『「坊っちゃん」はなぜ市電の技術者になったか』

ここのところ、かなり重たい内容の本を読んでいて、徐々に読み進めてはいるものの、少々疲れて来た。
そこで、気分転換に、例の如く我が家の書架にある本を引っ張り出して来て読んでみた。
ただしこれは、積ん読ではなく再読。

小池滋『「坊っちゃん」はなぜ市電の技術者になったか』

「坊っちゃん」はなぜ市電の技術者になったか (新潮文庫)

文学作品の中に現れる鉄道の記述を巡る随想。
改めて読み返してみると、気軽に読めるのは間違いないものの、意外に深いところを突いている。少なくとも、気軽に書けるようなものではなさそうである。

標題の章で、坊っちゃんが上等の白切符で温泉に通うこと、うらなりが下等の客車に乗ることの意味をサラリと解説しているところは示唆に富む。
『銀河鉄道の夜』の中の一節、ふつうなら読み飛ばしてしまいそうな、「ぼくは立派な機関車だ。ここは勾配だから速いぞ」(「ケンタウル祭の夜」)の「だから」という表現に籠められている意味を推測しているところも面白い。(「銀河鉄道は軽便鉄道であったのか」の章)
廃線になった京成電気鉄道の白鬚支線をめぐって、「濹東綺譚」(注)や「寺じまの記」のフィクションの方法を考察するのも興味深い。(「どうして玉ノ井駅が二つもあったのか」の章)

この本のカバー裏の作品紹介には、「ミステリの味わいを湛えたスリリングな鉄道エッセイ」とある。
この評が当っていないとは言えないのだが、とはいえ、鉄道の描写を切っ掛けに作品の「読み」に切り込んでいる部分が多いから、鉄道マニアが読んで喜ぶのかどうかは判らない。
が、文学好きの人にも、今まで気付かなかった発見が少なからずあるだろうと思って紹介するのである。
(注)ブラウザによっては表示されないだろうとは思うのだが、仮に表示されなかったところで判らないことはないだろうと思ってそのまま文字を使った。書かずもがなだが、「ボクトウキタン」である。

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