必要のない文を削除する(?)

しつこいようだが、またもや、「坊っちゃん」ではない「何か」について。

「坊っちゃん」という作品、存外、長い。
だから、子供向けの「何か」を作る時に、所々、ストーリー展開の上で差し支えの少なそうな場面を割愛せざるを得ないところまでは、百歩譲って認めることにしよう。

それにしても、ここを削除するのか? と思うところは多々ある。
一例を上げれば、こんなところである。

坊っちゃんが、待ちに待った清からの手紙を読む場面である。

――読みにくいかもしれないが、これでもいっしょうけんめいに書いたのだから、どうぞしまいまで読んでくれ。

という出だしで、巻紙に一メートルばかりも、なにやらかんやら、書いてある。

――坊っちゃんは竹を割ったような性格だが、ただかんしゃくが強すぎて、それが心配になる。


「坊っちゃんは…」以降の手紙の文章については、多少の文言の違いはあるものの、それほど大きな違いはない。が、問題は、その前の部分である。

読みにくいかも知れないが、是でも一生懸命にかいたのだから、どうぞ仕舞迄読んでくれ。と云う冒頭で四尺ばかり何やら蚊やら認めてある。成程読みにくい。字がまずい許ではない、大抵平仮名だから、どこで切れて、どこで始まるのだか句読をつけるのに余っ程骨が折れる。おれは焦っ勝ちな性分だから、こんな長くて、分りにくい手紙は五円やるから読んでくれと頼まれても断るのだが、此時ばかりは真面目になって、始から終まで読み通した。読み通した事は事実だが、読む方に骨が折れて、意味がつながらないから、又頭から読み直して見た。部屋のなかは少し暗くなって、前の時より見にくくなったから、どうとう椽鼻へ出て腰をかけながら丁寧に拝見した。すると初秋の風が場所の葉を動かして、素肌に吹きつけた帰りに、読みかけた手紙を庭の方へなびかしたから、仕舞ぎわには四尺余りの半切れがさらりさらりと鳴って、手を放すと、向うの生垣迄飛んで行きそうだ。おれはそんな事には構って居られない。坊っちゃんは竹を割った様な気性だが、只肝癪が強過ぎてそれが心配になる。


坊っちゃんの、清への思いが伝わって来る場面である。が、「何か」では、それをごっそり削除しているのである。
この部分を削除したのが長さ調節のための単なる偶然ではないことは、手紙を読み終えた場面を比較すると、はっきりする。

おれが縁側で清の手紙をひらつかせながら、考えこんでいると、しきりの襖を開けて、萩野のおばあさんが晩飯を持ってきた。
見ると今夜もさつま芋の煮つけだ。


おれが椽鼻で清の手紙をひらつかせながら、考え込んで居ると、しきりの襖をあけて、萩野の御婆さんが晩めしを持ってきた。まだ見て御出でるのかなもし。えっぽど長い御手紙じゃなもし、と云ったから、ええ、大事な手紙だから風に吹かしては見、吹かしては見るんだと、自分でも要領を得ない返事をして膳についた。見ると今夜も薩摩芋の煮つけだ。


坊っちゃんが、清からの手紙を、時間を掛けて、何度も読み返していることを、読者に与える情報として不要なものと判断しているということだろう。
だが、ここが、簡単に削除できる、どうでも良い場面なのだろうか。それでは、坊っちゃんと清との心の繋がりを、不当に軽くする憾みがある。
[ 2011/10/13 23:09 ] 本と言葉 閑話 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

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