「すごくすごい」文章

齋藤孝の親子で読む偉人の話 4年生』という本を見ていて、とても気になった。
全部を読んだわけではないのだが、「すごい」「すごく」の乱発が目に余る。良いことが書かれているのかもしれないが、「すごい」「すごく」があまりにも気になって、内容は頭に入っていない。

もちろん、「すごい」「すごく」を一切使うな、というのではない。が、程度問題である。
「ダーウィン」では12ページ約100文中に10回、「ピカソ」では9ページ約75文中に9回、「すごい」「すごく」が出てくる。「約」というのは、それほどきちんと数えていないからであるが、1ページに1回くらいの割で出てくるのには違いない。

実際の例は、こんな感じである。

で、この「スケルトンカエル」は、どうして生まれてきたかっていうと、ある学者さんが、色のすごくうすいカエルどうしに子どもを生ませてつくったんだ。何度も何度も色のすごくうすいカエルどうしで子どもをつくりつづけていると、どんどんその色のうすさがすごくなって、最後には、すけて見えるようになっちゃったんだ。(ダーウィン)


2文中に3回も「すごく」が出て来る。
最初の「すごく」は別に問題はないだろう。2番目の「すごく」は、あらずもがなという気はするが、良しとしよう。が、3番目の「うすさがすごくなる」というのは、何だか妙な言い方である。
「どんどんその色がうすくなっていって」とか、「どんどんその色のうすさが増してきて」とか、ここまで「すごく」を重ねなくても、小学生が理解できる言い方は、ほかにいくらもあるだろう。

前に書いた通り全部は読んでいないが、僕の見た限りでは、全体的にこんな感じの文章である。
子供の国語教育に影響力のある著者だけに、もう少し豊かな国語表現で語ることはできなかったものか、と思う。
「スケルトンカエル」というのは、「スケルトン」+「カエル」の2語ではなくてそれで1語なのだから、連濁した方が良くはないだろうか? と思う。

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