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平等院鳳凰堂

気になったニュース。

国宝・平等院鳳凰堂で大量の平安期の瓦 修理で確認

昨年9月から修理が行われている京都府宇治市の平等院鳳凰堂(国宝)で、約5万2千枚の屋根瓦の取りはずし作業が終了し、3%にあたる1560枚が平安時代後期につくられた瓦であることがわかり14日、平等院と宇治市が発表した。

鳳凰堂はこれまでの調査で、天喜元(1053)年の創建当初は木製の瓦を使った木瓦(こがわら)葺きで、総瓦葺きになったのは約半世紀後の康和3(1101)年の修理からと考えられていた。今回の大量の平安期の瓦の発見で、「その見方が裏付けられた」としている。

同市によると、1560枚の平安期の瓦のうち、82%の1273枚が、文様などから、平等院の荘園があった大阪府八尾市の向山瓦窯跡で生産された河内系の瓦と判明。また、奈良でつくられた南都系の瓦も280枚残っていた。

河内系の瓦は表面をきれいに仕上げるなど、南都系と比べて丁寧につくられ、生産管理用の刻印が付けられている瓦もあった。

同市では「屋根に残る平安期の瓦は数10枚程度と思っていたので数の多さに驚いている。丁寧な作りを考えると、鳳凰堂造営のための特注品であったことが推測される」としている。(msn産経ニュース)


平等院鳳凰堂の屋根瓦が平安朝当事のものであろうと後世に葺き替えられたものであろうと、平安朝史が変わってしまうようなことはまずありえないとはいえ、こういうニュースを読むと、純粋に楽しくて夢があるし、何より歴史の長さを感じられる。
僕が今住んでいるのは東京は下町だから、古いと言っても江戸時代がせいぜいで、空襲の激しかった土地柄、残っているのは、殆んどが戦後のものである。生まれ育ったのは横浜の外れの新興住宅地で、周りには僕の年齢と大して違わないものしか見当たらなかった。鎌倉には至近だったけれども、それでも鎌倉時代が良いところである。
「この前の戦争」(註)で焼けなかったものが今でも残っているのは、古いものを大事にしている土地柄だからなのだろう。それが、歴史というものである。
(註)京都では、応仁の乱のことを指すのだ、ということを、京都に住んでいた方から伺った。
[ 2013/02/15 21:25 ] 歴史 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

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