「鳥肌の立つような相撲」

ふだんならさほど気にせず読み飛ばすところだが、先日文化庁の調査を取り上げたばかりだから、少々気になって取り上げる。

直接見たわけではないのだが、日馬富士が優勝した大相撲秋場所の表彰式で、野田首相が内閣総理大臣杯の授与のために土俵に上って、「本当に久しぶりに死力を尽くした鳥肌の立つような相撲を見ることができた。」と言ったのだそうだ(毎日jp)。

何紙かに同様の記事があるが、特にそのことばづかいを気にしているふうもない。
言うまでもないが、「鳥肌が立つ」は、元々寒さや恐怖によって毛穴が浮き出るような場合に使うことばである。それが、最近では良い意味にも使われるようになって、「鳥肌が立つほど素晴らしい」というような言い方が出て来ている。

最新の辞書を立ち読みしたところ、感動した場合にも使う旨の記述のあるものが半分ほどあったが、その殆んどが、補足扱いで最近の言い方という断り書きを入れている。
中には規範的ではない、と明確に書かれているものもあったから、まだ、完全に用法が転換し切ったというわけではないだろう。

ことばは変化するものである。だから、野田首相の鳥肌発言を別段どうこう言うつもりはない。人気取りのために今ふうの物言いをした感はあるが、それはそれで戦術である。
ただ、首相が語り、それが無批判に報道される…それが、ことばの変化の大きな要因になることは、間違いないだろう。
9月24日付の「産経抄」が、この鳥肌発言を取り上げていた。
曰く、

「うがった見方」「にやける」では誤用が多数派となった。大相撲の千秋楽、日馬富士と白鵬の死闘を野田首相は、「鳥肌が立った」と評した。日本語の乱れはもはや、失笑するしかない。はてな、こらえきれずに笑ったのか、笑いも出ないくらいにあきれたのか。


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