗚尊のことばである。
問題は、「しれい」。意味は、判る。「しろ」「せよ」と命令しているのである。形としては、同じ作品の別の箇所で、

「さあ、これで腹は出来た。今度は着る物を一枚くれい。」


と言っている「くれい」と同じようなものだといえる。
が、「くれ(い)」が、「くれ―くれ―くれる―くれる―くれれ―くれ」と活用する下一段活用の動詞であるのに対して、「しれ(い)」はどうか。
「くれい」から類推するに、「しれい」は命令形「しれ」に「い」が付いた(語尾を伸ばした)形のはずである。だが、サ行変格活用の動詞「する」の活用は、「し(せ・さ)―し―する―する―すれ―しろ(せ)」で、命令形に「しれ」はない。
命令を表わすなら、「しろい」とか「せい」とかになるはずで、「しれい」はいくら何でも酷かろう、と思ったのだが、かならずしもそうは言えないようである。

素戔嗚尊と言えば、出雲である。
そこで、『島根県のことば 』(明治書院)を見てみると、出雲方言に、「アケレ(開けろ)」「オキレ(起きろ)」という言い方があるらしい。いずれも命令形。
上記のような現象に倣って、「する」を「しれ(い)」にしたのではないか。

もっとも、「する」については、同書に「セレ(しろ)」とあるので、「しれ(い)」は純粋な出雲方言というわけではない。が、素戔嗚尊の話し方に相応しい、いかにも出雲らしい表現として、そういう言い方が選択されたのではなかろうか。

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