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「役不足」

「次のプロジェクトは田中君に任せようか?」
「いやぁ、あいつじゃあ役不足だよ!」


「田中君」には荷が勝ち過ぎている、「田中君」にそんな力はない…そんな場合に、良く使われる。
が、手近な国語辞典を引いて見れば判る通り、まったく逆の意味のことばである。

割り当てられた役目が軽過ぎ・る(て、それに満足できないこと。「―を言う」(『新明解国語辞典 第3版』1985年)


たとえてみれば、市川團十郎が馬の脚を演じているような場合に使う。つまり、先の例は、「誤用」である。

僕の持っている辞書は、他のものも、ほぼ上記と同様の記述で、この誤用について書かれたものはない。
そこで、いくつかの辞書の最新の版を見たところ、次のようにあった。

割り当てられた役目が軽過ぎ・る(て、それに満足出来ない)と思う様子だ。〔「―ながらその任を全うしたい」などと、自分の能力不足を謙遜する言い方に用いるのは誤り〕「―だと文句を言う」(『新明解国語辞典 第6版』2005年)

(1)俳優などが、自分に割り当てられた役に対して不満を抱くこと。 (2)その人の力量に比べて、役目が軽過ぎること。「―の感がある」▽誤って、力不足の意に用いることがある。(『広辞苑 第6版』2008年)

(1)割り当てられた役に対して不満を抱くこと。与えられた役目に満足しないこと。*滑稽本・八笑人(1820-49)*西洋道中膝栗毛(1870-76)仮名書魯文<用例省略> (2)その人の力量に対して、役目が不相応に軽いこと。軽い役目のため実力を発揮できないこと。*文科大学挿話(1926)川端康成 *恋人たちの森(1961)森茉莉<用例省略> (3)(誤って、役に対して自分の能力が足りないの意と解したもの)役割を果たす力がないこと。荷が重いこと。「役不足ですが、一生懸命つとめたいと思います」(『日本国語大辞典 第2版』2002年)


1998年の『広辞苑』第5版には、誤用についての言及がないから、今世紀に入って、ようやく認められた(誤用が定着したと見なされた)もののようである。

さてそれでは、こんな例はどうだろうか。

「…それにしても、こう申上げては失礼だけれど、絹川という色男も、瀬戸という色男も、どうもあなた、少し役不足じゃありませんか」
「ええそれはうちの宿六はたしかに偉いところもあるけど、ああまでコチコチに何から何まで理ヅメの現実家なんて、息苦しくって堪らないものよ。…」(坂口安吾「金銭無情」1948年)


「倉田」と「富子」という登場人物の会話である。倉田の会話の中に、件の「役不足」がある。
倉田が、絹川や瀬戸という男が富子の相手として「役不足」だ、と表現しているのだとすれば、これは誤用の例だということになる。戦後間もない昭和23年だから、誤用だとすればかなり古いものだろう。
が、そうとも言い切れないところがある。

ここで参考までに、『日本国語大辞典 第2版』に採られている用例を見てみよう。

「僕じゃ貫禄がないからな。ギドなら素晴しいけれど、ルオオだって、ルッソオだって、もっと昔のだって、皆知っているし」
「僕じゃ少し役不足だね。みんなパウロを素人としてみているんだから、幾らか解っていて、感じがよけりゃあいいんだ」(森茉莉「恋人たちの森」)


この場面は、ギドウ(義童・ギド)が絵画の仲介人としてパウロ(巴羅)を推薦しようとするところ。「役不足」の語は、ギドウの会話文中にある。

仲介人の仕事はギドウでは務まらない、力不足だ…つまり、誤用の例だと言えば、それで納得する方もいるだろう。
が、これは、正用の用例として採られているものである。
仲介人の仕事がギドウにとって「役不足」なら正用として、ギドウがその仕事にとって「役不足」なら誤用として、どちらに取っても通じないことはない。この部分だけ見ていたのでは、やや判断に迷うところである。

