「家霊」2題

岡本かの子の作品より。

板壁の一方には中くらいの窓があって棚が出ている。客の誂えた食品は料理場からここへ差し出されるのを給仕の小女は客へ運ぶ。客からとった勘定もここへ載せる。それらを見張ったり受け取るために窓の内側に斜めに帳場格子を控えて永らく女主人の母親の白い顔が見えた。今は娘のくめ子の小麦色の顔が見える。(「家霊」)


引用した2文目の文脈は、少々判りづらいかもしれない。
「客の誂えた食品、~給仕の小女~運ぶ」となっていて、「客の誂えた食品は」を受ける部分が、判然しないからである。
この文の述語「運ぶ」に対する主語は「給仕の小女」であって、文冒頭の「客の誂えた食品」ではない。

ここは、当初、

  客の誂えた食品は → 料理場からここへ差し出される

という文脈だったのが、そのまま、

  ここへ差し出されるのを → 給仕の小女は客へ運ぶ。

と、続いたのである。
「ここへ差し出される」は、「客の誂えた食品」を主語とする述語だけれども、それが文の途中で観点が転換して、「運ぶ」の目的語にもなっているのである。

続く3文目も、判りにくいかもしれない。

「それらを見張ったり受け取るために…女主人の母親の白い顔があった」とでもあるのがふつうだろう。
それを、「女主人の母親の白い顔が見えた」というのは、文の途中で、客の視点に転換しているのである。

国語の文章には、こういった、文の途中で観点の転換するものが少なくない。
たとえば、こんな例がある。

なほ行きゆきて、武蔵の国と下総の国との中に、いとおほきなる河あり。(伊勢物語・9段)


「なほ行きゆきて、武蔵の国と下総の国との中に至りぬ」とでもなるべき文脈が、観点の転換によって、「いとおほきなる河あり」と続くのである。

  なほ行きゆきて、武蔵の国と下総の国との中に(至りぬ。)
  武蔵の国と下総の国との中に、いとおほきなる河あり。

というようなことである。

ほかに、近代の文章にも、有名な例はあるのだが、それは気が向いたら、そのうち。

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