なでしこジャパン

サッカーについて何かを語るわけではない。あしからず。

ロンドン五輪の日本期待の女子サッカー、愛称「なでしこジャパン」。
期待の高さに比例して報道の量も多いが、中に、彼女たちを評して「『やまとなでしこ』の名の通り、繊細でいて芯が強い」というような趣旨のものがあった。それを見て、少々「おや?」と思ったのである。

サッカー女子代表を「なでしこ」と呼ぶことを批判しているのではない。がんばれ、なでしこジャパン!
気になったのは、「芯が強い」という部分である。むろん、なでしこジャパンは芯が弱い、と言っているのでは毛頭ない。がんばれ、なでしこジャパン!
気になったのは、「やまとなでしこ」ということばに、「芯が強い」というニュアンスがあるのかどうか、というところである。

恒例の『新明解国語辞典』(第3版)から。

〔か弱いながらも、りりしい所が有るという意味で〕日本女性の美称。


この説明からは、たしかに「芯が強い」ニュアンスが感じられる。最近流行りのことばで言えば、「凛とした」という感じだろうが、残念ながら用例が載せられていないので、この記述がどういう根拠に基づいているのか良く判らない。
『旺文社国語辞典』を見ると、「日本女性の美称」とあるだけで、なおさら判らない。

それで、用例を見るなら古語辞典だろうということで、『角川古語辞典』。

河原撫子の異名。女性にたとえていうことがある。
「あな恋し今も見てしが山がつの垣ほに咲ける―」(古今・恋4・695)


というだけで、特別に芯の強さを表現している云々ということはない。用例の和歌を見ても、「あな恋し今も見てしか」からすれば、女性を彷彿とさせるものと言って良いが、「山がつの垣ほに咲」いているわけだから、目立たず、さりげない状態のようである。あまり、芯があるようには思われない。
ほかの和歌の例を探してみると、

  忘れにける女を思でてつかはしける よみ人しらず
打返し見まくぞほしき故郷の大和撫子色や変れる(後撰・恋4・796)


というものがある。
『新日本古典文学大系』の注に、「目立たぬところに咲く可憐な花として詠まれることが多かった」とあるが、詞書からも、この歌が恋部に収められているところからも、これは明らかに女性を指している。つまりこれも、目立たない、可憐な女性を「大和撫子」と称しているのである。

  (寛平御時の后宮歌合の歌)
我のみやあはれと思はむきりぎりす鳴く夕かげの山となでしこ(古今・秋上・244)


は、秋の部に収められているから、花を詠んだものと見るのが妥当だけれども、女性の姿を彷彿とさせないでもない。その場合、「夕かげ」にいるのだから、やはり目立たない女性である。

次に、信頼すべき『例解古語辞典』(第2版)。

(「なでしこ」に「撫でし子」の意をこめて)かわいい女の子。かわいい娘。
「―をばさしおきて、まず、塵をだになど、親の心をとる」〔源氏・帚木〕


手許にある『対校源氏物語新釈』の『用語索引』によれば、これは作中に3例ある内の1例、所謂「雨夜の品定め」の1節である。前後を含めて引用する。

思ひいでしままに、まかりたりしかば、例のうらもなきものから、いと物思ひがほにて、荒れたる家の、露しげきを眺めて、虫のねにきほへる気色、昔物語めきておぼえ侍りし。
  咲きまじる花は何れとわかねどもなほ床夏に如く物ぞなき
大和撫子をばさしおきて、まづ、塵をだに、など親の心を取る。
  うち払ふ袖も露けきとこなつに嵐吹き添ふ秋も来にけり
と、はかなげにいひなして、まめまめしく恨みたるさまも見えず。涙を漏らしおとしても、いと恥かしく、つつましげにまぎらはし隠して、つらきをも思ひ知りけりと見えむは、わりなく苦しきものと思ひたりしかば、……(帚木)


さて、ここでは、「大和撫子」のほかに「床夏(とこなつ)」という語が出る。「とこなつ」は撫子の異名。「とこ」に共寝の「床」を懸けて用いられることから、「撫子」には恋のイメージがある。(『歌枕歌ことば辞典増補版』)
『例解』の「かわいい女の子」という説明を見ると、子供のように思われるが、そうではない。ここに出て来るのは、「常夏の女」と呼ばれ、後に「夕顔」として登場する女性だが、芯の強い女性のようではない。
いま1例。

お前の前栽の、何となく青みわたれるなかに、常夏の花やかに咲きいでたるを折らせ給ひて、命婦の君のもとに、書き給ふこと多かるべし。
  「よそへつつ見るに心はなぐさまで露けさまさる。撫子の花
花に咲かなむと思ひ給へしも、かひなき世に侍りければ」とあり。さりぬべきひまにやありけむ、御覧ぜさせて、「ただ塵ばかり、この花びらに」と聞ゆるを、わが御心にも、物いとあはれにおぼし知らるる程にて、
  袖濡るる露のゆかりと思ふにもなほ疎まれぬ。大和撫子
とばかり、ほのかに書きさしたるやうなるを、喜びながら奉れる、例の事なれば、……(紅葉賀)


つまり、古代の「やまとなでしこ」には、芯はなかったようである。

とはいえ、これは古代語の「やまとなでしこ」で、現代語の「やまとなでしこ」ではない。
現代の用例は、国語辞典が上記のようなのでほとんど判らない。それで、邪道なやり方であまり好きではないのだが、「青空文庫」で検索を掛けてみた。

上村松園「作画について」より。『青眉抄』(1947年)に収められているもののようである。

遊女亀遊は、横浜の岩亀楼のはしたない遊女でありますが、外国人を客としてとらねばならぬ羽目におちいったとき、大和撫子の気概をみせて、
 露をだにいとふ大和の女郎花
  降るあめりかに袖はぬらさじ
という辞世の一首を残して、自害した日本女性の大和魂を示した気概ある女性であります。


これを見る限りでは、「やまとなでしこ」を芯のある女性と見ても良いようだが、これ1例では、一般的な使い方なのが例外的な使い方なのか、判断することができない。

結局のところ、現代語としての「やまとなでしこ」に「芯が強い」ニュアンスがあるかどうか、良く判らない。
【余談1】
撫子は奈良時代から好まれていた。特に、大伴家持の歌に頻出するらしい。が、「大和撫子」と言われるようになるのは平安以後のようで、中国の撫子(石竹)が輸入されてから、区別するために、「大和」を冠することになったものと言う。

【余談2】
こういう場合にまずは引いてみなければならない『日本国語大辞典』には、何故か人情本『春色恋白波』の用例しか上げられていない。引用されている文だけでは何とも判断しがたいけれども、「日本女性の清楚な美しさをたたえていう語」という説明がある。なお、源語帚木と古今秋上の例も引かれているが、花の名としての用例として引かれているだけである。すくなくとも前者については、誤解だろう。

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