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「女に別れる」(続)

以前、ちょっと変わった「に」の使い方について書いた。その続き。
その時と同じく芥川龍之介の小説から。

ではお君さんが誰かの艶書に返事を認めたのかと思ふと、「武男さん御別れなすつた時のことを考へると、私は涙で胸が張り裂けるやうでございます」と書いてある。(『葱』)

彼はこの寂しさに悩まされると、屢山腹に枝を張つた、高い柏の梢に上つて、遥か目の下の谷間の景色ぼんやりと眺め入る事があつた。(『素戔嗚尊』)

お蓮は目を外らせた儘、膝の上の小犬からかつてゐた。(『奇怪な再会』)

別れた一粒種の子供、――廉一も母が血を吐いてからは、毎晩祖母と寝かせられた。(『庭』)


最初と最後の例は、「と」と言った方が現代では通じやすいし、あとの2例は「を」というのが適当だろう。先のエントリで説明したように、動作の対象を示す用法である。
「別れ」た対象が「武男さん」であり、「眺め」た対象が「谷間の景色」であり、「からか」った対象が「小犬」であり、「別れ」た対象が「父」なのである。

さて、このほかにも、ちょっと変わった「に」の用法がある。

「御安心なさい。私は何もあなたの体に、害を加へようと云ふのぢやありません。唯、あなたがこんな所、泣いてゐるのが不審でしたから、どうしたのかと思つて、舟を止めたのです。」(『素戔嗚尊』)

「明日からだ。お前は、――あすこ何をしてゐたんだ?」(『お律と子等と』)

茶の間はやはり姉や洋一が、叔母とひそひそ話してゐた。(『お律と子等と』)

「これは五味溜めの所、啼いてゐた犬でございますよ。…」(『奇怪な再会』)

犬は彼等が床へはひると、古襖一重隔てた向ふ、何度も悲しさうな声を立てた。(『奇怪な再会』)

何でも日清戦争中は、威海衛の或妓館とか、客を取つてゐた女ださうだが、…(『奇怪な再会』)

息苦しい沈黙の続いた後、かう云ふ声が聞えた時も、敏子はまだ夫の前、色の悪い顔を背けてゐた。(『母』)

おれは浜べじだんだを踏みながら、返せ返せと手招ぎをした。(『俊寛』)

勿論江木上等兵も、その中四つ這ひを続けて行つた。(『将軍』)

良平は二十六の年、妻子と一しよに東京へ出て来た。今では或雑誌社の二階、校正の筆を握つてゐる。(『トロツコ』)

しかしこの約束を守らなければ、(突然真面目に)「いんへるの」の猛火に焼かれずとも、現世罰が下るはずです。(『報恩記』)

当主はそれから一年余り後、夜伽の妻に守られながら、蚊帳の中息を引きとつた。(『庭』)


これらは、いずれも「で」とあれば判りやすい。「こんな所、泣いてゐる」とか、「あすこ何をしてゐた」のように。が、これも「に」の用法のひとつで、動作の場所を示すものである。
古典における一例を上げれば、こんなものである。

さる折しも、白き鳥の、嘴と足と赤き、鴫の大きさなる、水の上游びつつ、魚を食ふ。(『伊勢物語』9段)


「白き鳥」(後に「都鳥」と判明する)が、泳いでは魚を食べるという動作を行なっている場所が、「水の上」だということで、これを訳せば「水の上」ということになる。

では、こういう用法が、現代では通じないものなのか、というとそういうわけではなく、『ヴェニス死す』(トーマス・マン)などと同じような言い方である。
もっとも、これは「死す」という文語調の動詞だから成り立っている表現だとも言える。『ヴェニス死ぬ』なら、変な感じがするかもしれない。「死ぬ」であれば、『ヴェニス死ぬ』でないとちょっとおかしい。むろんそんなタイトルでは名作の感じがしないけれども…。
もっと一般的な例で言えば、「東京暮らす」などという言い方もある。ちょっと古風な言い方で、「東京暮らす」と言うのがふつうだけれども、「に」では通じないというわけでもない。

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