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「あゆびよう」

以前書いた「女に別れる(続)」のエントリに、芥川龍之介の『トロツコ』の末尾近くの一節を引用した。

良平は二十六の年、妻子と一しよに東京へ出て来た。今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆を握つてゐる。


同じ芥川に、それを受けたように始まる『百合』という作品がある。

良平は或雑誌社に校正の朱筆を握つてゐる。しかしそれは本意ではない。


ちなみに、『トロツコ』は良平8歳の時の話、『百合』は7歳の時の話となっている。

それはそれとして、今回取り上げるのは『百合』の次の部分。

金三は勿論雄弁だつた。芽は二本とも親指より太い。丈も同じやうに揃つてゐる。ああ云ふ百合は世界中にもあるまい。……
「ね、おい、良ちゃん。今直見にあゆびよう。」
金三は狡るさうに母の方を見てから、そつと良平の袖を引いた。


『日本国語大辞典』によれば、「あゆぶ」は「同行する。出かける。」意。「また、特に、遊里通いをする。」ともあるが、ここはもちろん遊里と関係のある使い方ではない。
漢字を宛てれば「歩びよう」である。どうやら「あゆむ」と関係のあることばであるらしい。

手許の国語辞典には立項されておらず、『日国』も用例として洒落本・滑稽本を引いていることから、現代語としては通常用いられないことばなのだろう。
『百合』の原文には、「あゆびよう」に圏点が打たれているから、芥川自身、それほど一般的な語とは考えていなかったのかもしれない。方言なのか、児童語なのかは良く判らないが…。

なお、「あゆぶ」の未然形に「よう」が付くと考えるのもおかしいので、ここは、「アユビヨウ」ではなくて、「アユビョウ」と読むべきだろうか。

不確実なことで、大して調べもしていないのだが…。メモみたようなものである。

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