附箋を剥がす(2)

附箋を剥がす」と同じく、本に貼った附箋を剥がすために書き留める。附箋を剥がすのが目的だから、それでどうだということはない。

ちくま日本文学『坂口安吾』(ちくま文庫)より。

【に】

これまで度々、いろいろな「に」の使い方について書いて来たが、その一環。

この珍奇なる部落は、人種、風俗、言語において西欧の全人種に隔絶し、実に地球の半回転を試みてのち、極東じゃぽん国にいたって初めて著しき類似を見出すのである。(「風博士」)

客がそう読んで長居をてれるからおかしいので父は面白がっていたが、今では私がたった一つ父の遺物にこれだけ所蔵して客間にかけている。(「石の思い」)

私が先生をやめたとき、お別れするのは辛いが、先生などに終ってはいけない、本当によいことです、と云って、喜んでくれて、お別れの酒宴を開いてうんとこさ御馳走をこしらえてくれた。(「風と光と二十の私と」)

「どうして親父をこまらしたんだ」
「だって、癪だもの」
「本当のことを教えろよ。学校から帰る道に、何かやったんだろう」(「風と光と二十の私と」)

しばらく家をあけ、外で酒を飲んだり女に戯れたり、時には、ただ何もない旅先から帰って来たりする。(「日本文化私論」3)



【へ】

ここはむしろ、「に」とある方がふつうなように思う。

この草原の木の陰は湿地で蛇が多いのでボクサーは蛇をつかまえて売るのだと云って持ち帰ったが、あるとき彼の家へ遊びに行ったら、机のヒキダシへ蛇を飼っていた。(「風と光と二十の私と」)



【嬉しまぎれ】

「悔しまぎれ」「苦しまぎれ」は良く聞くが、「嬉し」というプラス表現に「まぎれ」の付く例を、初めて見た(と、思っていた)。

と、この言葉はなるほど語気は弱かったが、いつにも似ない頑強な攻勢を窺うことができたのである。恐らく彼は嬉しまぎれに後のたたりも忘れているに違いない。(「村のひと騒ぎ」)


改めて『日本国語大辞典』を見ると、中勘助の『銀の匙』、里見惇の『桐畑』の例が引かれている。『銀の匙』なら間違いなく読んでいる。が、漫然と読んでいると、記憶に残らないものである。


【電髪嬢】

特別に意味はないが、その時代を感じさせることばだと思って附箋を貼ったもの。

そのくせ、タウトの講演も、アンドレ・ジッドの講演も聴きに行きはしないのである。そうして、ネオン・サインの陰を酔っ払ってよろめきまわり、電髪嬢を肴にしてインチキ・ウイスキーを呷っている。(「日本文化私論」1)


「でんぱつじょう」と読む。言うまでもないが、パーマをかけた女性のことである。

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