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『百年前の日本語』

今野真二『百年前の日本語―書きことばが揺れた時代』

百年前の日本語――書きことばが揺れた時代 (岩波新書)

本書は、百年前(この「百年前」は「約」であって、ぴったり百年前だけのことを言っているわけではない)=明治末期の日本語がどのように書かれていたか、ということを、広範な文献を基に実証して行くものである。

「百年前」の代表的な作家、夏目漱石。
漱石の用字は宛て字が多いとか、効果を考えた意図的な用字だとか、いろいろなことを言われているのは周知の通り。
どうしても、漱石の表記だけを見て、その表記の意味だとか効果だとか、果ては漱石の性格だとかを考えてしまうけれども、当時、日本語がどのように表記されていたかを踏まえないと、何を言ってもあまり意味がない。
同一の文書の中に、楷書・行書・草書が混在していることは、手書きでは当たり前のことだったし、活字印刷でも同様だった。
また、現在のように、一つの言葉は極力一つの表記をしようとするのとは違って、一つの言葉に複数の漢字を宛てていたり、一つの漢字に複数の読みが宛てられていたり、多様な表記がなされていた。
現在の習慣とは違った表記があると、漱石の「宛て字」を含めて、正規の用字ではない俗な用字として捉えられがちだが、明治期には、現代とは違う表記の「揺れ」が許容されていた。
明治末期に、その揺れを収斂して行くような動きが始まり、不特定多数の人が理解できる書き言葉が確立して行くのである。

漱石が自筆原稿でどういう文字を書いていたとしても、印刷された状態を想定していたはずだ、ということも言われているし、それはその通りだと思うのだが、その想定していたものが、現代人が考えるような典型的な旧字旧かなと同じものかどうかは、一概には言い切れない。
戦前は旧字、現代は新字、と単純に考えていたのだが、そもそも「新字」というのも、昭和になって新たに創り出されたものではなく、通用の簡略な字体を正規の文字として制定したわけだから、漱石も「新字」を書いていたのである。
現代人が見て特殊な書き方だと思っているものが、実は当時の新聞や商用広告にも使われる自然な書き方だったことも、明らかにされている。

第4章「統一される仮名字体―失われた選択肢」など、国語史についての多少の知識と多大な興味がないと難しいと思われる部分もあるが、書かれている内容を考えれば、驚くほど平易に書かれていると言って良いだろう。

新書だから概説的なことしか書かれていないだろうと思うこと勿れ。ここまで読み応えのある本は、久しぶりに目にした。…それは日頃の不勉強の為せる業だ、とも言えないことはないが…。
とまれ、日本近代の文学・語学に興味がある方には、本書を強くお奨めする。
本旨からは逸れるが、「あとがき」に書かれているこんな1文にも、含蓄がある。

現代は「わかりやすく語る」ということがしばしば求められる。大学で行なう授業アンケートにも、授業がわかりやすかったかどうかというような質問項目がある。「授業がわかりやすい」というのはどういうことなのだろうか。授業時間内に、そこで話題となったことがその場ですべてわかるような授業がわかりやすい授業であるとすれば、学生は教室外で何も考える必要がないことになる。


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