そこで、この少し前の部分を見てみる。

ギドウは銀座の画廊、ブリヂストン、デパアトなぞの展覧会に足を運んで画を買う、一部の金持連中と、家同士の附合いがある。その連中の中には画商を間に入れることを嫌い、直接絵を持っている人間同士に、適当な礼金で橋渡しを頼みたいと思っているのがいた。よくある半玄人のような連中にみすみすぼろい商売をされるのも不愉快である。その仲介人に、ギドウはパウロを推してやろうと言うのである。


素人であるがゆえに、ギドウはパウロを仲介人として推薦しようとしているのである。だから、「ルオオ」や「ルッソオ」や「もっと昔の」を知っているギドウには、その仕事は相応しくない。
つまり、ギドウにとって、仲介人の仕事が「役不足」なのである。だからここは、『日本国語大辞典』のとおり、正用として使っている例と考えられる。
この用例で、読者が正用と迷いなく判断出来ていたのだとしたら、昭和30年代半ばには、まだ誤用としての「役不足」が拡まってはいなかった、ということなのだろう。

安吾の例に戻る。
ここを正用と見るか、誤用と見るかは、絹川・瀬戸と、富子と、どちらに主体を置くかということに関わっている。

(1)『絹川・瀬戸にとって、(富子と付き合うことは)役不足だ』
(2)『富子にとって、(絹川・瀬戸は付き合う相手として)役不足だ』

(1)は、絹川・瀬戸を主体とする表現である。絹川・瀬戸にとって、富子と付き合うという行為は荷が勝っている、「役不足」だ、と言っているわけだから、これなら誤用の例である。
それに対して、(2)は、富子を主体とする表現である。富子が付き合う相手として、絹川・瀬戸では物足りない、彼らでは「役不足」だ、と言っているわけで、これなら正用である。

どちらにも、取ることは可能だろうが、誤用としての「役不足」の用法が、(まったくなかったかどうかは判らないが)それほど拡まっていなかったであろう当時の読者は、これを読んだ時、恐らく後者の理解をしたのではなかろうか。

ここに上げた安吾や森茉莉の例のような、逆の意味にも取れないことのない「役不足」の用法が、現在一段と拡まりつつある「誤用」の用法を生む原因になったのかもしれない。

「いとやむごとなき際にはあらぬ」(源氏物語・桐壺)というような格助詞「が」の用法が、逆接の接続助詞「が」を生み出す要因なった如く…。
最近の例。

「おまえを秘密の穴ぐらに閉じこめてやるぞ!」トマト騎士は、チポリーノにいいました。「ふつうの牢屋では、おまえには役不足だ」(ジャンニ・ロダーリ作・関口英子訳『チポリーノの冒険』2010年)


これは間違いなく正用である。が、いかにも正しい使い方をしている、というわざとらしさが、感じられないこともない。

Comment

役不足なんて言葉を聞くとなんかどこぞの国の総理大臣を想起しちゃて・・・

一瞬ドキッとしなんですが、なんだ、そういうことでしたか。
[ 2011/06/19 23:23 ] [ 編集 ]

Comment

>市川團十郎が馬の脚を演じているような場合に使う

僕がこの言葉を間違って使っていて、ホシナさんから間違いを指摘されたんですけど、そのときの用例もこれでした。
懐かしい。
[ 2011/06/20 03:04 ] [ 編集 ]

Re: 三友亭主人さん

> なんかどこぞの国の総理大臣を

その場合、もちろん正用…で…あってほしいところ…です…が…。
[ 2011/06/20 20:20 ] [ 編集 ]

Re: 中川@やたナビさん

> そのときの用例もこれでした。

あれま、そうでしたか。
「役不足」の話をしたのは覚えてましたが、用例まで一緒だったとは。
進歩がありませんな。
尾上菊五郎に変えとけばよかった…って、それじゃ同じですが…。
[ 2011/06/20 20:21 ] [ 編集 ]

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「役不足」(2)

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[2013/09/30 00:12] URL HOSHINA HOUSE








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