「数馬の脾腹を…」

以前から何度か書いている、芥川龍之介の文章に出て来る表現。
今回はこんなものを。

と、二の太刀が参りました。二の太刀はわたくしの羽織の袖を五寸ばかり斬り裂きました。わたくしは又飛びすさりながら、抜き打ちに相手を払ひました。数馬の脾腹を斬られたのはこの刹那だつたと思ひまする。

(『三右衛門の罪』)

闇打ちを仕掛けて来た衣笠数馬を返り打ちにした細井三右衛門が、主人加賀宰相治修に事の次第を語る場面である。ここの文脈は、少々掴みづらい。
まず、「数馬の」の「の」だが、これは連体修飾格ではなくて、主格と看做すべきだろう。(誰かが)数馬脾腹を斬られたのではなくて、数馬脾腹を斬られたということである。現代語には、あまり用いられないけれども、「僕好きな先生」というような用法に残る。

それにしても、数馬の脾腹を斬ったのは、ほかならぬ話者・三右衛門自身である。その三右衛門が、ヒトゴトのように「斬られた」と話すのも、妙な表現だと言えないことはない。
だが、この表現には、周到な作者の計算があるように思う。
三右衛門は、主人に対して、保身のために弁明をしたり、感情に訴えたりはしない。あくまでも、その時の状況、数馬が闇打ちを仕掛けるに至る原因などを、自らが将来を嘱望していた若者を斬ったという感情も含めて、冷静に、事実を事実として語るだけである。三右衛門は、そういう人物として描かれている。
敢えて作品の結末は書かないが、こういう三右衛門の人物設定が、そこに効いていると思うのである。

マイナーな作品で、何のことやらさっぱり判らない向きには、誠に申し訳ない。それに、書いているうちに、もう少しじっくり考えれば、ちょっとした短文くらいにはなりそうな気がして来た。反省。ただのメモだと思って許していただきたい。

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