『乙女の港』

川端康成『乙女の港(実業之日本社文庫 - 少女の友コレクション)

何故、書籍の画像が入っていないかと言うに、リンク先(アマゾン)を見てもらえば瞭然、表紙の絵が、小っ恥ずかしいのである。文豪・川端康成の作品とはいえ、何せ『少女の友』なる戦前の少女雑誌に連載されて人気を博した、少女向けの小説である。単行本もずいぶん売れたらしいが、この文庫には、その時の表紙の絵が使われているのである。

さて、僕が学生時代に、新聞などでも報道されたのだが、この作品は、中里恒子が書いた草稿に、川端が手を入れて出来上ったことが、明らかになっている。もっとも、川端研究者の間では、川端が新人の草稿に手を入れて自作として発表していたのは周知のことで、中里の草稿が公表されたのは、具体的な事例の追加、という程度に過ぎなかったようではある。

その事実を踏まえて、中里の書いた草稿に対する川端の関与の度合いがどの程度のものであったかを明らかにしようとすることは、学問的に興味深い課題だと言って良いだろう。
本書の解説では、中里の書いたものを「原案」と呼び、それに川端が「かなり手を入れている」と言っている。
「かなり…」というのも、抽象的な言い方だけれども、関与の度合いは、量で測ることができないから、致し方ないところかもしれない。句読を直しただけでも、文章が一変する場合はあるし、逆に、文章をかなり直したところで、大筋には変化がない場合もある。

川端の作品は、あまり僕の好みに合わなくて、よほど有名なものか、読む必要に迫られたものでなければ読んでいないので、エラそうなことを言う資格はまったくないのだが、その上で敢えて言うと、川端が大幅に書き直していそうな感じは受けなかった。
とはいえ、今ここで、これは川端の作品ではなく、中里の作品だと見做すべきだ、ということを主張したいわけではない。むしろ、その逆である。

こと小説に限らず、今は著作権だの知的財産権だのがうるさくて、何より師弟の信頼関係が薄れているから減ってはいるだろうが、嘗ては師匠が弟子に代作をさせること(中里は厳密には川端の弟子ではないようだが)は、別段珍しいことではなかったろう。
学問の世界でも、何甲博士の某著は弟子の何乙が書いた、というような話は多い。だが、師にとって、それは楽して儲けるための単なる盗作・盗用ではなくて、弟子育成のための有効な手段でもあったのである。

実際に誰が書いたにせよ、師の名義で公刊する以上、師はその作物に対する毀誉褒貶をすべて甘受する責務を負う。
師が弟に代作をさせた場合、その作物に誉・褒があれば、それは代作した弟ではなく、師が得ることになる。そこだけ見れば、弟の利益が不当に阻害されているようにも見える。
だが、逆に毀・貶があったとしても、「あれは何乙が書いたものであって自分の非ではない」などという言い訳は成り立たない。
弟は、成功した場合の誉・褒を得られない代わりに、失敗した場合に毀・貶を受ける心配がない。無名氏に対する毀・貶の与える影響は、大家に対するそれの比ではない。
そういう状況の中で、弟は安心して自分の力を発揮することができるのである。そして、どんな形であれ、自分の書いたものが活字になることは、何よりも勉強になる。
それらをすべて踏まえた上で、代作したり、させたりしているのである。単純に、師弟どちらが書いた、という話で済むものではない。

また、当時の中里が自分の名義でこの作品を書いたとしても、『少女の友』が連載を決断したとは思えないし、仮にしたとしても、読者にそれだけ熱狂的に受け入れられたかどうかも疑問である。無名の新人が書いたとなれば、無視黙殺されるようなものであっても、大家が書いたとなれば、賞賛を得ることもある。一般大衆の鑑識眼というのは、そんなものである。

それに、作品の素材となった関係者が存命中の当時、中里名義であれば、書くのを憚られることも多かったろう。女学校の生徒の実体験をしたということがありえない川端の作であれば、そこに書かれていることはすべて川端の創作・想像の産物であって、この作品を書かれたことによって不利益を蒙ったり、不愉快な思いをしたりする人は、ないわけである。
だから、川端名義での刊行を前提として、今見る『乙女の港』が成立した、ということも言える。川端による修正が僅かだったとしても、中里名義で公刊するとなれば、大きく違った作品になっていた可能性もある。そして何より、当時の読者は、これを川端の作品として、受容していたのである。その事実は、否定しがたい。

解説にも書かれているように、この作品の草稿を中里が書いたということを証明する客観的な証拠物が存在する。そして、中里は、川端よりも遥か後年まで存命していたから、この作品が自分の著作物であることを主張したければ、いくらでもできたはずである。だが、中里は、そうはしなかった。そのことが一番、この作品が川端の作であるか、ないかという問題の答えを、雄弁に物語っていると言えるだろう。

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