『幻燈』より

以前、一文の途中で観点が転換する例を、幾つか上げたことがある。たとえば、岡本かの子の『みそっかす』の例など。

大仏次郎の『幻燈』という小説に、次のような文があった。

ある日、この女たちが屋敷に集まってから助太郎の母親の居間で朝から入念に化粧して、衣裳も更え、競って匂いの立つように美しく見えた。(家)


「入念に化粧して」「衣裳も更え」たのは「この女たち」だから、この文は「女たち」を主語とする文に見える。
が、文末まで読み進めると、「美しく見えた」と、「女たち」の様子を描写する客観的な表現になっている。
つまり、文の途中で観点が転換しているわけである。

なお、「客観的な表現」というのは、一義的には作者の視点ということなのだが、前掲の引用の前に、

荻江節とか宮園節とかの名のある太夫が来ていたと後で家人が話していたのを、当時はなにもわけがわからずに助太郎は聞いていた。


とあることを併せ見れば、助太郎の視点だと言っても良いのかもしれない。

コメントの投稿











管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://hoshinahouse.blog101.fc2.com/tb.php/581-ce69562b