附箋を剥がす(8) Including 「全然」(その10)

『日本近代短篇小説選 昭和篇2』に貼った附箋を剥がすためのメモ。

職業上の理由でマリアンヌの父親は禁足され、生活の圧迫は重加して、遂に家も何も売り払って、一家は不自由な冷たい生活にはいってゆくのを、私たちは傍観しているばかりだった。(中里恒子「墓地の春」P26L13)

そして初年兵はようやくにして古年兵の攻撃から自分の身を守り、初年兵の敵は、自分たちの前方にいる外国兵ではなく、自分たちの傍にいる四年兵、五年兵、下士官、将校であった。(野間宏「顔の中の赤い月」P145L3)

そしてこの岡と岡の間の窪地に沿うて一筋の道路が通っていた。これを下ってゆくと小さい町へいくことを私たちは知っていたが、それを上ってゆくと、どこへ行くのか私たちは知らなかった。それから炭鉱と収容所を結ぶ小路があり、それは私たちの足跡で出来た、踏まれた草の路で、炭鉱の交代の前後には、列を作った一群の人がその上に現われて、或いは炭鉱の方へ、或いは収容所の方へ歩いてゆくのが見えたが、それが私たちだった。(長谷川四郎「小さな礼拝堂」P341L15)


観点の転換の事例。
中里のものは、「一家は不自由な生活にはいっていった」とでもなるべき「一家」についての文脈が、「私たち」を主語とする表現に転換している。「…はいっていった。それを…」というふうに2文で表現するのではなく、それを1文で表現している。
野間のものは、「…古年兵の攻撃から自分の身を守った」とでもなっていれば、よりスッキリするだろうが、そのまま次文に繫がっている。
長谷川の例は、「私たち」の視点で語られていた文が、最後の部分で「私たち」を見る人物の視点に転換している。


「ええ、四千円売れるんですって。ちょっと小さいので、値打がぐっと下るんですの。売りなさい売りなさいってあまり言うものだからとうとうその気になってしまったのよ。ほんとうにもうなんにも売るものもなくなっちゃって。」(野間宏「顔の中の赤い月」P151L3)

「そうだよ。しかし、板チョコと言ってもなかなか馬鹿にならんのだぜ。山仲の奴、板チョコで、俺たちよりは、ずっと立派にやってやがるんだからな。一枚七円五十銭仕入れて八円五十銭で田舎の雑貨屋に置いてくるんだそうだが、月に三千五百円になると言ってるからな。(同P164L7)

「ママはお前なンかに子不幸な親だなンていわれる筋合はないよ。早くパパ別れて、お前さんを今日まで女手一つでそだてて来たンじゃないか。お前位パパに似て私をいじめる人ってないわ。…(林芙美子「水仙」P264L11)

私は妻を呼ぶまいと思った。一時間ぐらい会っても仕方がない。そのため旅馴れぬ彼女に困難な旅をさせ、不案内な東京をうろうろさすには当るまい。会っても会わなくても、私が前線に送られ、敗軍の中死ぬのは同じことである。未練だ。(大岡昇平「出征」P296L4)


助詞「に」の使い方。


新円の洪水の熱海をあてこんだ。それが全然はずれて、一枚も売れず、荷物を背負って、駅前の坂を上ったときは、木曽義仲の最後を思い出したそうだよ。(野間宏「顔の中の赤い月」P164L11)

衝撃は例えば我々の体を通り抜けたようであった。それは我々が除隊の喜びの底に漠然と感じていた危惧で、全然不意を突かれたものではなかったが、膝力が抜けたように感じ、口を利くことは出来なかった。(大岡昇平「出征」P201L3)

兵隊の歩度と合わせるために、子供は全然駈け出さねばならなかった。そして子供は足を傷めていた。(同P312L11)


否定と呼応しない「全然」の用例。同時に、大岡の1例目は、助詞「に」の使い方。
野間のものは昭和22年(1947)、大岡のものは昭和25年(1950)の事例。


外泊は依然防諜の見地から許されず、奇計によって受け取らされた私物を返しかたがた、通知者一人限って十六日に面会が許される。(梅崎春生「蜆」P205L6)


助詞「を」の使い方。


我々は三カ月の教育期間を何とか胡麻化して過そうとしか思っていず、その胡麻化し方は正確に学校において学科を出来るだけ胡麻化して、卒業証書だけを握ろうとした方法と同じであった。いかにも旧弊な日本の軍隊が我々に課する日課は愚劣にして苛酷なものであるが、それは我々がそれを陋劣に胡麻化す口実とはならない。(大岡昇平「出征」P298L11)


何となく抽き出しておこうと思った一節。
【1月24日追記】
否定と呼応しない「全然」の用例の2例目、「全然不意を突かれたものではなかったが、…」については、「全然―なかった」という否定と呼応する用法と考えるべきとの意見もあるだろうし、その考えにも、妥当性は認められる。
が、この部分は、「『全然―不意を突かれた』ものではなかったが、…」と考える余地がある。それで、否定と呼応しない事例として、取り上げたのである。
ことほど然様に、「全然」が否定と呼応しない用法が正しい―間違いの議論は、簡単に片付くものではない。

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