『塩原多助一代記』

先日、町内会の総会に出席した時、地域に古くから住んでいる方から、「塩原太助と津軽の上屋敷が本所の自慢」という話を伺った。
正確には、「本所(ほんじょう)に過ぎたるものが二つあり津軽大名炭屋塩原」と言う。

まずは「津軽大名」だが、津軽弘前藩の上屋敷と下屋敷がどちらも本所にあった。特に上屋敷が有名で、そこにゆかりの本所七不思議の一つ、「津軽の太鼓」というのがある。

● 津軽の太鼓
大名屋敷の火の見やぐらでは、板木を打つならいでしたが、南割下水近くの津軽家に限って太鼓を打つことが許されていました。


「どこが不思議なんだ?」などと言ってはいけない。歴とした、由緒正しい七不思議である。

さて、もうひとつの「過ぎたるもの」たる「炭屋塩原」が、件の塩原太助である。
「塩原太助」の名前は、三遊亭円朝の『塩原多助一代記』(岩波文庫)で知っていた。円朝のものは何故か「多助」になっているが…。あくまでも落語で、完全な実話ではないから、敢えて変えたのかもしれない。
手許にあるのは1993年の第3刷。リクエスト復刊された時に購入して読んだものだが、そんな昔のことなので、内容はすっかり忘れてしまっていた。それで、地元本所の自慢なのなら改めて読まずばなるまいと、書架から掘り起こして来て読み直してみた。

ひとことで言えば、塩原太助の波乱万丈の人生と立身出世の物語。よんどころない事情で故郷を離れ、裸一貫で江戸に出て来てから、本所相生町(現・両国三丁目)に炭屋の店を構えて財を為すに至る。
因縁ある悪漢と何度も偶然出くわすなど、激しくご都合主義的な展開が繰り返されたりするのではあるが、それはそれとして、さすが円朝、かなり楽しめる。だいたい、歌舞伎にしろ何にしろ、古典芸能なんてのはご都合主義に出来上っているものである。もっと言えばシェークスピアだって…。要は、面白ければ良いのである。

実在の塩原太助は、ただの商人ではなく、私財を投じて公共事業を行なった人物のようである。
今でも、竪川に掛かる「塩原橋」に名を残す。もっとも、この塩原橋は太助の住居が近くにあったことに因んで名付けられたもので、実際には太助とは関係がないのだが…。とはいえ、太助の事蹟にあやかって命名されたことには違いがない。

本書は、まるっきりの嘘ではないにしても、完全な実話というわけでもない。本書の内容を妄信して、「塩原太助というのはそういう人だったんだ」と納得してしまうべきものではけっしてない。
けれども、地元の人たちの太助への思い入れを生んだ要因として、円朝の『一代記』が寄与していることは否定できない。

本所地区在住の人には必読の書。

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