「死神」

録画しておいた『日本の話芸』(NHK)を見た。演目は三遊亭円丈の「死神」。
この話、円朝が作った古典ではあるものの、筋立て自体は至極簡単なものなので、演者がどう肉付けをするかが聴き所である。

そういう演出が昔からあるのか、円丈のオリジナルなのかは知らないが、今回のものは、主人公の名前が「長助」(長命だから)。病人と寿命を取り替えてしまった長助を、死神は「短助」(間もなく死ぬ、短命だから)と呼ぶ。
長助は死神から提案された、寿命の蝋燭の火の付け替えに失敗するが、その場では絶命しない。この世に戻って来てから苦しみ出し、「やっぱり短助だった」と叫んでTHE END。

話の中には、死神たる者が相撲取りの肘鉄で吹っ飛ばされるような、それはいかがなものかと思う場面が出て来たりもするが、これは許容範囲。さして面白くないことはご愛嬌として。問題は、サゲである。
長助の寿命の蝋燭の火は消えたのだから、早晩死ぬことは判り切っている。死ぬべくして死ぬ人が、死に際に「短助だった」と言うのはあまりにも当たり前である。それに、実際に「短助」という名前に変わったわけではないし、名前が原因で死ぬわけでもない。
寿命を取り替えてしまってから、会う人会う人から「短助」と呼ばれるようになるなど、予めフリがあるのならともかく、これではまるでわけが判らない。人間としての真実の叫びを表現するのならそれでも良いだろうが、落語とはそういうものではなかろう。

今までに聴いた「死神」の中では、柳家小三治のものが一番見事だったと思う。苦労した揚句、火の付け替えに漸く成功し、大喜びをしている時に、大きなくしゃみが出て、それで折角付いた火が消える…、というサゲだが、その前から風邪をひいているというフリをきちんとしていた。だから、聴衆としては、素直に緊張→緩和→笑いとなるのである。
これも小三治オリジナルかどうかは知らないが、火の付け替えに成功した安心感から大きく付いた息で火が消えるという演出は元々あったはずで、これはそのバリエーションである。

同じ話でも、演者により、演出により、まったく違うものになる好例である。
[ 2010/10/13 21:55 ] 古典芸能 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

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