附箋を剥がす(3)

附箋を剥がす(2)」と同じく、本に貼った附箋を剥がすために書き留める。附箋を剥がすのが目的だから、それでどうだということはない。

『芥川龍之介全集5 小説五』(岩波書店、昭和30年)より。

【回漕店】

風邪がすっかり癒った後でも、赤帽と云ふ言葉を聞くと、千枝子はその日中ふさぎこんで、口さへ碌に利かなかつたものだ。さう云へば一度なぞは、何処かの回漕店の看板に、赤帽の画があるのを見たものだから、あいつは又出先まで行かない内に、帰つて来たと云ふ滑稽もあつた。(『妙な話』)


文脈からだいたい見当が付くが、聞いたことのないことばなので附箋を貼っておいた。が、だいたい見当が付くだけに、調べもせずにそのままになっていた。『日本国語大辞典』によれば、「荷送人と海運業者との間に立って、貨物運送の取次を業務とする店。回漕問屋。廻漕問屋。」のことで、「廻漕店」とも。

【御出て】

「ええ、肺炎になりましたものですから、――ほんたうに夢のやうでございました。」
「それも御出て匆匆にねえ。何と申し上げて好いかわかりませんわ。」(『母』)


これは何だということもないのだが、「御出て」が気になったので貼っておいたものである。

【美しい顔】

「いや、美しいと云ふ事は、この島の土人も知らぬではない。唯好みが違つてゐるのぢや。しかし好みと云ふのも、万代不変とは請合はれぬ。その証拠には御寺御寺の、御仏の御姿を拝むが好い。三界六道の教主、十方再勝、光明無量、三学無碍、奥奥衆生引導の能化、南無大慈悲大非釈迦牟尼如来も、三十二相八十種好の御姿は、時代毎にいろいろ御変りになつた。御仏でももしさうとしれば、如何か是美人と云ふ事も、時代毎にやはり違ふ筈ぢや。都でもこの後五百年か、或は又一千年か、兎に角その好みの変る時には、この島の土人の女所か、南蛮北狄の女のやうに、凄まじい顔がはやるかも知れぬ。
「まさかそんな事もありますまい。我国ぶりは何時の世にも、我国ぶりでゐる筈ですから。」
「所がその我国ぶりも、時と場合では当てにならぬ。たとへば当世の上臈の顔は、唐朝の御仏に活写しぢや。これは都人の好みが、唐土になずんでゐる証拠ではないか? すると人皇何代かの後には、碧眼の胡人の女の顔にも、うつつをぬかす時がないとは云はれぬ。」(『俊寛』一)


何かの時に使えるかもしれないと思って貼っていた。が、ただ貼っているだけでは、貼っていること自体を忘れてしまうものである。

【押すぢやあ】

しかしトロツコは二三分の後、もうもとの終点に止まつてゐた。
「さあ、もういちど押すぢやあ。」
良平は年下の二人と一しよに、又トロツコを押し上げにかかつた。(『トロツコ』)


『トロツコ』は、「小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まつた」時の話。横浜(南部)育ちの僕に馴染の深い「じゃん」と関係のある方言なのかと思って貼ったのだが、貼っただけでそのままになっている。

【に・を】

いや――、失礼は赦して下さい。(微笑)伴天連のあなたを疑ふのは、盗人のわたしには僭上でせう。しかしこの約束を守らなければ、(突然真面目に)「いんへるの」の猛火に焼かれずとも、現世に罰が下るはずです。(『報恩記』阿媽港甚内の話)

町は勿論とうの昔に人通りを絶つてゐましたが、星ばかりきらめいていた空中には、小やみもない風の音がどよめいています。(同)


「に」と「を」の使い方が気になったので貼っておいたのだが、まだ何も考えていない。

附箋はまだまだ貼ってある。

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