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読書感想文の書き方(おまけのおまけ)

読書感想文の書き方(おまけ)」のおまけ。

角川文庫版『坊っちゃん』の解説に対して否定的な考えを述べて、全否定バージョンの感想文例を書いたが、この作品が名作であることに、疑いを差し挟むものではない。『坊っちゃん』自体、痛快な小説であることは認めるし、坊っちゃんの行動を否定的に捉えるのは、小説の読み方としては邪道だと思う。
ただ、社会批判など、現実社会と結び付けたコムヅカシイ裏読みを見て、そういう考えを述べてみたくなっただけである。
もちろん、好き嫌いの問題はあるから、坊っちゃんの行動にどうしても共感できない、という人もあるだろう。僕においても、全否定バージョンの6割方は本心である。それはそれで尊重されるべきだが、それと、『坊っちゃん』が名作であるかどうかとは、本質的には関係がない。

話は逸れるが、一例を上げる。
『仮名手本忠臣蔵』は、まぎれもなく傑作中の傑作であり、涙なしには見られない場面が目白押しである。
「鮒侍」の件りなど、塩冶に代って師直を叩っ切りたくなる。
塩冶が師直を叩っ切れなかったのは痛恨の極みだし、塩冶の切腹は無念だし、大星が主人の仇を討った時には清涼感を覚える。我が国の演劇・文学史上、最上級の傑作であることに疑いを容れる余地はない。

ただし、それと赤穂浪士の討ち入りをどう評価するか、ということは話が別である。
事実は審らかではないが、浅野内匠頭が吉良上野介に切り掛かるに当たっては相応の事情があったのだろう。だが、浅野自身が刃傷事件について「私的な遺恨」と供述しているらしいことからも判るように、仮に浅野が吉良を仕留めていたとしても、浅野が得るものは個人的な満足感以上のものではない。
自身の行為によって、路頭に迷う家臣がどれだけあり、領民の難儀はいかばかりであるか、そこを慮ってこそ、人の上に立つ大名である。
そういう意味で、仮に吉良に非があったとしても、浅野の行動は、正当化のしようがない。そして、吉良からすれば、大石らによる仇打ちは、逆恨みという面が濃厚である。

『忠臣蔵』では、師直が意地悪で、塩冶が酷いことをされ、堪忍相成らず切り付けたが、恨みも晴らせず、師直には何の咎めもなく塩冶だけが一方的に切腹になり、お国は改易、家臣は離散…。
それを、大星を始めとする四十七士が長年の苦節を耐え忍び、見事主君の恨みを晴らしたからこそ、歴史に残る名作になるのである。
むろん、創作上の塩冶においても、家臣のことを考えて自重するべきだった、と言えないことはない。だが、塩冶の短慮を読み込んでみたところで、『忠臣蔵』の本質には迫れまい。そもそも、塩冶が我慢したら、この作品は成り立たないのである。

少々余談が長くなったが、とまれ、作品の裏の裏まで読むことが、かならずしもその作品の理解の手助けにはならないであろうことを述べたかったのである。

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