村正的なー

「的」というのは、もともと中国語で「の」に当たることばだが、現代日本語では、「現実的」とか「絶望的」とかいうような、「~のような」「~としての」というような意味合いのことばを造る造語成分である。
理屈としては、名詞であれば、大抵のことばに付けることはできるはずである。が、漢語に付けて文章語的な語彙を構成するのが本分だろうから、何でも蚊でもやたらに「的」を付けるのは、乱れた若者ことばとされる。「わたし的にはー」とか「おいしいデザート的なー」とかいうような言い方である。
また、説教口調でやたらに薀蓄を垂れるおじさんのことを「武田鉄矢的な」というように、固有名詞に付けて使うことも多くあるけれども、あまり熟した感じがしない。
ただ、「的」の造語力は非常に大きいから、そういうものも、ある程度まで許容してしまうのだろう。

さて、幸田文の『みそっかす』に、こんな文がある。

父の切りだしを買うために、おばあさんは嫂に介添を申しつけた。おとなしいその人は弟の択むにまかせて支払を済ませた。欣々と帰って礼を述べ買い物を見せると、一ト眼じろりとくれて、やおら嫁の方へ向き直ったおばあさんは、「わたしはかたわの子は産みませんよ。」人斬り村正的なことばである。度肝を抜かれて父も嫂も、何が何だかわからない。小刀は左刃であった。(おばあさん)


「村正」というのは戦国~江戸初期に活躍した伊勢国の刀工の名で、この場合はその村正が造った刀を指す。
その村正に「人斬り」ということばが冠せられているのは、村正は妖刀だ、というのが伝説のようになっていることによる。歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』でも、佐野次郎左衛門が遊女八ツ橋を切り殺す「籠釣瓶」という名の刀を、村正の作としてある。
だからここは、バサッと人を斬り倒すような鋭い物言いだということだろう。

この例が、今時の若者ふうの使い方なのか、正統な使い方なのか、俄かには判断しかねる。が、昭和24~25年(1949~1950)には、こんな言い方が、使われていたということである。

ところで、村正には、こんな話がある。
村正は、刀を打つのに切れることばかり考える。それで悪剣になる。師匠の正宗が意見をするが、料簡が治らないので勘当される。それで村正は、生活のために菜切り包丁を造るようになるのだが、何せ村正の造る庖丁だから俎板に葱を載せて切ると俎板が一緒に切れる。そのくらい切れる刀を造る刀工である。…というのは、志ん生の噺で仕入れたものだから、真偽のほどは察していただきたい。(そもそも村正は正宗の弟子ではないらしい。)

例によって結論は何もないのだが、あくまでもメモとして書き留める。

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