「ヒヤヒヤ」

国木田独歩の『牛肉と馬鈴薯』を読んでいて知ったことばがある。

「いけないいけない、先ず君の説を終え給え!」
「是非承わりたいものです」と岡本はウイスキーを一杯、下にも置かないで飲み干した。
「僕のは岡本君(さん)の説とは恐らく正反対だろうと思うんでね、要之(つまり)、理想と実際は一致しない、到底一致しない……」
ヒヤヒヤ」と井山が調子を取った。

上村は言って杯で一寸と口を湿して
「僕は痩せようとは思っていなかった!」
「ハッハッハッハッハッハッ」と一同(みんな)笑いだした。
「そこで僕はつくづく考えた、なるほど梶原の奴の言った通りだ、馬鹿げきって居る、止そうッというんで止しちまったが、あれであの冬を過ごしたら僕は死で居たね」
「其処でどういうんです、貴様(あなた)の目下のお説は?」と岡本は嘲るような、真面目な風で言った。
「だから馬鈴薯には懲々(こりごり)しましたというんです。何でも今は実際主義で、金が取れて美味いものが喰えて、こうやって諸君と煖炉(ストーブ)にあたって酒を飲んで、勝手な熱を吹き合う、腹が減(すい)たら牛肉を食う……」
ヒヤヒヤ僕も同説だ、忠君愛国だってなんだって牛肉と両立しないことはない、それが両立しないというなら両立さすことが出来ないんだ、其奴が馬鹿なんだ」と綿貫は大に敦圉(いきま)いた。


ここに出て来る「ヒヤヒヤ」ということば、現代ではまず使われることはないだろう。
注を見なければ、議論が盛り上がって来たところで愉快に笑い声でも立てたのだろう(「ヒャッヒャッ」というような擬声語)とでも思って終わってしまったところである。特に2例目は、直前に笑い声を上げている場面がある。
新潮文庫の巻末の注記の「謹聴、賛成などの意を表すかけ声。英語の hear から」という記述を見て、その意味を知ったのである。

『日本国語大辞典』を見てみると、「(英Hear! Hear!「ヒヤ」を重ねた語)演説などに賛成の意を表わす時にいう語。賛成賛成。謹聴謹聴」とあり、用例として、坪内逍遥の『当世書生気質』、内田魯庵の『社会百面相』が引かれている。
これは明治期の流行語のようで、夏目漱石の『吾輩は猫である』にも用例がある。

「なに大丈夫です、探偵の千人や二千人、風上に隊伍を整えて襲撃したって怖くはありません。珠磨りの名人理学士水島寒月でさあ」
ひやひや見上げたものだ。さすが新婚学士程あって元気旺盛なものだね。然し苦沙弥さん。探偵がスリ、泥棒、強盗の同類なら、其探偵を使う金田君の如きものは何の同類だろう」
「熊坂長範位なものだろう」(十一)

「だから貧時には貧に縛せられ、富時には富に縛せられ、憂時には憂に縛せられ、喜時には喜に縛せられるのさ。才人は才に斃れ、智者は智に敗れ、苦沙弥君のような癇癪持ちは癇癪を利用さえすればすぐに飛び出して敵のぺてんに罹る……」
ひやひや」と迷亭君が手をたたくと、苦沙弥君はにやにや笑いながら「是で中々そう甘(うま)くは行かないのだよ」と答えたら、みんな一度に笑い出した。(十一)


さて、最近、水上瀧太郎の『銀座復興』(岩波文庫)を読んでいて、この用例を目にした。

「わかった、わかった。その件に関しては、僕もあなたと同感です。さっきもあそこを通った時、腹だたしい気持ちさえもちましたよ。何故彼は依怙地になって、自分の殻の中に閉じ籠っているか。或は彼のいう通り、銀座は致命傷を負っていて、お祭騒ぎ位では復活しないかもしれない。或は又もう一度ぐらっと来て、たちまちぺしゃんこになって再びたてない運命に陥るかもしれない。しかし、そんな万一の事なんか考えずに、いいにしろ悪いにしろ、衆と共に積極的に動かないか……」
ひやひや。」
牟田が興奮して喋るのに和して、記者は高らかに賛成した。(二九)


大正12年(1923)の関東大震災の直後、銀座の復興に向かって立ち上がった人々の姿を描いた作品。昭和6年(1931)に発表されたものである。
これまでに上げた例と比べて、割に新しい用例と言って良いだろう。

で、このエントリを書こうと思ったのは、この水上瀧太郎の例と、次のもう1例を見つけたからである。
これは、平成20年(2008)の刊行だから、飛びっきり新しい例である。

「…(略)…『善人になれば、幸福になれる』『正直が一番の得策』それに『美徳はそれ自身の報いなり』グレゴリー同志のさいぜんの演説には、牧師補が喜んで聞かないような言葉は一つもなかったじゃありませんか(ヒヤヒヤ)。
(略)…我々が社会の敵であるのは、社会が人類の敵――人類最古の、もっとも容赦ない敵だからです(ヒヤヒヤ)。…(略)…我々は人殺しではない。処刑人なのです(喝采)」
(略)
「…(略)…我々は無政府主義最高評議会が涙もろい慈悲心などに汚染されることを望みません(ヒヤヒヤ)。…(略)…なぜなら、無政府主義に身を投じた無政府主義者は、高慢を忘れると同時に遠慮も忘れたからであります(喝采)。僕は一人の人間ではない。一個の大義であります(また喝采)。…(略)…」


南條武則訳、チェスタトンの『木曜日だった男 一つの悪夢』(光文社古典新訳文庫)にあることばである。
「(ヒヤ、ヒヤ)」は、「(喝采)」「(また喝采)」と同じく括弧に括られていることから判るように、話者(ガブリエル・サイム)の演説に対する聴衆(無政府主義最高評議会の代表委員)の反応である。
が、この本の読者が、「ヒヤ、ヒヤ」を難なく理解できるのかは判らない。

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