「眠られた」

「昨夜はよく眠られたかね?」
郵便物に眼を通してしまふと、トルストイは何と思つたか、かうトゥルゲネフへ声をかけた。
「よく眠られた」(芥川龍之介『山鴫』)


「眠られた」は、動詞「眠る」に可能の助動詞「れる」が接続した形であるけれども、現代語では、「眠れた」という方がふつうだろう。この場合の「眠れ」は、いわゆる可能動詞「眠れる」の未然形である。
可能動詞と言うのは、五段活用の動詞を下一段に変化させたものだと説明される。その説明自体は間違いではないのだが、それでは何故下一段に変化させることになったのかが良く判らない。

その理由は、単純に、助動詞「れる」が下一段活用だからである。
品詞を単位にして考えると判りにくいのだが、こういうことである。

nemu-ra-re-ta > nemu-r〔a-r〕e-ta > nemu-re-ta


「眠られた」のラ行音の連続(ラレ)が発音しにくいので、「a-r」を落として発音しやすくした。結果、残った動詞「眠ら」の一部と助動詞「れ」の一部がくっついて、一語の動詞となった。
いわゆる「ら抜き」という現象だが、実際には、「眠ら」の「ら」が落っこちてしまったわけではなく、「ら」の母音「a」と「れ」の子音「r」が落ちたのである。

何故、そのようなことが言えるか? と言うと、そう考えないと、似たような違う現象の説明が付かないのである。

逢はれないものだと思つてゐれば、不思議に逢ふ事が出来るものだ」(同『好色』)


この「逢はれない」は、現代では「逢えない」というのがふつうである。先の「眠られた」→「眠れた」と同じような現象で、

awa-re-nai > aw〔a-r〕e-nai > awe-nai > ae-nai


となったものである。
つまり、「わ」の母音「a」と続く「れ」の子音「r」が落ちた。そして、「we」→「e」となって、「逢えない」になったわけである。


やた管ブログ』の「敬語に対する誤解」のエントリに対抗して、ことばに関することを書こうとしたのだが、つまらない文法談議に堕したことは誠に遺憾。

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