『旧聞日本橋』より

長谷川時雨の『旧聞日本橋』を読んでいて、気になったことば、あれこれ。

諸方から人が出て来たが泥棒はいなかった。するとお其はあたし指さして、
「泥棒!」
と言った。幼心にはずかしさと、ほこらしさで、あたしもはにかみながら、
「泥棒!」
とおうむがえしに言った。みんなが笑った。(町の構成)


「あたし指さして」の「に」が問題である。「お其」が「指さし」たのは「あたし」だから、ふつうなら、「お其はあたし指さして」とありそうなところである。
これは、以前にも取り上げたことがあるが、動作の対象を示す「に」の用法である。つまり、「お其」が「指さし」た対象が、「あたし」なのである。

父親早く別れなければ、祖父もそんな辛抱が出来たかどうか、祖父の母も手離しはしなかったであろう。(西川小りん)


これも、同じような例で、上のリンクにある、芥川龍之介の「女に別れる」(『路上』)と、同様の例である。

ある時おじさんがうんうんいって押入れの葛籠を引っぱりだして暑いのになにをはじめたんですとおしょさんが小言を言った。(神田附木店)


「葛籠を引っぱりだして」の主語は「おじさん」だが、「小言を言った」の主語は「おしょさん(お師匠さん)」である。「おじさん」を主語とする文であれば、末尾は「おしょさんに小言を言われた」の方が、判りやすい。
が、これは、「て」の前後で観点が転換しているので、和文脈の特徴のひとつである。

夫婦は熱心に、これはなんという役者で誰の弟子、当たり芸はなにで、こんな見得をした時がよかったとか、この時の着附けはこうだとか、誰の芸風はこうで彼はこうと、自分たちの興味も手つだってよく話してくれた。(神田附木店)


近年は「見得を切る」と言う方が一般的だが、「見得をする」と言うのが本来だ、ということは聞いたことがあったが、「見得を切る」の実例は見ても、「見得をする」の実例には、実はお目に掛かったことがなかった。

いつでも、せまいほど家の中がウザウザして、騒々しい家だった。(鉄くそぶとり)


「ウゼー!」の元の形は、多摩地方で使われていた「うざったい」だと言われているようだが、これはそのさらに元の形。「うざうざ」しているから、「うざったい」のである。
「うざうざ」(副詞)は中世に既に用例がある。ただし中世の例は、虫や小魚が蠢く様を表わしたもののようだが、いずれにしろ、古いことばではある。その派生形と見られる「うざっこい」(形容詞)も、近世の柳多留にある。江戸から明治に掛けて、良く使われていたことばなのだろう。

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