「女に別れる」(続々)

以前、「女に別れる」のエントリで、ちょっと変わった「に」の使い方を紹介した。

こんな例である。

君は僕がどうしてあの晩、国府津なんぞへ行つたんだか知らないだらう。ありやね、嫌になつた女別れる為の方便なんだ。(芥川龍之介『路上』)

彼は一番始めに斯んな事を云つて津田調戯つた。(夏目漱石『明暗』)


これらは、「に」に下接する用言の対象を示す用法である。

志賀直哉の『暗夜行路』に、同じような例があった。

背の低い、癖毛の一寸美しい芸者が何か末松揶揄いながら暗い道で謙作の手を握った。(後篇・第三・15)

謙作達はこの一っこくのような所のある、勝気な看護婦信頼していた。(後篇・第三・19)


現代語でも、「…心酔する」なら問題なく使用できる。けれども、「…―信頼する」には違和感がある。
どちらも「ABする」という形で、Bという動作の対象がAだということを表現しているのには違いないが、前者は可で、後者は不可である。
同じ動詞でも、芥川の例の「女別れる」は不可だが、「二手別れる」なら可だろう。
それが、すくなくとも大正までは、両者とも可だったのである。

つまり、明治・大正期に比べて、現代では、「に」の用法が、限定されているのである。動作主に主体的な意思のある場合には「に」が使えないようにも思えるが、そう単純なものでもないだろう。
…というわけで、例の如く結論はない。

ついでに、上記とはちょっと違うが、「に」の用例。

上も下も前も後も左も右も限りない闇だ。その中心に彼はこうして立っている。総ての人は今、家の中眠っている。(前篇・第二・1)

謙作は実際或高座その女を見て、惨めな、不快な感じを受けた事がある。(前篇・第二・13)

謙作にはこれまでのそう云う習慣から、それ程貞節である良心もなかったが、そう云う事で、末松の前妻を侮辱する事が何となく嫌だった。(前篇・第二・15)


いずれも、動作の場所を示す「に」である。
【蛇足】
先の用例にある「一っこく」。
耳慣れないことばかもしれないが、唱歌『村の鍛冶屋』の一節、「あるじは名高きいっこくおやじ」を知っている人なら、容易に意味は判るだろう。ただし、現在では歌詞が「あるじは名高い働きものよ」に変えられてしまっているから、『村の鍛冶屋』を知っていても、「一っこく」は判らない人がほとんどと思われるが。
子供に判りにくいから、というような安直な理由で唱歌の歌詞を改変してしまうと、『暗夜行路』のような近代の名作が、どんどん判らなくなって行くのである。
単純に、「いっこくおやじ」は「頑固おやじ」のことだ、と教えさえすれば済むことだと思うのだが…。

このエントリ、実は、「に」より「一っこく」の方に反応して書いた。

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