「河づら」その他

岡本かの子の「娘」より。

室子はしかたなく蓑吉を膝に凭せながら、午前九時ごろの明るさを見せて来た隅田川の河づらを覗いた。
「蓑ちゃん、長命寺のさくら餅屋知ってる」
「ああ知ってるよ。向う河岸の公園出てすぐだろ」
「じゃ、一人で白鬚の渡し渡って買ってらっしゃい。行ける?」


ここで「河づら」と言っているのは、川の水面のことだろう。

そもそも、「つら」とは「面」のことで、「ツラを洗って出直して来い!」などというのも、顔面を洗う意である。だから、上記のかの子の文章に、疑問はない。

だが、この「つら」ということば、古来から「面」の意味だったかというと、そうではない。
平安朝の仮名文に、時々、「つらづゑ」ということばが出て来る。「面杖」=顔面に杖をついているのではなく、顔の側面に杖をついている=今でいう「頬杖」のことである。
『伊勢物語』(第7段)の「伊勢・尾張のあはひの海づらを行くに」というのは、船で海面を航行するのではなくて、海岸線を歩いているのである。
『蜻蛉日記』(天録元年7月)の「川づらに、放ち馬どものあさりありくもはるかに見えたり」という表現も、馬が、川面でじゃぶじゃぶやっているわけではなくて、川岸で、餌を探し歩いているのである。
つまり、古代における「つら」とは、「傍」である。

以上、かの子の作品の読みとは関係がないけれども、思いついたので書いてみた。

もう1点。
ハルキ文庫収録の「娘」の本文では、「白鬚」に「しらひげ」とルビを振っている。初出の段階から振られていたものなのか、ハルキ文庫で新たに振られたものなのか、確認はしていない。
ルビを振るとしたら、そうするしかないのだとは思うのだが、ここの発音は、「しらしげ」なんじゃないか、と思ってみたりするのである。

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