家賃は21000円

「坊っちゃん」ではない「何か」」の続き。

本当は一回書けばもう充分なのだが、貧乏性と言おうか何と言おうか、わざわざ買った本を、それだけで書架の肥しにしてしまうのも勿体ない気がして、「坊っちゃん」と「何か」との違いを、比べて見ている。
ただ、突っ込みどころが余りにも多すぎて、収拾が付かずにいる。そのうち纏まったら何か書こうと思うが、今日は、作品の中身ではないところで、気になったことを取り上げる。

いい加減な本というのは、およそどこまでもいい加減にできているようで、この「何か」は解説にまで疑問符が付く。
どこかで読んだ気がするような内容なのは措いておくとして、呆れるのはその書き出しである。

今の一円が、当時はおよそ三五〇〇円。
『坊っちゃん』は、そんな時代の物語です。坊っちゃんの目を通して、あなたは明治三九年の四国の中学校まっただ中に飛び込みます。…


まさかそんなことが書かれているとは信じ難いが、何度読み返して考えてみても、「今」と「当時」が逆である。これでは、明治時代の方が今より物価が高いことになってしまう。
が、今回は、あえてそこには目を瞑って、今の物価は当時の3500倍だ、という意味のことが書かれていることにしよう。その上で…。

人間、一番新しい情報が、一番記憶に残っているものである。非常に記憶に新しい解説の2ページ前、今の今読み終えたばかりのところに、こんな文があった。

その後、ある人の紹介で、路面電車の技術者になった。
月給は二十五円で、家賃は六円だ。

(原文:其後ある人の周旋で街鉄の技手になつた。月給は二十五円で、家賃は六円だ。)


当然のことながら、読者はこの金額に、3500を掛けてみるだろう。すると、25円は今の87500円、6円は21000円という数字が弾き出される。
何だこれは!
月給は今の東京都の最低賃金を遥かに下回る。それに、都内で2万円で借りられる家というのは、一体どんな環境にあるのだろうか。しかも清と二人で暮らせるような家である。何だか、訳が判らない。

物の値段の比較は、何を基準にするかによっても大きく変わるだろうから、この物価の換算の数値の正誤は問題にしない。何かの物価を基準にした比較では、明治末期と現在とで1対3500になっているのだろう。だから、その記述自体が、嘘だとか間違いだとか言うつもりはない。
問題は、「坊っちゃん」を読み終えたばかりの読者にこんな情報を与えるのは、どんな目論見あってのことなのか、ということである。

解説の冒頭で、換算の基準を示して、「そんな時代の物語です」などと言われれば、読者はふつう、換算することが推奨されているのだろうと考える。だが、それを真に受けて換算した結果は、「???」である。
実に不思議なことだが、ここに示された換算の基準に従って、「坊っちゃん」に現われる具体的な金額を現代の相場に換算してみる読者が実際にいるであろうことは、想定されていないのだろう。
今の物価が当時の3500倍、という情報は、マメ知識としては良いかもしれないが、読者が「坊っちゃん」の世界に入り込むことには、何の役にも立たない。いや、役に立たないこともないかもしれないが、少なくとも、この解説には、役に立ててもらおうという気がない。
「坊っちゃん」のどこにどんな金額が書いてあるかも知らないで…と言ったら言い過ぎかもしれないが、すくなくとも確かめもしないで書いているのは間違いない。

「坊っちゃん」の中には、ほかに、こんな数字も出て来る。
父親の死後、兄が家財を処分して九州へ行く時に、坊っちゃんに置いて行ったお金の使い道の記述である。

商売などはどうでも良いから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三で割って、一年に二百円ずつ使えば、三年間は勉強ができる。

(原文:資本抔はどうでもいゝから、これを学資にして勉強してやらう。六百円を三に割つて一年に二百円宛使へば三年間は勉強が出来る。)


200×3500は70万だが、1年に200円の学資とは、単純に学校に払う授業料だけを言うのではないはずである。学校に通いながら生活費はアルバイトで稼ぐなどということが、当時としては簡単にできるわけはないから、1年200円は生活費も入った金額である。つまり、今の感覚で言えば、3~400万円くらいには、相当すると考えなければならないだろう。

そのように考えて来ると、「街鉄の技手」としての25円の月給は、そう悪いものではない。
四国の中学校の月給40円も、校長や学士たる赤シャツには大きく劣るだろうが、それなりの高給なのに違いない。40×3500で14万円の月給なら、赤シャツを殴りつけて棒に振ることのできる人はいるだろうが、実際にはそんな勇気が簡単に出る金額ではなさそうである。

四国に着いて最初に乗った汽車の切符が3銭。
宿屋にやった茶代が5円。
山嵐が奢った氷水が1銭5厘。
団子2皿7銭。
温泉の上等が8銭。

「坊っちゃん」にはいろいろな数字が出て来るが、一々換算はしない。「今の一円が、当時はおよそ三五〇〇円」という情報を提示することは、それがたとえ間違ってはいないとしても(前述したように本当は間違っているけれども)、この作品の読みに、寄与するところがないのである。
[ 2011/10/08 19:25 ] 本と言葉 閑話 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

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