蠅帳

だいぶ以前から、僕の主たる読書の時間と場所は、電車の中である。
学生時代には、電車の中で池田亀鑑の『古典の批判的処置に関する研究』を読み切ったこともあるけれども、今ではそんな根性はない。だから、読むものはどうしても文庫本が多くなる。

文庫本を読んでいると、今や、近代の文章でも注が付いているのがふつうである。
注には、役に立つものもあれば、立たないものもある。中には、こんな常識的なことばに何故注が…? と思うようなものもある。
だが、僕には注がなければわからないようなことが、もっと上の世代の人にとっては常識だということも多々あるわけだから、それを以て一概に、「今時の若者は…」と言うわけには行かない。

さて、岡本かの子の『家霊』(ハルキ文庫)に収められている「鮨」という短篇を読んでいたら、「蠅帳」ということばに注が付いていた。言うまでもないが、「ハイチョウ」と訓む。
若い人(…なんて言うとかなり年寄りくさいが)には蠅帳なんて馴染がなかろう、確かに、これは注が必要だ、と思ってからふと気づいたのだが、僕が子供の頃にも、自分の家ではそんなものは使っていなかった。
僕の実家は、横浜(と言っても田舎の方だが)の新興住宅地だから、それほど蠅がいなかったのだろう。けれども、「蠅帳」と言われれば、それがどんなもので、何のために使うものなのかは知っている。

子供の頃、祖母の家が信州にあって、毎夏、訪れていた。その祖母の家で、蠅帳を使っていたのである。
もっとも、これは蠅帳と言うものだ、ということを教わった覚えはないのだが、「蠅帳」という字と、「ハイチョウ」という音と、そのものとが、いつの間にか結びついていた。
だから、僕にとっては、「蠅帳」は、注が必要な難しいことばではない。それに、今でも蠅帳を実用している家庭は少なからずあるはずである。
けれども、僕と同年代でも、僕と同じような環境で暮らしていれば、蠅帳を知らなくても無理はないし、僕より上の世代でも、もっと都会に住んでいれば、見たこともないかもしれない。
だから、「蠅帳」ということばに、注が必要なわけである。

こうして、近代の文学が、だんだんと古典になって行く…。

有用な省察があるわけではない。ココロニウツリユクヨシナシゴトを、ソコハカトナク書き付けたに過ぎない。

>読書の時間と場所は、電車の中である

私の場合自動車の通勤ですから、そうは行きません。
本を読む時間はますます減って・・・

・・・最近はまともに本を読むことがすっかり無くなってしまいました。

それではいけない・・・と思い、寝る前に本は開くようにしているのですが、2回ほどページを来れば、睡魔が・・・

まあ、書物がていの良い催眠剤になっています。
[ 2011/07/11 22:04 ] [ 編集 ]

Re: 三友亭主人 さん

学生時代、特に教養課程の時は、横浜の南端から千葉県まで、2時間半ほど電車に乗って通学していました。
半分は睡眠に充てたとしても、まだまだ時間が有り余っていましたから、本でも読むしかなく、すっかり癖が付いてしまいました。
そのお陰で、どんなに揺れる乗り物ででも、平気で本が読めるようになりました。そのせいで眼も悪くなったかもしれませんが…。
[ 2011/07/11 23:05 ] [ 編集 ]

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